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色即是空、ゴーン! [あんこ学]


ご存じ、安珍と清姫です。一目ぼれしてモーゼンとせまる清姫から、安珍は言葉巧みに逃げるのですが、それでもあきらめぬ清姫は、蛇身と化して追いかけていく。道成寺に逃げ込んだ安珍は寺の僧侶たちに頼んで鐘の中に身を隠すのですが、清姫はそんなことではあきらめない。大蛇となってその鐘にからみつき、火焔を吐いて鐘ごと安珍を焼き殺してしまう。見てください。焼かれた鐘の中から、黒焦げの安珍がコロリと出てくる絵がこわいですね。


それにしても、鐘にうらみはかずかずござる、亡くなった歌右衛門の「娘道成寺」は、ホント、すごかった。美しさも絶品でしたが、それだけじゃない、こわいんです。白拍子の美しさのなかから、ときどき、ギラッと蛇性の目が光る。あの人の娘道成寺が見られる時代に生まれ合わせて、本当によかったなと思います。ぼくらが出している「広告批評」という雑誌で、歌右衛門さんと淀川長治さんの対談をやったときは、うれしくってもうドキドキものでした。
ま、それはともかく、その説話の舞台をいちど見てみたいと、だいぶ前ですが、紀州の道成寺へ行きました。物静かなたたずまいのお寺で、本堂には国宝や重要文化財の仏像がたくさん置いてあるのですが、やはり観光客に人気があるのは、鐘つき堂の跡なんですね。もちろん、鐘はありません。呪われた鐘はどこかへ持ち去られてしまっていて、いまは鐘つき堂の台座みたいなものだけが残っている。そのまわりに人びとが集まって、思い思いに「ない鐘」を見上げているんですね。
ないんですよ、鐘は。ないのに、みんな見ている。ないものの先にある何かを見ている。そいう目をしている。そうなんですね。この道成寺の名物は「ない鐘」なんです。「ない鐘」が、人を集めているんです。「色即是空、空即是色」……あるからない、ないからある。思わずぼくは、この言葉を思い出してしまいました。
で、こしあんです。こしあんは小豆で作っているのに、小豆が見えない。口に入れても、つぶあんほどには小豆に特有の味や匂いが感じられないんですね。頼りないというか、存在感がないというか。しっかりしなさいよ、どうしてお前はそうなの、と、つい言いたくなってしまう。
でもね、思うに昔の人は、とぼくは思うのですが、小豆がへんに自己主張して、「おい、おれだおれだ、おれはここにいるぜ」なんて言っているのがいやだったんだと思う。小豆がへんにがんばっている姿を見て、「みっともない」と感じたんじゃないでしょうか。だいたい「頑張る」というのは「頑なさを通す」ということで、江戸時代には嫌われた言葉だったんですね。(亡くなった杉浦日向子さんがよく言ってましたっけ)。個性とか自我とか、そんなみっともないものは恥じて隠すのがふつうであって、それでもなお、隠した下からはみ出してきてしまうものが個性だ、と言えばいいでしょうか。
というわけで、小豆なのに小豆が見えない。あるのにない。でも、ないからある。なんだか禅問答みたいですが、もともと日本の文化は禅の落とし子みたいなところが多分にあるんですね。そんなこんなで、こしあんは、日本文化の本質を、あのとらえどころのない黒いからだで、精いっぱい表現しているんじゃないか、とぼくは思っているのです。
だが……です。そうは問屋がおろさない。そんな簡単に片づけられたら、つぶあん派の立場はどうなるんだ、ブリーフをはいてる人間は日本人じゃないっていうのか、この野郎いいかげんにしろ、という声が野に満つることでしょう。
そうなのです。話はこれでは終わらない。むしろここからまたはじまると言ってもいいのですが、つづきはまた来年、ということにします。どうぞいいお年を。で、来年もこのバカ話につきあってください、、どんどん意見を言ってください。
大晦日愚なり元日なお愚なり 子規
ゴーン!


