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あのころhawaiiは遠かった [ことばの元気学]

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ハワイで思い出しました。
これ、1961年(昭和36年)の新聞に出たサントリー(当時はまだ「寿屋」と言いました)の広告です。

トリスを飲んでHawaiiへ行こう!

このコピーを書いたのは、寿屋の宣伝部にいた山口瞳さん。のちの直木賞作家ですね。ちなみに、同じ部屋には、のちの芥川賞作家・開高健さんが机を並べていました。

1961年といえば、戦後16年、日本が高度成長の入口にさしかかった年です。そう、「レジャー」という言葉がブームになった年でもありました。
が、それでもまだ、ぼくにとってのレジャーはパチンコくらいで、ハワイははるか遠かった。第一、まだ海外旅行なんて自由化されていませんでしたから、ぼくら一般人は海外へ行くことなんかできなかった時代です。

だからこそ、この広告は大ヒットした。
トリスを「買って」ではなく、「飲んで」というところもうまかったし、「ハワイ」が「ハワイ」でなく「Hawaii」であるところも、ぼくらに異国の風を運んできました。
そうか、Hawaiiか……!Hawaiiはi が二つだったのか……!

さらに、この広告のすごいところは、この時期、まだハワイへは一般人は行けなかったのです。だから、抽選で当たっても、ハワイへの航空券がもらえるわけじゃない。ハワイ旅行の積立預金証書がもらえるというわけです。そのうち、海外旅行が自由化されたら行けますぜ、という約束手形だったんですね。

実際には、この翌年、1962年に海外渡航の自由化が実現し、当選した人たちは無事、憧れのハワイ航路へ旅立ったようです。
きっとその人たちの中の何人かは、ワイキキの浜辺で、「憧れのハワイ航路」を口ずさんだのではないか、とぼくは思っています。
ちなみにぼくは、抽選券を8枚送りましたが、はずれました。アタマにきて、またトリスを買って飲みました。

それにしても、ハワイと言えば、まず、日米開戦の場となった真珠湾(パールハーバー)の名が頭に浮かんで当然なのに、なぜかそれは、まったく浮かばなかった。
浮かんだのは「晴れた空」であり、「そよぐ風」です。

♪ は~れた空~ そ~よぐ風~

そう、あの歌詞であり、あの旋律です。とくに、真っ青にひろがる空ですね。
そういえば、「終戦の日」と言われてすぐ思い出すのも,雲ひとつない真っ青な空です。



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