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続・西の復讐 [あんこ学]

前回のつづき。大阪ならではのケッサクCM選です。
これをみると、「くたばれ東京!」という大阪のエレルギーがいかにキョーレツなものかがわかります。

①大阪府
 (路上駐車を注意されたおばさんが警官に食ってかかる)
 「えー? みんな止めてるやないの!なんで私だけ言われなあかんのんな!失礼やわあ!
 (クルマのドアをあけようとするが、なかなかあかない)あけへんやないの、もう!」
 (ナレーション)おるおる、こういうおばちゃん。大阪の迷惑駐車。

②キンチョウ・ゴン
 (ちあきなおみが娘のセーラー服を着てたんすの前で踊る)
 匂わないのが 新しい
 たんすにゴン たんすにゴン
 匂わないのが 新しい
 あっ、センセイ、だめ!
 たんすにゴン 匂わないのが新しい
 あっ、だめ、センセイ!
 やまだセンセイ、だめ!
 あっ、たんすにゴン!
 (ナレーション)新防虫剤キンチョウ・ゴン

③ミスタードーナッツ
 (ダイニングキッチンで、娘がひとりさびしく「サンタでチュ」を持っている。)
 「ヒロシとマユミはサンタでチュ。カズオとクミコはサンタでチュ…」
 (父親がサンタでチュを持って入ってくる)
 「トシコ。お父さんとサンタでチュしようか」
 (娘は「ウウー!」とテーブルに突っ伏す)
 (音楽)いいことあるぞー、ミスタードーナッツ!

④日本食研
 (火事現場で3頭の牛が歌う)
 カンカンカンカン 晩餐館 焼肉焼いても家焼くな
 カンカンカンカン 晩餐館 焼肉焼いても家焼くな
 (ナレーション)焼肉するなら晩餐館。

⑤日清製粉
 (スーパーの店内)
客のおばさん「ほんまにうまいこと揚がんの?カラッと揚がんねんな。揚がらんかったら、二度と買  わへんでえ!」(と店員のおばさんに詰め寄る)
店員のおばさん「(猛然と反撃に出る)もう、奥さん、買わんでええがな、そんな言うんやったら!ゴ チャゴチャ言う奥さんやなあ、ほんまに!」(と客を押し返す)
(ナレーション)日清のこつのいらない天ぷら粉、揚げ上手。

⑥エルモアティッシュー
 (子ども部屋のドアをあけてティッシューの箱を差し出す母親)
「まあちゃん、勉強ばっかりしないで、たまにはティッシューも使いなさい」
 (ナレーション)ティッシューはエルモア。

⑦関西テレビ
 (テレビ局の中。誰もいないガランとした通路)
 (奥から、着物姿のクラブのママさんが、ホステスとバーテンをつれてやってくる)
ママ「関テレさーん!どこ行ったんや、みんな。ヤマちゃーん!オーちゃーん!ツケ払うてえな!困  るやんか!」
 (ナレーション)関西テレビは引越しました。扇町で会いましょう。

⑧どんでんねん
 (うどんを食べる岡田彰布と坂田利夫)
 「それ、なんでんねん」
 「うどんでんねん」
 「うどんのおつゆ、なんでんねん」
 「うどんでんねん」
 「うどんでんねんって、どんなんでんねん」
 「どんなんて、こんなんでんねん」
 「こんなんがどんなんでんねんなあ」
 「こんなんがどんなんでんねんでん」

こういうテレビCMは、ほんとは動く映像でお見せしたいんですが、そうもいきません。あなたの想像力で、そこは補ってください。
このなかのどれひとつとして、東京では作れません。仮に作っても、スポンサーからOKが出ない。こういうCMは、大阪という空気の中でしか生まれないんですね。ここには、人間という生き物の虚飾をとことん剥ぎ取って、その本質をリアルに見つめようとする目があります。それが、うわっつらのカッコばっかりつけたがる東京的広告への痛烈な批判になっている。こういう大阪のやり方を「身もふたもない」と嫌う東京人もいますが、さて、東西2国間のこの断絶を、どうわれわれはとらえていけばいいんでしょうか。
ところで、これはテレビCMですが、ほかの分野でも、こういう大阪ならではのものがいっぱいあると思うんですね。ぼくはCMのことくらいしか知らないので、知っている方はぜひ教えてください。
というわけで、次回からは、アンコロジイの核心に迫っていこうと思っていますが、さて、どうなることやら。