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ちょっと道草。 [あんこ学]

とつぜんですが、「旧ソ連におけるリーダー交替の法則」という有名な法則があります。ただ、最近は知らない人がふえてきているようなので、今回はちょっと寄り道して、その法則をご説明しましょう。時間の無駄のようですが、こんなブログをのぞいてる人はどうせ暇なんだし、それにこの法則が、のちのちこのシンポシオンのなかで大きな意味をもつことにもなります。暮れでいそがしいだのなんだの言わずに、ちょっと聞いてください。

さて、この写真はソ連の歴代のリーダーを時系列に並べたものです。左上から順に、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ、ゴルバチョフ、エリツイン、という顔ぶれです.正確に言うと、スターリンとフルシチョフの間にマレンコフという人がいるのですが、この人は8日間でフルシチョフに席を譲ったので、ここでは省きました。
さて、この8人の交替にどういう法則があったか。よく写真を見てください。わかりましたね。そう、なんと髪の毛が、はげ~ふさふさ~はげ~ふさふさ~はげ~ふさふさ、と、順番に変わっているんですね。ただし、5番目のアンドロポフと6番目のチェルネンコだけは在任期間も中途半端なら髪の毛も中途半端なので、ちょっと目をつぶっていただきたい。そうすれば、この法則はみごとに成立することになるのです。
だからさあ、お前、なんなんだよ、なんて言わないでください。こういうことって、実は、こしあんとつぶあんのモンダイ並みに、あるいはそれ以上に、大きなイミを秘めているのです。ひとことで言えば、時代という時間は、波のカタチをして進んでいくということですね。
いやはや、こういうことをもっともらしく言うのはとてもエネルギーを消耗します。だから、もうやめます。ただ、この法則だけは、一応、おぼえておいてくださいね。
年内にもう一回、更新するつもりですが、もししなかったら、あんころ爺はあんこにあたって寝込んでいると思ってください。


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こしあんは宇宙である? [あんこ学]

日本の文化が、中国の影響からなんとか抜け出して、独自の花を咲かせたのは、室町時代だといわれています。で、その代表は、なんと言っても、「茶の湯」でしょう。
あ、ぼくは伊右衛門をラッパ飲みしてるほうですから、茶の道のことはまったくわかりません。
でも、あちこちの有名な茶室をのぞいたり、りっぱな茶器を見たりするだけでも、(そうそう、元首相の細川さんも、いい茶器をつくるんだよなあ、血筋かなあ)、その洗練された美しさがわかります。あの芭蕉さんも、「一休の禅における、世阿弥の芸能における、宗祇の文学における、雪舟の美術における、その貫通するものはすべて究極」と絶賛していますが、この人たちと同じころに能阿弥という、連歌師で画家で鑑定家の人がいて、茶道の基礎を作ってるんですね。その後、数十年で千利休という天才が現れて、アートとしての茶道を確立した。茶室のツクリといい、その簡素な内装やインテリアといい、そこで使われるいくつかの茶道具といい、いやもう、洗練の極みといっていいように思います。
と言っても、伊右衛門をラッパ飲みしているぼくが、茶の道についてもっともらしいことを言ったら、それこそヘソが茶を沸かす。だから、そんな茶番はやりません。
ただ、ものの本によると、茶人のことを「数奇者」(すきもの)というんですね。で、茶碗の美を「数奇の美」、茶室のつくりを「数奇屋づくり」という。で、この「数奇の美」については、古来、いろんな解釈があるらしいんですが、岡倉天心さんは、「数奇屋」とは「好みの住まい」という意味であると同時に、余計な装飾を一切排除した「空き家」(すきや)だと言っている。人間の想像力を働かせるために、わざと何かを未完のままにしておく、不完全なままにしておく、そこに数奇屋の意味がある、というわけです。それに対して、柳宗悦さんは、完全とか不完全とか、そんな境界をこえたところにある「自由の美」こそ、数奇の美の本質だと言っているんです。ちょっとむずかしいけど、面白い話だ思いませんか。

