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箱根の山は天下の険 [ことばの元気学]

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むかし、友人に誘われて中国の長江下りをしたとき、黄山にもちょっと寄り道しました。世界遺産にも指定されている、中国一の名山であり、いくつもの山がほぼ直角にそそり立って一つの山を形成する天下一の奇山です。
高さは1873メートル。山にはほとんど階段がついているし、どうってことないだろうとタカをくくったぼくはばかでした。アホでした。
いやあ、そのたいへんなこと。ほとんど死にそうになって階段を登っていたとき、ふと口をついてこの歌が出てきたのには、びっくりしました。

箱根の山は 天下の険
函谷関(かんこくかん)も 物ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳え(そびえ) 後に(しりえに)支う(さそう)
雲は山をめぐり
霧は谷をとざす
昼なお暗き杉の並木
羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は
苔(こけ)滑らか
一夫関(いっぷかん)に当るや
万夫(ばんぷ)も開くなし
天下に旅する 剛毅(ごうき)の武士(もののふ)
大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ
八里の岩ね踏み鳴す(ならす)
斯く(かく)こそありしか
往時(おうじ)の武士(もののふ)

ま、へばりかけた自分を鼓舞しようと、思わずこの歌が出てきたのでしょう。
それと、もうひとつ、歌の中に出てくる「函谷関」という有名な中国の難所が、黄山のきびしさと結びついて出てきたのかもしれません。
結果的には、この歌にはげまされ、ぼくは黄山の頂上にたどりつきました。そして、二度とこんなたいへんな所には来ないぞ、と心に誓ったのでした。

それにしても、こんなむずかしい歌詞を、1か所も間違えることなく、すらすら歌えたのには、われながらオドロキでした。意味なんかわからなくても、言葉は音の調子でしっかりおぼえてしまうものなんですね。

子どものころ、この歌の歌詞にとまどった話は、尊敬する山口瞳さんが、週刊文春の「男性自身」の中で、実に面白く書かれていました。
で、それを読んだとき、ぼくも子どものころに、まったく同じ思いをしたことを思い出して、ゲラゲラ笑ってしまったものです。

ぼくの思い出でいえば、まず、「かんこっかん」がなんのことやら、さっぱりわからない。文字で見てもわかりませんが、ましてや「カンコッカン」なんて音で聞いても、ちんぷんかんぷんです。
「ばんじょうのやま」が前にそびえるのはわかるとしても、「せんじんのたに」が「しりえにさそう」となると、さっぱりわかりませんぜ、これは。なんと、いい大人になるまで、ぼくは「しりえにさそう」の「さそう」は「誘う」だと思い込んでいたくらいですから。
ま、思えば、誘っちゃ困る。転落してしまう。「支える」でなきゃたいへんです。
「ようちょうのしょうけい」も、降参でしたね。まさか、羊の腸みたいに、くねくね続く様子だなんて、羊の腹を切り裂いたこともないし、知ったこっちゃねえ、って感じ。
こんな調子で、初めから終わりまで、まったく意味が分からずに往時の中学生は大声で歌っていたんですから、こわいというか、すごいというか。
でも、いまぼくは、それでいいんだと思っています。意味なんかわからなくても、だんだんわかるようになってくる。それよりも、言葉の持つ音のうねりや響きの豊かさをからだで感じとり、そんな表現の海におぼれてみることの効用のほうが、実は大きいんじゃないかと思うんですね。

げんにぼくは、子どものころにわけもわからずおぼえたこの歌のおかげで、あの黄山の頂きにまで、なんとかたどりつくことができたのですから。


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