というわけで、きょうはあえて東京と大阪を避け、山口の銘菓です。「舌鼓」。山口の人に言わせると、これは値段が張るので、お遣い物としてしか、買うこともないし、もらうこともない。何かまずいことがあったときなど、これを持ってあやまりに行くと、すぐに許してもらえることが多いんだそうです。中は品のいい白あんでした。きょうはこれで許してね。


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西の復襲 [あんこ学]

日本という国は、実は二つの国からできています。二つの国が合併して出来た国といってよろしい。
ふたつの国とは、東日本国と西日本国です。前にも話しましたが、日本国が成立した7世紀には、東日本と西日本は、ほとんど別の国でした。ま、大和朝廷が勝手に「日本」を名乗ることにしただけで、べつに東日本の人たちに同意を得る手続きをしたわけでもない。東日本のほうは、別に国家なんていう意識はなかったから、「勝手にすれば」と思っていたんでしょうね、よく知らないけど。
で、西のほうは勝手に、自分達が日本国の中枢だと思って、いろいろやってきた。その中枢が東日本に移ったのは、源頼朝(実権は北条氏)のときが最初ですが、本格化したのはやはり徳川家康以降ということになるでしょう。でも、そのときはまだ、天皇は京都にいましたから、実権が100%東に移ったってわけじゃない。やっぱり、明治維新があって、天皇が東京に引っ越してきたとき、名実ともに東日本の東京が日本の中枢になったんですね。
ハイハイハイハイ、ここまでは歴史の授業ですが、薩長政府にいっぱい食わされ、天皇においてきぼりを食った西日本の逆襲の歴史が、実はこの時点から始まるんです。あんな東京なんて文化果つるところが、なんで日本の中心や、笑わせるな、あほぬかせ、というわけです。
だいたい、天皇さんは東京にちょっと行ってくる、と言って出かけていきはったんで、正式に引っ越されたんと違う。京都の御所にまた帰ってきはるんや、と、いまでも思っている人が京都にはたくさんいるくらいですからね。東京なんて、ばかにしきってる。
「上方」って、いまでもいいますよね。上方歌舞伎とか上方落語とか。昔は知らず、いまはもう上方ではないでしょう。東京から京都や大阪へ行く電車は下りですよ。上方は東京なんですよ。でも、がんこに上方と言い張っているのも、東京への復讐の一種だと言っていいでしょう。
ま、そんな復讐の歴史は、文科省検定の歴史の教科書にはのっていません。だからこそ貴重なのですが、が、その具体的な例を、ご紹介しましょうか。

たとえば、広告です。もともと広告の本場は、商都大阪です。が、そのリーダーシップを東京に奪われた。以来、関西の広告は、東京の広告の薄っぺらさを徹頭徹尾おちょくるというか、こけにするというか、やっつけるというか、そんな精神で作られるものが多くなりました。それは明治にはじまって、いまも続いています。
「さかい~、やすい~、仕事きっちり~!」
ってCM、知ってますよね。さかい引越しセンター。あれこそ、大阪ですね。
東京は、ああはいきません。もっとかっこつける。
♪ア~ト引越しセンターへ~
といったぐあいです。大阪人から見たら、たかが引越しで何がアートや、何を気取ってるんや、ということになる。
次は、墓石の広告。東京はこうです。
「永遠のメモリアルアート」
それが、関西だと、こうなる。
「墓のない人生は、はかないなあ」
わかりますね、違いが。「墓のない人生は、はかないなあ」のリアリズム。人間観の成熟。感動的なばかばかさ。ま、関西人に言わせれば「永遠のメモリアルアートなんて、そんなところにうちのじいさん入れたら、たまげて生き返ってしまうわ、あほくさ」ということなんでしょう。ぼくは東日本国の住人ですが、死んでも「永遠のメモリアルアート」にだけは入りたくありません。
というわけで、西の広告には、感動して数日は立ち上がれなくなるようなものが、ぞろぞろあります。今回だけではとても紹介しきれないので、次回にたっぷり、うんざりするくらいご紹介することにしましょう。