そこで突然ですが、「こしあんの美」もまた、同じようなものではないか、とぼくは思うのです。たとえば、銀座木村屋のこしあんぱんは、実は「空き家」なんですね。あんこが入っているように見えるけれど、実は入っていない。いや、正確に言えばですね、そりゃ入ってますよ。でも、入っていることを意識させない。そこが、こしあんの数奇なところというか、風流なところというか、粋なところというか、好きなところなんですね、ぼくは。「おい、おれはあんこだぜ、あんこ人生もたいへんなんだぜ」なんて、へんな自己主張をまったくしない。
それはまるで、宇宙のようですね。宇宙は無の空間ですが、じつは無じゃない、ぎっしり何かがつまっている。でも、それを感じさせませんよね。
おそらく、こしあんをはじめて作った人も、あんこであることを感じさせないあんこをつくろうと思ったに違いない。自分の作ったものに「高級つぶあん」なんて、やぼなレッテルを貼りたくないと思ったんでしょうね。そうだ、作り手の技術や努力を、まったく感じさせないあんこにしよう。見える技術や努力は、しょせん貧しいのだ。

ぜったい承服できないでしょ? いいんです。承服しないでください。でも、こしあんを愛するには、このくらいこしあんにのめりこまなければいけない。こしあんのなかに身を投げなければいけないと、ぼくは思うんですね。
ということで、お疲れの目に、銀座木村屋の「五色ぱん」をどうぞ。写真は(上右から左へ)桜(こしあん)、つぶあん、こしあん、(下右から)白つぶあん、うぐいすあん。
念のため、桜あんぱんを二つに切ってみました。中が空っぽに見えるでしょ?え?見えない?そうですか。


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優雅なもの [あんこ学]

優雅なもの!
淡色に白がさねのかざみ!
雁の卵!
カキ氷にシロップを入れて、新しい銀のカップに入れたの!
水晶の数珠!
藤の花!
梅の花に雪が降りかかってるの!
メッチャクチャに可愛い子供が苺なんか食べてるの!

これ、知ってますね。そう、清少納言の「枕草子」第四十二段ですね。
ただし、これは原文ではなく、現代語訳。橋本治さんの「桃尻語訳枕草子」です。
いいんだよね、この訳文がまた。有名な第一段の冒頭「春はあけぼの。」のところは、「春って曙よ!」になってる。「面白いけど、やりすぎじゃない?」って、当時、橋本さんに会った時に言ってみたら、「これでいいの。彼女はこういうノリの人だったの」と叱られました。そうか、清ちゃんはこういう人だったんだ、と、以来ぼくは、清ちゃんにすごい親近感を持つようになりました。林真理子さんみたいな人だったのかな。
ま、それはともかく、この「優雅なもの」(原文は「あてなきもの」)のなかに、「カキ氷にシロップを入れて」とあるのには、びっくりですよね。1000年も前にカキ氷があった! いや、あったんですね、これが。でも、まさかシロップはないだろう、と思うでしょうが、これもあったんです。原文は、「削り氷にあまづら入れて」となっているのですが、氷を小刀でけずって甘葛煎(ツタからとった甘味料)をかけて食べたんです。たぶん、氷みぞれみたいなものでしょう。貴族の子女が、こういうのを食べている様子は、たしかに優雅だっただろうなあ、と思います。
ただし、この時代にはまだ、砂糖はなかった。砂糖が外国から入ってくるのは、まだだいぶ先のことです。でも、もしこの時代に、甘いあんこがあったら、清少納言は、氷あずきを食べたかも知れない。で、それはぜったいにこしあんであろうと、ぼくは確信しているのです。その確信はどこから出てくるか。それは次回のことにして、今夜は虎屋の最中を食べて寝ます。たぶん、優等生的な味でしょうね。
そうそう、虎屋って、室町時代からお菓子屋さんをやってるんですねえ。えらいですねえ。よくあきないですねえ。ま、あきない(商い)っていうくらいですからね。(お前、疲れてるよ、さっさと食べて寝なさい)





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ひつじのあつあつ。 [あんこ学]


