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百人一首だあ。 [あんこ学]

正月ですね。正月といえば、昔は百人一首でした。
「逢い見ての後の心のくらぶれば昔はものを思わざりけり」
これが、ぼくの得意の札です。作者は権中納言敦忠。この札を人にとられたことは、まずありませんでした。
でも、歌のイミは、よくわかりませんでした。「恋をすると、昔はあまりものを考えなかったことがわかるなあ」というくらいのイミかと思っていました。
ところが、どっこい、おなじみ(?)の橋本治桃尻語訳によると、こうなんですね。
「実際にやった後からくらべれば昔はなんにも知らなかったなあ」
つまり、「逢い見る」というのは、「逢って見つめあう」なんてものじゃない、ずばり、「肉体関係を持つ」ということなんだそうです。
ちなみに、中納言朝忠の、
「逢うことのたえてしなくばなかなかに人をも身をも恨みざらまし」
という歌は桃尻語訳ではこうなります。
「セックスがこの世になければ絶対にこんなにイライラしないだろうに」
正月早々、へんな話のようですが、百人一首の世界って、もっとひろげれば和歌の世界って、かなりきわどい中身のものが多いんですね。あのころの貴族って、特にすることがないから、愛とか恋とか、そんなことばっかりしていたみたいです。
そんな歌が多いのに、ぼくらがべつにいやらしく感じないのはなぜでしょうか。それどころか、いい歌だなあとか、きれいな歌だなあなんて感心しているのはなぜでしょうか。
イミがよくわかってないから、というのも、もちろんあります。が、なんとなくイミはわかっても、そんなに露骨さを感じない。思うにそれは、ことばの力、表現の力じゃないでしょうか。ことばの選び方から形容の仕方、さらには、音読したときの音の響き方まで、そこには高度のレトリックが駆使されている。「逢い見る」という行為が、そういうことばの働きを通して、人間的なもの、切ないもの、美しいものとして描かれているわけですね。
百人一首を藤原定家さんが編んだのは鎌倉時代ですが、これが延々といまの世まで生き延びてきたのは、ひとつにはゲームとしての完成度が高いというこもありますが、やはり、百首に煮詰められた日本語の魅力にもあるんじゃないでしょうか。ちなみに訳者の橋本さんも、こう言っています。
「たいした内容の歌でもないのに、昔の言葉にすると、とても深い内容で、美しいイメージがあるように見える。大切なのは、そのことです。どんなことでも、言い方によっては、美しくなるし、深くなるのです。現代語訳は、そんな言葉の美しさを知るための参考だと思ってください」
そんなわけで、百人一首は江戸時代にも人気がありました。で、あの北斎さんも、「百人一首・うばがえとき」というシリーズを遺しています。これがまた、いいんだよねえ。時代考証なんかにとらわれずに、歌われた世界を自由に、ときにはパロディックな視点も入れながら、面白く描ききっている。ちょっと、見てください。
「わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬとひとには告げよ海人の釣舟」
という、島流しになった小野たかむらの歌を北斎はこう描いています。

島流しの舟は沖のほうに小さくあって、手前には海女さんたちのの逞しくもエロチックな姿が描かれている。ふつうだったら、逆でしょう。第一、海人は男だっていいわけよね。でも、こうすることで、つまり、民衆の世界の明るさを前面に出すことで、逆に沖の舟に乗っている主人公の悲しみが伝わってくると思いませんか。すごいねえ、やっぱり北斎って。ちなみに、フランスの印象派の画家たちにおおきな影響を与えただけじゃない、音楽家のドビュッシーの「海」という名曲も、北斎の絵がヒントになったという説があるんですね。
いやあ、きょうは正月で酒がはいっていて、大脱線をしてしまいました。そう、和歌の話なんです。和歌も万葉集のころはつぶあんだったぜ、というところからモンダイテイキをしようと思ったのに、もう夜中になってしまいました。
で、つづきは次回。こんな話じゃコメントのしようがないよ、なんて言わずにしてください。しろ。深夜サービスとして、最後に、尾形光琳がデザイナー兼イラストレーターとしてつくった百人一首をお見せします。昔、京都の大石天狗堂で買ったものです。


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ひょ

あまのさん、こんばんは。
はじめてコメントするので緊張していますが、正月なので良いです。

新年のあいさつをしに実家に帰りましたら、甥っ子(この春に小学生)が「なぞなぞかるた」を非常に興奮しながらやっておりました。
そのかるたというのは僕の父(彼の祖父)と一緒につくったお手製かるただったんですが、たとえば「りくとうみをむすぶ、そらをとぶものなあに」とかいう問い(読み札)に対して、答え(取り札)には「飛行機」の絵が描いてあったりするんですね。

「逢い見る」とか「お布団でほにょほにょ」とかいうことばのつくりとはちょっと違うパタンですが、もしかしたら甥っ子にとって「飛行機」の定義のひとつが「りくとうみをむすぶもの」になるのかしらん、と思ったらなんだかきゅん、とします。