ところで、先日、四国松山と京都へ行ってきました。松山から大阪伊丹への飛行機がプロペラ機で、低空を飛ぶ。で、そこから見る瀬戸内海は、まるで赤福のようでした。で、京都からの帰りに赤福を買ってきてしまったというわけです。ぼくが「日本三大こしあん」のひとつにあげている赤ちゃんを、ま、一口どうぞ。



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しつこく寄り道 [あんこ学]

前回の最中は、横浜の喜月堂の最中です。前に写真をのせたときに書いたつもりでしたが、抜けていました。逸品です。いや、別品です。
一茶についても、抜けていることだらけです。それを少しだけ、埋めておきます。
俳句に口語調を取り入れたのは、一茶が最初だという説もありますが、じつはもっと古く、芭蕉の弟子の惟然(いぜん)あたりからはじまっているようです。
  水鳥やむこうの岸へつういつうい
なんていうのがあるんです。こういう口語をとりこむ動きは、その後、ちょっとしたブームになったようですが、やがて消滅する。それを一茶が、100年後に復活したということでしょうか。
  うまそうな雪がふうわりふうわりと
  ああ寒いあらあら寒いひがん哉
  ああままよ年が暮れよとくれまいと
こういう句を見ていると、一茶という人は自分をとりまく自然やら風物やらをすべて人間化していく人なんだな、という気がしてきます。そこが、自然や風物のなかに自分を無化していく芭蕉や、自然や人間を客体化してとらえていく蕪村との、大きな違いがあるように思うんですね。
ま、自分でもよくわからないことはこのくらいにして、一茶の句をもう少し紹介しておきましょう。
  春雨に大あくびする美人かな
  露の世は露の世ながらさりながら
  うつくしや障子の穴の天の川
  秋風やあれも昔の美少年
  猫の子がちょいと押さえるおち葉哉
  ざぶりざぶりざぶり雨ふるかれの哉
  大の字に寝て涼しさよ淋しさよ
  是がまあついの栖(すみか)か雪五尺

きょうの目のおもてなしは、到来品の白小豆羊羹です。小金井の和菓子処「里の木」の銘菓ですが、竹の皮の包装が好ましい。薄墨色の羊羹のなかに、うっすら浮かんで見える白小豆がまた、なかなか風情があります。では、いただきます。
   


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ちょっと寄り道 [あんこ学]

こんな話を聞いたことがあります。
昔、中国では、何かのコンテストをしたとき、順位を1位・2位・3位……とはいわずに、1品・2品・3品……と呼んだんですって。が、すぐれてはいるけれど、どうも同じモノサシでは計れないような、個性の強いものがある。そういうものには、1品、2品……の序列とは違う、「別品」という言い方で評価した。きれいな女性のことを「別嬪」というのは、そこからきてるんですね。ついでに言うと、別嬪は女性とは限らない。男にも使いました、いえ、ホント。
で、一茶です。古今の俳人ベストテンをあげろ、と言われたら、1位は芭蕉だね、2位は蕪村かな、と並べていくことになるんでしょうが、さて、一茶の扱いがむずかしい。ああだこうだと考えたすえに、やっぱり小林クンは「別品」だな、ということになるんじゃないでしょうか。
この人は信州の雪深い山村に生まれて、お母さんが早く死んだもんだからいろいろ苦労して、15歳のときにほとんど身ひとつで江戸に出て、渡り奉公などでをしながら俳諧を習い覚えて、なんとか食べられるようにはなったものの俳人番付の上位には入れなくて、最後は郷里に戻って土地の有力者たちに俳句を教えて暮らすという、ま、そんな不遇の人生を送った人なんですね。
そんな人生の影が、彼の俳句のそこここに映りこんでいますが、しかしその表情は、ときに軽妙、ときに洒脱、ときに痛烈、ときに風雅と、本当に多彩な魅力にあふれています。そんなこんなを考え合わせると、やっぱりこの人は、「別品」中の「別品」ということになりそうです。
  ともかくもあなた任せのとしの暮
  衣(ころも)かえてすわってみてもひとりかな
  蚊やりから出現したりでかい月
  家なしがへらず口きく涼みかな
  隙人(ひまじん)や蚊が出た出たと触れ歩く
  牢屋から出たり入ったり雀の子
  昼の蚊やだまりこくって後ろから
  送り火や今に我等もあの通り
で、この人の俳句は、つぶあんかこしあんか、ということになるんですが、つぶあんとも言えるし、こしあんとも言えるんですね。でも、ぼくの評価は、つぶあんでもこしあんでもありません。そう、別品の「白あん」なのでした。 
というわけで、今回の目のおもてなしは、前にもご紹介した最中の再登場です。この白あんの盛り上がりぶり。こんな最中は見たことない。最中の「別品」とはこのことです。 