広尾の日赤通りを歩いていたら、「麻布昇月堂」という和菓子屋さんに「新栗の蒸羊羹できました」という紙がはってあって、ふらふらとお店の中に入ってしまいました。
で、もちろん、新栗の蒸羊羹を買って、横にあった「一枚流しあんみつ羊かん」というのも買ってしまったのですが、「あんみつ羊かん」はともかく、「一枚流し」っていうのがいい。買わないやつはあんぽんたん(あんぱんまんじゃありません)だという気がしちゃいますね。
だいたい、この蒸羊羹というのが、懐かしい。いまは羊羹といえば練羊羹ですが、練羊羹ができたのはたかだか200年くらい前のことで、それまではずーっと、羊羹といえば蒸羊羹だったんですね。
ものの本によると、羊羹は、鎌倉時代に禅僧が中国(宋)からもたらしたのがはじめだそうです。禅文化と一緒に、抹茶と点心という食文化がやってきた。で、その点心の双璧が、饅頭と羊羹だったんだそうです。
実を言うと、ぼくは、あんこはまず最初につぶあんがあって、皮が邪魔だというんでこしあんが生まれて、それから羊羹が誕生したんだと思っていたんですが、どうも違ってた。
まず、羊羹があって、その羊羹づくりの過程からこしあんが生まれたらしい。で、そのときにはまだ、砂糖入りのつぶあんというのはなかったらしいんです。
それにしても、羊羹っていう名前はすごい。「羹」というのは、「あつもの」とか「汁物」のことですが、中国でのもともとの羊羹は、羊の肉をとろとろに煮込むか蒸すかしたものに、あつい汁をかけて食べるものだったんですと。すげー。ところが、日本には、馬鹿はいても羊はいない。それに、禅僧はタテマエ上肉食ができないので、羊の代わりに小豆や米や小麦などを粉にして、それを羊の肉に見立てて成型し、それを蒸したものに汁をかけて食べたんですと。すげー。その作り方を書いた当時の本によると、小豆を煮て皮をとり、それに葛粉と砂糖をまぜて蒸したそうで、その時点でもうこしあんは存在していたということになりますね。
それからいまの羊羹になるまで、羊羹もたいへんな旅をしてきたものだと、あらためて思いました。それを思うと、とてもおろそかには食べられない。「羊羹さん、ご苦労さん」とその労をねぎらって、昇月堂の新栗蒸羊羹を食べることにします。
(今回は青木直己さんの「図説和菓子今昔」にいろいろ教わりました)


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見巧者の話 [あんこ学]

四国の松山で、竹本住大夫さんにお会いしてきました。住大夫さんといえば、人形浄瑠璃の第一人者で人間国宝の方ですが、ちっともえらぶったところのない、それどころか、大阪弁で気さくに話される、ぼくの大好きな人です。冗談まじりで話されることが、実は奥の深い芸談になっていたりして、しんそこ楽しい時間を過ごしました。ちなみに、この人間国宝はつぶあん派だったことを、ご報告しておきます。
なんて言いながら、ぼくは文楽の舞台を、まだ5回くらいしか見ていません。歌舞伎はかなり見ていますが、それでも「通」なんてとても言えない。だから、えらそうなことは言えないのですが、昔は
「見巧者」という言葉がありました。みごうしゃ。見るのが巧みな人。目の肥えた人。歌舞伎や文楽の観客のなかには、そんな見巧者がたくさんいて、「よっ、待ってました!」とか、「日本一!」とか、「引っ込め、大根!」とか、応援や批判のやじを飛ばして、舞台の質を支えていたんです。そう、舞台というのは、役者や芸人がつくるもんじゃない、観客がつくるんですね。
で、そういう見巧者というのは、見方がじつに細かい。芸のディテールにうるさい。たとえば、近松門左衛門の「曽根崎心中」を見るとしますね。いまの観客だったら、あんなことで死ななくていいんじゃないか、とか、二人を苦しめている封建的な社会制度にモンダイがあるんじゃないかとか、広い視点からものを言う。でも、当時はそういう視点は閉ざされていましたから、必然的に観客の目は、芸の細部へ細部へと、向けられていったんですね。で、「きょうの幕切れの藤十郎は、もうひとつ手のあげ方が低かった」なんてことを言う見巧者が生まれていったんだと思います。
つまり、目(と耳)だけが異常なくらい洗練された観客が多くなっていったわけで、そういう観客の要求にこたえるために、芸もまたどんどん洗練されていく。日本の伝統芸能の洗練度の高さは、そんなところから生まれてきたんじゃないでしょうか。
それはまた、芸能だけでなく、日本の伝統文化全体に言えることじゃないか、とぼくは思っています。あの、和菓子のネーミングやデザインの洗練ぶりを見てください。洋菓子にも、もちろんしゃれたのはたくさんありますが、とても和菓子の敵ではない。そして、究極としてのこしあんの洗練……と話をもっていきたいところですが、急いてはことを仕損じる、加藤周一さんのすばらしい文章をちょっとご紹介して、それから、松山でもらったへんな大福の話をして、それから、きょうは寝ることにしたいと思います。