ちなみに「きみのまわりにあるものなあに」というカードもありまして、僕はうっかり「愛?」とか答えそうになってしまったんですが、甥によると答えは「白身」だそうです。
赤面。
by ひょ (2006-01-04 03:18) 

tekutekumazuruka

あまのさん、はじめまして。

わたしも、「逢い見ての~」は好きな一首です。
以前、恋人からこういう和歌があるのだよ
昔も今も一緒なんだね、と
教えてもらいました。

詠んだのは敦忠ですが、
それをすらすらと何気なく口にする彼を見直しました。
気持ちも伝わってきました。
和歌って分かってるとロマンチックな雰囲気を演出できますね。
(・・・駄洒落です)
それ以来、お気に入りです。
by tekutekumazuruka (2006-01-04 05:42) 

オ 寒

この手の薀蓄話は印刷しておきたいほどの面白さです。天野氏の独壇場ですね。丁度ドビッシーの「月がとっても青いから」を聴いているところでした。しかしこの話、どのように「あんこ」の話になるのだろう?
by オ 寒 (2006-01-04 08:17) 

銀鏡反応

こんばんは。
明けましておめでとうございます。
今年も何卒宜しくお願いいたします。
和歌と言うものは、なるへそ!かくあるものであったかと、大いに驚愕し、感嘆しております。
仮令(たとえ)、どんな「ひわい」なものでも「きたない」ものでも、言葉の表現の力で、何とも言い難い美しいものとして表わされる。古来の倭言葉の持つ優れた表現の“あや”といいますか、レトリックといいますか、何と、豊かで不思議な力をもつものなんでしょうか。
ひるがえっていまの、書店やコンビニの雑誌置き場を見れば、「ひわい」なものを「ひわい」なまま、「きたない」ものを「きたない」まま出してしまっている雑誌群。嗚呼。発行元は果たして、和歌から優れた言葉のレトリックのセンスを学んだことがあるのか知らん?
by 銀鏡反応 (2006-01-04 19:27) 

うるら

あまのさん、明けましておめでとうございます。本年も、面白い話を聞かせてください。とっても楽しみにしています。帰省した「絶対 こしあん派」の娘に「これを読んでごらん!」と、「あんころ爺」をススメました。忙しく食事の支度をしながら、チラチラ娘の様子を伺っていると「く、く、く・・・。ふ、ふ、ふ・・・は、は、は・・・」とだんだん笑い声が大きくなります。シメシメ予想通りの反応だわと、嬉しくなりました。「面白い!面白い!こういうの大好き!」とニコニコ顔で「私は、絶対にこしあんが好き!」と付け加えました。娘は、すっかり「あまのファン」です!

「肉」にドキッとしつつも興味深く読ませていただきました。百人一首にはトンと暗いので、桃尻語訳を読みたくなりました。
by うるら (2006-01-04 19:36) 

ムンチョバ

あけましておめでとうございます。
百人一首は坊主めくりをよくしていましたが、歌自体は昔の恋文だと言うことしか認識していなかったので、勝手に内に秘めたる想いを切なく美しく遠まわしに歌っているのかなぁと思っていました。

こんなに直接的な内容だったとは…!
言葉遊びなどで頭を使う事位しか退屈を凌ぐ手段が無かった時代の方が表現力が豊かに育っていたのでしょうか。

今は、多くのものが便利になり考えなくても生活に困る事も無く、退屈すると、頭を空っぽにしてTVゲームやバーチャルの世界に没頭出来る為、言葉もどんどん形を変え、絵文字だけの手紙で意思の疎通が出来ちゃいますものね。

私も、子供の頃の方が、語彙が豊富だった様に思います。
使わないうちにどんどん忘れていっちゃうのでしょうね・・・
言葉や文章表現で数々の失敗をしているので、今年は桃尻語訳を読むことから勉強しなおしてみます。
今年も何卒よろしくお願い申し上げます。
by ムンチョバ (2006-01-04 20:40) 

momo

強引なアマノさん、コメントします。たいした内容でもないのに、ほかの言葉に置き換えると深い味わいがでる、というところですけど、原語(英語)では普通のことを言っているのに、日本人がそれを読んで翻訳すると高尚なものに変身してしまう、ということも多いようです。児童書なども日本では豪華な装丁にカラーの挿絵つきで、外国の香りを漂わせる。これこそマジック、だまされて幸せ、です。だまされているのは私くらいかな?
 それにしても、肝心なことを抜きにして古文の先生何を教えていたのでしょうか?
by momo (2006-01-05 00:01) 