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粋と粋 [あんこ学]

去年亡くなった杉浦日向子さんが、以前、こんなことを言っていました。
「上方の粋と江戸の粋。同じ粋でも、上方は<すい>で江戸は<いき>なんですね。で、上方の粋は、たとえば十二単のように美しいものを上へ上へと重ねていく。それに対して江戸の粋は、余計なものをどんどん脱ぎ捨てていくんです」
とても面白い話で印象に残っているのですが、それはさておき、西日本が文化の中心だった平安時代から、鎌倉、室町、戦国時代を経て江戸期になると、文化の重心が東日本に移っていきます。というか、上方と江戸の2極文化時代になっていくわけですね。
この時代の大きな特長は、文化の担い手が権力者や貴族から大衆の手に移ったことで、江戸時代の300年間は、経済成長もほとんどゼロなら、人口もほとんど変わらないのに、歌舞伎やら浮世絵やら、みごとな大衆文化の花が咲いたことです。ホント、この時代の日本は、世界でもトップクラスの文化大国だったと言っていいでしょうね。それも上から与えられた文化じゃない、大衆が自分たちの手で作り出し、育て上げた文化です。
俳句も、この時代のものです。室町時代の連歌から、俳諧連歌がおこって、それからさらに俳諧が独立して「連句」が生まれていく。もともと、俳諧の「俳」も「諧」も、滑稽とか洒落というイミですから、それは和歌のように大まじめじゃない、ことば遊びの要素が強いんです。だからこそ、大衆の間にも浸透していくわけで、軽妙洒脱なものから駄洒落づくしのものまで、初期の俳諧はつぶあん的なエネルギーに満ちていました。
その俳諧に、室町時代の「幽玄」に通じるものを呼び覚ましたのが「古池屋」の芭蕉さんですが、この人は、まさに俳句界の元祖こしあん本舗と言っていいでしょう。
  梅が香にのっと日のでる山路かな
  五月雨(さみだれ)をあつめてはやし最上川
  むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
みごとですね、ことばのこの漉しぐあい。17音のなかに、何百粒ものことばが漉されている。これを「粋」と言わずになんというか。でもね、ホントのことを言うと、ぼくは芭蕉さんはご立派すぎて、もうひとつ近寄りがたい。やっぱりぼくは、一茶さんが肌にあうんです。で、とりあえずきょうは、一茶さんの句だけ、いくつかご紹介しておきます。さて、これは何あんか。
  うまそうな雪がふうわりふわりかな
  思う人のそばへ割込むこたつかな
  年よりや月を見るにもナムアミダ
  あの月をとってくれろと泣く子かな
  雪とけて村いっぱいの子どもかな

きょうのおもてなしは、四国松山銘菓「薄墨羊羹」です。これ、うまいぞなもし。

   


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縄文クッキーはいかが。 [あんこ学]

「イノモト和菓子帖」という本があります。著者は、猪本典子さん。和菓子の銘菓135品を選び、その写真に短文を配した、とてもおしゃれな本です。写真もいいし、本づくりのセンスもいい。和菓子の持つ品位に本づくりがすこしも負けていないって感じです。著者の猪本さんが、まえがきの結びに、こう書いているのも気に入りました。
「あんこの恋しさって、好きな人を想う感じに似ているかもしれない。」
(リトルモア刊・2000円+税)