「いまここの日常的世界は、私たちの感覚を通して与えられる。その世界を、それを超える何ものかと関連させることなしに一つの文化が成熟すれば、そこには感覚の無限の洗練が起こるだろう。たとえば、色の感覚は鋭くなり(平安朝日本語の色名の豊富さ)、嗅覚は冴え(香合せ)、耳は複雑な倍音を聞き分けるようになる(能の鼓)。そのような感覚の洗練の極致が集中して成立したものが利休の茶の湯であろう。その意味で、利休は決して孤立していたのではなく、一つの感覚的文化を要約していたのである。」(加藤周一「日本その心とかたち」より・徳間書店)

さて、と。松山からの帰りに、知人がおみやげをくれました。「霧の森大福」っていうの。四国中央市で作っていて、ネット通販のお菓子の第1位になったこともあって、大評判だからなかなか手に入りにくくて、という話題の大福だそうです。
で、あんころじすととしては、家に帰ってすぐ口に入れてみたのですが、中身がななななななななななななーんと、こしあんと生クリームの詰め合わせではありませんか。
正直言って、この味は、あんころ爺にはよくわからない。で、仕事場ヘ持って行きました。で、仕事場の若い女性5人に試食してもらったところ、
女性①後味がさっぱりしていて好き。
女性②おいしい。どうおいしいかって、ただおいしい。
女性③クリームが好きだから好き。
女性④上品ですね。
女性⑤もう一つ食べていいですか。
という反応でした。
ま、いまはこういうのがはやりなんでしょうか。おおむね、評判がよろしいようで。
よろしかったら、おひとつ、どうぞ。


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人前のキス。 [あんこ学]

きょう、、渋谷の人通りのなかで、抱き合ってキスをしている若い二人を見ました。あなたは、こういう光景を見たとき、みっともないと思いますか。
ぼくは思いました。えーっ!といわれても、そう感じるんだからしょうがない。
でも、なぜ、そう感じるのか。そこがモンダイです。
愛し合っている二人がキスすること自体は、自然なことです。けっこうなことです。どんどんやればいい。ただ、路上で、人目をはばからずにやるのは、ちょっと困る。
なぜ困るか。思うに、そんな「しぐさ」の文化が、日本にはないからです。
「しぐさ」も言葉の内です。たとえば、アメリカ人が、両腕をひろげ首をすくめて「オー、ノー!」って、よくやりますよね。あのしぐさは「オー、ノー!」という言葉とちゃんと対応しているわけで、ぼくら日本人が「とーんでもない!」といいながらあのしぐさをしてごらんなさい。ぜんぜんヘンチクリンというか、似合わないんじゃないでしょうか。
それと同じようなもので、街頭でキスをするという「しぐさ言葉」が、日本にはないんですね。ない言葉を使おうとするから、見ていてぎごちない感じがする。ぎごちないから、みっともなく見えてくる、ということじゃないかと思うんです。
もっとも、いまは日本語もどんどん変わっているから、路上のキスも自然なしぐさになってくるのかも知れない。でも、そう変わることがいいことかどうか。ま、これはいい悪いのモンダイではないのですが、ぼくには疑問です。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本の女性の礼儀作法の完成度の高さに、もはやそれは芸術の域に達していると、手放しで感動しています。「洗練の極致」とは、ああいうものを言うんだろうと、ずっとぼくも思ってきました。
ま、いまどきそんなものを懐かしがってもあとの祭りですが、あの洗練された「しぐさ」は、当時の日本語の洗練度と、ぴったり寄り添っているというか、表裏一体のものだと、ぼくは感じています。(これは、小津安二郎の「東京物語」を見ればよくわかります)
ところで、こうした日本文化に独特の感覚的洗練性は、和菓子の感覚的洗練性と深くつながっている。そして、あんこの問題もまた深くかかわってくる(かもしれない)と、思うんですね。で、そこへ突っ込む前に、みっともないというのも、100%感覚のモンダイなので、以下の例を「みっともない」と感じるかどうか、教えてくれるとうれしいです。
①路上のキス。(人通りの多い午後3時)
②歩き食い。(おにぎりとか肉まんとか)
③らっぱ飲み(水やコーラのびん)
④バイキングの山盛り(われながら取りすぎた!)
⑤道端のうんこずわり
⑥ごみの無分別(ひとに見られた!)
⑦全身一流ブランドづくめ(で宵の銀座を歩く)
*ほかに、みっともないと感じることがあったら、ぜひ。
明日から、3日ほど、四国の松山へ行きます。一六タルトと山田屋まんじゅう、食べてきます。


