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ひつじのあつあつ。 [あんこ学]


広尾の日赤通りを歩いていたら、「麻布昇月堂」という和菓子屋さんに「新栗の蒸羊羹できました」という紙がはってあって、ふらふらとお店の中に入ってしまいました。
で、もちろん、新栗の蒸羊羹を買って、横にあった「一枚流しあんみつ羊かん」というのも買ってしまったのですが、「あんみつ羊かん」はともかく、「一枚流し」っていうのがいい。買わないやつはあんぽんたん(あんぱんまんじゃありません)だという気がしちゃいますね。
だいたい、この蒸羊羹というのが、懐かしい。いまは羊羹といえば練羊羹ですが、練羊羹ができたのはたかだか200年くらい前のことで、それまではずーっと、羊羹といえば蒸羊羹だったんですね。
ものの本によると、羊羹は、鎌倉時代に禅僧が中国(宋)からもたらしたのがはじめだそうです。禅文化と一緒に、抹茶と点心という食文化がやってきた。で、その点心の双璧が、饅頭と羊羹だったんだそうです。
実を言うと、ぼくは、あんこはまず最初につぶあんがあって、皮が邪魔だというんでこしあんが生まれて、それから羊羹が誕生したんだと思っていたんですが、どうも違ってた。
まず、羊羹があって、その羊羹づくりの過程からこしあんが生まれたらしい。で、そのときにはまだ、砂糖入りのつぶあんというのはなかったらしいんです。
それにしても、羊羹っていう名前はすごい。「羹」というのは、「あつもの」とか「汁物」のことですが、中国でのもともとの羊羹は、羊の肉をとろとろに煮込むか蒸すかしたものに、あつい汁をかけて食べるものだったんですと。すげー。ところが、日本には、馬鹿はいても羊はいない。それに、禅僧はタテマエ上肉食ができないので、羊の代わりに小豆や米や小麦などを粉にして、それを羊の肉に見立てて成型し、それを蒸したものに汁をかけて食べたんですと。すげー。その作り方を書いた当時の本によると、小豆を煮て皮をとり、それに葛粉と砂糖をまぜて蒸したそうで、その時点でもうこしあんは存在していたということになりますね。
それからいまの羊羹になるまで、羊羹もたいへんな旅をしてきたものだと、あらためて思いました。それを思うと、とてもおろそかには食べられない。「羊羹さん、ご苦労さん」とその労をねぎらって、昇月堂の新栗蒸羊羹を食べることにします。
(今回は青木直己さんの「図説和菓子今昔」にいろいろ教わりました)


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