話は一転、「縄文クッキー」です。「お前の話は国語の古典の授業みたいでしんどい」という声が野に満ちているようなので、急遽、今回は歴史の授業にきりかえます。(またか)
で、「縄文クッキー」。縄文時代といえば、いまから1万年くらい前から2000年くらい前という大昔ですが、後期のころの縄文人は、ちゃんとクッキーなんか作っていたんです。
材料はイノシシやシカの肉。または栗やクルミなどの木の実。これを砕き、ウズラの卵や山芋をつなぎにして焼きあげたお菓子です。肉を使ったものはハンバーグ状、木の実を使ったものはクッキー風のものでした。ま、クッキーなんか食べて、「きょうも元気だ、クッキーがうまい」なんて、平和にやっていたわけですね。
が、次の弥生時代(紀元前3世紀~紀元後3世紀)になると、世の中、音を立てて変わりはじめた。北東アジアから大量の渡来人がやってきて、西日本を中心に弥生文化を急ピッチで定着させていくんです。で、その時点から、縄文人と渡来人が入り混じった西日本と、渡来人の影響をあまり受けなかった縄文人(この人たちももともとは東南アジアからやってきた来た人たちですが)の東日本、という東西2分化の構図ができあがっていったようです。
この構図は、その後も根強く残っていく。縄文人は四角い顔で眉が濃くて目が一重、弥生人は面長で眉が薄くて目が二重、といった違いは、もうごちゃごちゃになってしまいましたから、亭主が縄文くんで女房が弥生さんなんてはっきりわかる家庭はない。しかし、方言の分布や生活習慣の面では、いまも東西の違いはかなり残っているといっています。そう、正月の餅は西は丸くて東は四角い。弥生さんは面長で縄文くんは四角い顔だったことの名残が、そんなところに残っているのです。(うそつけ)
そうなんです、前にも書きましたが、「バカ」と「アホ」の方言分布ね。東にいるのはバカで、西にいるのはアホ。大阪から東京にアホが転勤してくると、その日から彼はバカになるわけです。(ならないって)
そして、あんこ。いまでこそ、ごちゃごちゃになってしまいましたが、しばらく前までは、あきらかに西はこしあん、東はつぶあんでした。この傾向は、いまでも多少は残っています。なぜ、西はこしあんなのか。前からしつこく言っているように、この国の文化は、少なくとも関が原の戦い(これも東西の激突です)までは、もっぱら西日本で成熟したからなんですね。
そういえば、「イノモト和菓子帖」に載っている銘菓も、やはり、京都を中心に西日本で作られているものが多いようです。


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万葉は極上のつぶあんだ。 [あんこ学]