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あんぱん批評 [あんこ学]


どっちもあんぱんです。ふたつとも、コンビニで買ってきました。値段はどっちも105円。
商品名は、左がヤマザキの「高級つぶあん」、右は銀座木村屋の「あんぱん」です。
袋に印刷された広告コピーはこうです。
「餡と栗のおいしさを引き出すために、丹精込めて炊き上げた栗粒入りのつぶあんを丁寧に手包みしました。」(ヤマザキ)
「北海道の襟裳小豆使用。さらっとした口溶けが新しい。」(木村屋)
木村屋のほうは、さらに、こんなコピーもついています。
「日本ではじめてのあんぱん、酒種生地使用。生地を練りはじめてからこのパンが焼き上がるまで一日半。筑波山中での酵母の採取から数えれば十一日。創業以来の酒種生地は、いまも変わらず手間暇かけてつくっています。だからこその風味と香り。パンは生地がいのちです。」                 *
さて、木村さんと山崎くんの売り方は、どっちがうまいと思いますか。
店頭でぱっと見た目には、山崎くんのほうが目立ちます。デザイン的に強いというか、パンチがある。鮮明に印刷された小豆の写真が、このぱんがあんぱんでありつぶあんぱんであることを、ひと目でわからせるつくりになっている。ただ、「高級つぶあん」の「高級」がやですね。自分で高級って言う人に、あまり高級な人はいないんじゃないでしょうか。もっとも、「高級つぶあん」とは書いてあるけど、「高級つぶあんぱん」とは書いてないから、これはあんこだけの話なんでしょう。
それにくらべると、木村さんは、やはり明治生まれの人らしく、すべてにおとなしい。コンビニの棚でも山崎くんに押されてつぶれそうになっていました。図体の大きさが、かなり違うってこともありますね。
でも、銀座の本店で売っている桜あんぱんにくらべると、これはかなり大きい。3倍はある。山崎くんに対抗するために、量産用の大型を開発したんでしょう。
それにしても、木村さんは、袋に書かれているコピーが多すぎる。言いたいことがそれだけあるというのはいいことで、「高級」なんて言わずに品質のよさを具体的に説明しているのは立派ですが、これをコンビニでじっくり読む人はいないと思います。だから、説明によってでではなく、パッケージのセンスのよさで高級感を出し、山崎くんを「つぶめ!」と鼻先でせせら笑うような感じにしてほしかったとぼくは思うのですが、コンビニむけとなると、コスト的にむりなんでしょうかね。
でもね、一回食べてもらえば、その違いははっきりわかるんです。山崎くんより「いい」とか「おいしい」という意味じゃなく、木村さんの「こしあんぱん」が、ほかのどのあんぱんともはっきり違う個性を持ったあんぱんであることが、食べればだれにでもすぐわかるんです。その個性を、もっと目に見えるカタチで出さなくっちゃ。頼むぜ、木村さん、とぼくは思ってしまったんですね。
とまあ、あんぱんひとつ食べるに、なんだかんだとうるさいやつだ、と思われてもナンなんで、食べました、ふたつとも。
結果は、どっちもまあまあでしたが、山崎くんの「栗入りつぶあん」は、ちょっと誇大だよ。ちいさなカケラが3つ入ってただけだぜ。でもね、たしかにあんはおいしかった。ハングリーな若者には、とても親切なパンだと思う。
一方の木村さんは、量産用だけに、本店のほど上品ではないけれど、ちゃんと木村屋の味にはなっている。ただ、木村屋のあんぱんは、小さくて、ちょっと物足りないくらいがいいんであって、馬が食うわけじゃなし、あんな大きいのはどんなものか。そんな思いが残りましたね。
あ、そうそう、ハワイの木村屋には、どうしてつぶあんのあんぱんしかないのか、わけわからん。こしあんも置け、と、店に来ていた外人客が怒っていましたよ。ぼくも怒った。
                  *
というわけで、消費者のみなさんへのぼくの提言は、どっちでも好きなほう食え、ということになりますが、正岡子規さんへのお見舞いに持って行くのなら、やっぱり、木村さんのほうでしょうね。
木村さんの初代が日本ではじめての桜あんぱんをつくったのは、明治8年(1875年)で、そのおいしさと珍しさで東京中の大評判になったそうですが、その8年後の明治16年に、子規は大きな夢を抱いて四国の松山から東京に出てきている。好奇心旺盛な彼のことですから、木村さんちの桜あんぱんは、食べたにちがいありません。前に子規の「仰臥漫録」の中にある彼の絵をお見せしましたが、あの中に描かれているあんぱんは、やっぱりこしあんの桜あんぱんだと考えていいでしょうね。
それにしても、どうして初代の木村さんは、あんぱんのあんをつぶあんではなくこしあんにしたのか。今回はそれについてのぼくの考えを書くつもりだったのに、もう夜中になってしまった。あんこがちょっと胸につかえ気味なので、キャベジン飲んで寝る。またね。


