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元祖CMソングを訪ねて [ことばの元気学]

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ナポリを発って、ポンペイの遺跡へ。
ここへは、どうしても行きたかった。どうしても会いたい人がいたんです。
アメリウス・ケレルさん。
広告看板の制作者。
といっても、古代ローマ時代の人ですから、とっくに亡くなっています。
ただ、全盛期のポンペイの壁に、この人が書いた広告が残っているんです。
この時代は、もっぱら壁がメディアだったんですね。
で、いまも遺跡の壁に、さまざなな広告の跡ガ遺っているんですが、ケレルさんのがなんといっても傑作という評判で、前々からぼくはその現物を見たいと、思いつづけてきたんです。
そのコピーは、こうです。

皇帝の子ネロの僧侶デシムス・ルクレティウス・サトリーウス・ウァレンスの提供する20組の剣闘士と、その子デシムス・ルクレティウス・ウァレンスが提供する10組の剣闘士が、4月8日~12日にポンペイで闘技を行う。大がかりな動物狩りも行われ、日よけもつけられることになっている。―アメリウス・ケレルがひとり月光の下でこれを書いた。

ま、中身はふつうのお知らせ広告ですが、最後の一行がすごい!
「アメリウス・ケレルがひとり月光の下でこれを書いた」なんて。出来栄えに自己陶酔したのか、ちゃんと自分まで広告している。
いいなあ、こういう人間くさい人、好きだなあ、会ってみたいなあ、と前々から思っていたのでした。
でも、そんなことを面白がっているのは、ぼくだけらしくて、ガイドの標識も地図もない。現物を探し出すのがたいへんでした。
それだけに、やっとケレルさんの作品(らしきもの)を見つけたときは、カンドーしましたね。泣けましたね。

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というわけで、念願の広告とのご対面も果たし、次に向かったのは、これまた有名なベスビオ火山です。
そう、「♪ あか~い火を噴くあの山へ~登ろう~登ろう」という登山電車の歌で知られたあの山ですね。

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場所はポンペイのすぐそばなので、山のふもとにはすぐ着いたのですが、1880年にできた登山電車(写真上左)が1944年の火山活動で破壊されてしまって、それ以来ずっと動いていないんです。
近いうちにまた開通するということで工事をしていましたが、やむなくぼくらは、歩いて山頂に向かいました。
いやー、これが、けっこうきつかった。
でも、それだけに、山頂にたどり着き、はるかにかすむポンペイの遺跡やナポリ湾を眺めたときには、思わず出ましたね、ご当地ソングが。
といっても、思わず口をひらいたのはぼくだけじゃない、取材のクルーも、みんな歌いだしたんです。
「されば、合唱を!」 ということになって、イタリアの青い空にとどけとばかりに、ぼくらは全員で「フニクリフニクラ」を歌ったのでした。

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上がそのときの写真ですが、これを動かして山上の合唱を聞く勇気のある方は、どうぞ下の映像のプレイの矢印を押してください。ただし、おなかをこわして寝込んだりしても、当方はいっさい責任を負いません。
ちなみに、この歌は、1880年、せっかく立派な登山鉄道を作ったのに、さっぱり人がこない。そこで登山鉄道の会社が、ルイージ・デンツァという音楽家に頼んで作ってもらったCMソングです。作詞は土地の新聞記者。いまはすっかりイタリア民謡みたいな顔をしていますが、もともとはCMソング、それも世界で第1号のCMソングだったんです。
(もひとつちなみに、日本のCMソング第1号は、1927年、静岡鉄道が北原白秋に頼んで作ってもらった「ちゃっきり節」です。作曲は町田嘉章さん。これもいまやすっかり民謡扱いになっていますね)


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