「万葉」の世界は、おおらかで、力強くて、とよく言いますね。これをあんこにたとえれば、上等のつぶあんが持っている美の世界だと、万葉なんてよくも知らないくせにぼくは思っています。
 熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかないぬ今は漕ぎ出でな(額田王)
 あなみにく賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見れば猿にかも似る(大伴旅人)
 旅びとの宿りせむ野に霜降らば吾が子羽ぐくめ天の鶴群(遣唐使人の母)
 吾が夫子が帰り来まさむ時のため命残さむ忘れたまうな(狭野茅上娘子)
二番目の大伴旅人の歌はおかしいですね。「みっともないねえ、賢ぶって酒を飲まないやつの顔をよくよく見てると、猿にそっくりだぜ」なんて言ってる。
それはそうと、最近ぼくは、金子きみさんという口語自由律の歌人を知りました。1908年生まれで、90歳のいまも元気に歌をつくっていらっしゃる。「金子きみ歌集・草の分際」という本が、短歌新聞社から出ていますが、これがいいんですね。まさに草の視点から、20世紀のこの国に生きてきたひとりの人間の生活をうたっています。
 嫁ぐ日が近い火ほどの恋愛はついに無かった澄み切った月
 広島に落とされた爆弾の噂につかまって鍬にぎれない
 私のあばら骨の中で夫と子供が肉をつつき巣を作る私を見失う
 ものがあふれ太陽が輝き人々は微笑をたたえているから不安なんです
 二人一緒に住む幸は何だろう老いてようやく分からなくなる
 欅の梢で耳を立てている雲よわたしにもいろいろあったがあっただけだよ
この力強さ。この率直さ。ある人が万葉のよさを、「のちの王朝和歌にくらべると、人々の生活の場に密着した歌が多く、その瞬間瞬間の感動が巧まぬ叙情として率直に表現されている」と言っていますが、それはそのまま金子さんの歌に通じるように、ぼくは感じています。
この中で「のちの王朝和歌」と言っているのは、「万葉集」から100年あまりあとに出た「古今和歌集」のことですね。そういえば、確かに「古今集」のほうは、うんと洗練されてくる。おしゃれになってくる。
 宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける(紀貫之)
 月見ればちぢにものこそ悲しけれ我が身ひとつの秋にはあらねど(大江千里)
といった調子です。優美というか、繊細というか、独特の美意識のなかで、心の風景をシンボリックにうたいあげていく歌風ですね。
これはこれで、なかなかいいもんじゃ、と、このあんころ爺などは思うのですが、万葉ファンに言わせると、なんじゃこれは、ということになる。カルビーのポテトチップスじゃあるまいし、こんなうすっぺらになりやがって、というわけです。
あの正岡子規も「月見れば」の歌をこてんこてんに叩いてますね。「我が身ひとつの秋にはあらねど」って、あたりまえじゃないか。秋はあんたひとりのもんじゃない、みんなのところにやってくる、そういうトンマな説明をするな、このおたんこなすといったぐあいです。
が、それもわかるけど、でもそうかなあ、万葉は田舎くさいぜ、風情がないぜ、ださいぜ、とてもつきあってられないぜ、という古今派もいるわけで、この対立はとても面白い。で、その論争に耳をかたむけていると、どうも、「こしあんかつぶあんか」という論争にとても似ているように思えてくるんです。そうなんですね、さっき万葉は上質のつぶあんみたいだと言いましたが、古今集は良質のこしあんなんです。
その良質のこしあんがさらに300年ほど経って「新古今集」になると、これはもう極上のこしあんになります。
 村雨の露もまだ干ぬ槇の葉に霧立ちのぼる秋の夕暮(寂蓮法師)
 玉ゆらの露も涙もとどまらずなき人恋うる宿の秋風(藤原定家)
 鈴鹿山憂き世をよそに振り捨てていかになりゆく我が身なるらむ(西行法師)
これはもう「幽玄」の世界ですね。万葉派はますます鼻もひっかけなくなるのですが、その話はもうやめましょう。ここで大切なことは、ぜんぶ漢字で書かれていた万葉に対して、古今集ではひらがなが使われるようになった、ということです。これは日本語史上の、日本の文化史上の大事件ですね。「女」と「おんな」が違うように、ひらがなの発明は、当然、日本語表現の質をキメこまかく変える。さらに、新古今集になると、「本歌どり」といって、先人の作った歌の用語や語句をとりこんで新しい歌に仕立てる手法なんかも出てくるんです。言ってみれば、つぶあんのつぶつぶを「漉す」ように、ことばのつぶつぶを漉してソフト化するというか、ソフィスティケートする手法が生まれてきたといっていいでしょう。
もっとも、だから、つぶあんのほうがえらい、というわけではありません。和歌に限らず、おおらかで率直なものは、つねに優美で繊細なものに洗練されていく傾向がある、というだけのことです。で、おごる平家は久しからず、洗練が行きつくところまで行くと、それは内部からじわじわ腐りはじめ、ついには次の率直勢力にとって代わられる、ということになっていくのですね。

つぶあん~ブリーフ~そば~ジーパン~万葉集
こしあん~トランクス~うどん~スカート~古今集

と、日本文化を支える2大流派を尋ねて、性懲りも無いこじつけの旅をつづけてきましたが、ああ、まだまだ先は長そうだなあ。

 ということで、きょうは七草。七草がゆを食べて、ついでに、山田屋まんじゅうが作った「名水しるこ・きら」という汁粉を食べました。もちろんこしあんですが、これがなかなかの逸品で、まさに「幽玄しるこ」といった趣きがあります。利休さんなんか、こういうの、好きだろうなあ。あ、ついでに、到来品の「もみじまんじゅう」も食べよう。おいおい、大丈夫か。(もちろん大丈夫ですが、近ごろ、大丈夫ということばが乱用されていると思いませんか。先日も喫茶店で「お水のおかわり、大丈夫ですか」と聞かれたので、軽く手を振ったあと、「いえ、男ではありますが、大丈夫ではありません」と答えました。ウエートレスさんに聞こえないように小さな声で)