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あんころ爺のひとりごと [あんこ学]

「ヤだね」と、母はよく言った。
「いい」か「わるい」かではなく、「イキ」か「ヤボ」かが、物事を評価する母のモノサシだった。かっこ悪いものやマナーの悪いものに出会うと、母はちょっと眉をひそめて「ヤだね」と言ったものだ。
母は明治生まれの江戸っ子だった。江戸と言っても足立区の千住だから、ちゃきちゃきとは言えない。が、気分はいつもちゃきちゃきで、ポンポンものを言い、シャンシャン行動した。
趣味は長唄だった。三味線はほどほどだが、唄がうまかった。母が子どものころは、下町の女の子のけいこ事と言えば、長唄がふつうだったらしい。幼いころから習った長唄を、18歳で酒屋のおかみさんになってからもうたいつづけ、後年、暇ができてからは、お師匠さんから名前をもらって、近所の人に教えるようになった。
子どものころ、母たちがうたう「勧進帳」とか「娘道成寺」とかを聞いて、その意味はほとんどわからなかったけれど、唄の向こうから、甘く、妖しく、美しい世界がゆらゆら立ちのぼってくるのを、ぼくはどきどきしながら感じていた。
「イキ」と「ヤボ」のモノサシで世間を見る母の美意識は、そんな長唄がかもし出す空気と当時の下町の気風のなかから、生まれ育ったものなのだろう。
母は、教育がましいことは何ひとつ言わなかったが、母の強烈なまでの美意識が、母のふだんの言葉やふるまいを通して、ぼくのなかにじわじわとしみこみ、いまのぼくの感じ方や考え方をつくっているのではないかと思う。
その母も、だいぶ前に世を去った。が、いまでも、自分の言ったことやしたことが、みっともなかったなと感じたときなど、母の口ぐせの言葉が、耳に聞こえてくるような気がする。
「ヤボはヤだね」

長い文章を読ませてごめんなさい。これ、ことしの5月20日の毎日新聞(大阪版)に書いたものです。ぼくの母のように、なんでも「みっともない」といった美意識に還元してしまうのは困りものですが、いまはこういう意識がうすっぺらになりすぎてしまったような気がする。それもまた困りものではないかと思います。
ぼくが子どものころ、ごはんを残したり、こぼしたりすると、母は「みっともない」と、ぼくを叱ったものですが、でも、父は違った。父は「もったいない」と言いました。「みっともない」と「もったいない」。このふたつの言葉は、別に反対語ではありませんが、このふたつの言葉のズレというか、スキマの向こうには、どうもいろいろなものがひそんでいるような気がします。あなたはそんなとき、なんと言って叱られましたか。
あまり長くなるから、つづきは次回にしますが、ちなみに、ぼくの母はこしあん派、父はつぶあん派でした。


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