gillman

百人一首ですか。子供のときにはよく正月に「坊主めくり」をやりましたが、親父に花札を教わってからは、正月はもっぱら花札でもらったお年玉を親父に巻き上げられていました。(話は変わりますが、花札のデザインって素晴らしいですよね、グラフィック・デザインの原点ではないかと思う時もあります)
 言葉の力はすごいですね、日本語は特に凝縮した表現の中に無限の世界を創り出すことができる言語だと思います。「逢いみる」もそうかもしれませんが、含蓄のある語彙が多いことも世界を深くしているのではないでしょうか。
それに比べると現代の日本語は語尾のモダリティーが発達しすぎていて気持ちを全て語尾に預けるような言葉になっているような気がします。
 俳句のような言葉の世界は韓国人なんかはすごく共通しているところもあるのか、中級くらいの日本語力の韓国の学生に俳句を作らせると、うーん、その気持ちよく分かるよね、というような句を作ります。韓国人の女の子が作った句で、
■分かれよう 彼の一言 やまぬ雪
というのがあって、ちょっとウルッとなりました。

落語の「千早ふる」もいいですね。好きです。
とりとめのない話になりました。今年もよろしくお願いいたします。
by gillman (2006-01-05 10:29) 

ひゃくみ

明けても明けなくてもいつも目出度いひゃくみです。
さて、年越しの、「よねまんじゅう」の話ですが、
「よね」は「女郎」を意味するらしい。
「夜寝」からきている、という説。
「よたれそつね」の上、下から「よね」という、
中に「たれそつ」と文字四っ有り「しじ」を
はさむという洒落である、と鳶魚が書いている。
この意味が分からない。
「しじ」は「四字」とかけているんだろう。
『しじ』という言葉を広辞苑で調べてみたら、
『しじの端書き』という故事があるらしい。
小野小町に恋焦がれた深町の少将の
伝説でかなわぬ恋への男の熱情とある。
うーむ、相手が小野小町ならば
やろうと思ってもできねぇ、
永久にイライラが続く。
「しじはさみの説」の「しじ」はこの「しじ」で
あろうか?通っても通ってもかなわぬ恋、、
しかし「しじの端書き」であって「はさむ」では無い。
「しじ」の広辞苑の解説には二つ前に「小児の**」
とある。これをはさむとはいかにも直接的すぎる。
てなこと考えていたら年が明けちゃったい。
ああ、あんこ学への道は遠い、
あんこに入る前に、
まんじゅう皮の前で逡巡している私は
阿呆です。
まぁ、正月だから言っちゃうけど、
「まんじゅう」にはもっと直接的な意味も、、
by ひゃくみ (2006-01-05 19:52) 

nina_day

何時の世だって
たいていの美味しいところは
おいしいところは…大人の両分!!
そんな気がしてなりませぬ…!!ね。

だから、子どもは大人になりたいし
そして、その甘さも、紙一重で自分のものか
他人のものかと、人生は変化するようにも。

罪人にとっては、逞しく映る海女の姿は命のみなぎり、
さぞ素晴らしくネタマしかったろうと想像します。

それにしても江戸と京都はこしあんが似合います。
でも、江戸にしてみればツブアンの方がらしかったのか
今の世なら尚更にまた。
桜も外せない…って考えてたら
桃尻語訳を読みたくなりました。
by nina_day (2006-01-06 02:19) 

nina_day

今日AppleさんのMusicStoreで百人一首が出てましたすごいです。さっそく購入して、聴いてます。
 地元鹿児島の名物に加治木まんじゅうがあります。それで一番人気で美味しいといわれるのが、新道屋さんのもの。こしあんでほぼ2mmていどのやわらかな薄い皮。あつあつをほおばるのが至福ですが、冷めてもやわらかく美味。大判(だいたい直径10cmくらい)の酒蒸しまんじゅうです。殿様も愛され、他国に行かれたお坊さんなどや商人も献上してたようです。職場で人気の回転焼き(地方によっては蜂楽まんじゅうと呼ばれますよね)これもやっぱりこしあんに軍配があがります。しろあんかくろあんかとくれば「くろ」です。小さい頃はお腹がふくれる皮が厚いのが大好きでしたが…大人になって繊細な味の良さをわかるようになりました。^^男性のパンツはトランクスが良い派です。たまーに魔が差してボクサーも良いと思う時もあります。似合う人がいればそう思うみたいで…。これは「良い例」側で例えば「甘い人生」でイ・ビョンホンが履いてたのがボクサーだった気がするんですけど。
  そういえば、ご存知かもしれませんが最近コンビに出てたチョコで、あんこ味のチョコレートがありました。もみじの形、扇の形、ホワイトチョコとの“重ね”のグラデーションが素敵な、かわいいチョコでした。抹茶味が美味しかったので小倉も買ったのですが、商品としてはパッケージにあるとおり、完全に味は小倉あんなんですが、残念ながらいまいち単体では美味しく感じられません。それであとでカレルチャペックの栗のフレーバーティと共に食べたら、素敵な組み合わせで満足できました。でもこれはなかなか難しい…とおもわずこぼしつつ食べました。
by nina_day (2006-01-08 02:04) 

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