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百人一首だあ。 [あんこ学]

正月ですね。正月といえば、昔は百人一首でした。
「逢い見ての後の心のくらぶれば昔はものを思わざりけり」
これが、ぼくの得意の札です。作者は権中納言敦忠。この札を人にとられたことは、まずありませんでした。
でも、歌のイミは、よくわかりませんでした。「恋をすると、昔はあまりものを考えなかったことがわかるなあ」というくらいのイミかと思っていました。
ところが、どっこい、おなじみ(?)の橋本治桃尻語訳によると、こうなんですね。
「実際にやった後からくらべれば昔はなんにも知らなかったなあ」
つまり、「逢い見る」というのは、「逢って見つめあう」なんてものじゃない、ずばり、「肉体関係を持つ」ということなんだそうです。
ちなみに、中納言朝忠の、
「逢うことのたえてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし」
という歌は桃尻語訳ではこうなります。
「セックスがこの世になければ絶対にこんなにイライラしないだろうに」
正月早々、へんな話のようですが、百人一首の世界って、もっとひろげれば和歌の世界って、かなりきわどい中身のものが多いんですね。あのころの貴族って、特にすることがないから、愛とか恋とか、そんなことばっかりしていたみたいです。
そんな歌が多いのに、ぼくらがべつにいやらしく感じないのはなぜでしょうか。それどころか、いい歌だなあとか、きれいな歌だなあなんて感心しているのはなぜでしょうか。
イミがよくわかってないから、というのも、もちろんあります。が、なんとなくイミはわかっても、そんなに露骨さを感じない。思うにそれは、ことばの力、表現の力じゃないでしょうか。ことばの選び方から形容の仕方、さらには、音読したときの音の響き方まで、そこには高度のレトリックが駆使されている。「逢い見る」という行為が、そういうことばの働きを通して、人間的なもの、切ないもの、美しいものとして描かれているわけですね。
百人一首を藤原定家さんが編んだのは鎌倉時代ですが、これが延々といまの世まで生き延びてきたのは、ひとつにはゲームとしての完成度が高いというこもありますが、やはり、百首に煮詰められた日本語の魅力にもあるんじゃないでしょうか。ちなみに訳者の橋本さんも、こう言っています。
「たいした内容の歌でもないのに、昔の言葉にすると、とても深い内容で、美しいイメージがあるように見える。大切なのは、そのことです。どんなことでも、言い方によっては、美しくなるし、深くなるのです。現代語訳は、そんな言葉の美しさを知るための参考だと思ってください」
そんなわけで、百人一首は江戸時代にも人気がありました。で、あの北斎さんも、「百人一首・うばがえとき」というシリーズを遺しています。これがまた、いいんだよねえ。時代考証なんかにとらわれずに、歌われた世界を自由に、ときにはパロディックな視点も入れながら、面白く描ききっている。ちょっと、見てください。
「わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬとひとには告げよ海人の釣舟」
という、島流しになった小野たかむらの歌を北斎はこう描いています。

島流しの舟は沖のほうに小さくあって、手前には海女さんたちのの逞しくもエロチックな姿が描かれている。ふつうだったら、逆でしょう。第一、海人は男だっていいわけよね。でも、こうすることで、つまり、民衆の世界の明るさを前面に出すことで、逆に沖の舟に乗っている主人公の悲しみが伝わってくると思いませんか。すごいねえ、やっぱり北斎って。ちなみに、フランスの印象派の画家たちにおおきな影響を与えただけじゃない、音楽家のドビュッシーの「海」という名曲も、北斎の絵がヒントになったという説があるんですね。
いやあ、きょうは正月で酒がはいっていて、大脱線をしてしまいました。そう、和歌の話なんです。和歌も万葉集のころはつぶあんだったぜ、というところからモンダイテイキをしようと思ったのに、もう夜中になってしまいました。
で、つづきは次回。こんな話じゃコメントのしようがないよ、なんて言わずにしてください。しろ。深夜サービスとして、最後に、尾形光琳がデザイナー兼イラストレーターとしてつくった百人一首をお見せします。昔、京都の大石天狗堂で買ったものです。


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テスト [ことばの元気学]

どうだ


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