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隠居の繰り言 [ことばの元気学]

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麻生さんは働くことしか能がないそうで。お気の毒です。わたしなんぞ、働くよりは遊ぶほうがずっとうまい。1年中遊んでろと言われたら、366日(うるう年なら)遊んでごらんに入れますぜ。

でもまあ、世間の老人の中には、遊び下手のご仁も多い。そんな人たちには無理やり遊ばせないで、大いに働いてもらおうじゃないか、と麻生の旦那は言うわけですね。
げんに世間には、定年を延長して、死ぬまで働きたいと言う人も多いわけで。

でもねえ、それはちょっと違うんじゃありませんかね。
ほんとに仕事が好きで好きで仕方がないって人もいるでしょうが、たいていの人は、できればのんびり好きなことをして晩年を過ごしたいにきまってる。でもね、それじゃあとても食べていけないから、つまり、お金の面でとてもそんなゆとりがないから、仕方がないから働こうとしてるんじゃないか、と思います。

てことは、これは100%政治のモンダイじゃないのかね。
60過ぎたら、セレブ隠居は無理でも、プアー隠居の暮らしくらい、だれでも手に入る。そんな世の中にするのが政治家という人たちの仕事だと思いますけどね。

20世紀的な、カネと欲望で明け暮れる社会システムは、これはもうはっきり間違っている。CO2で汚れきった空気を、少しでもきれいにしていくのが21世紀のテーマってもんで、「景気回復」より「空気回復」が大切な問題だと思いますぜ、まったくの話が。

それには、政治家の人たちに、そういう暮らしができるような世の中に仕立て直してもらわなくっちゃ。「働け働け」とか「産めよ増やせよ」とか、自分たちが積み重ねてきた間違いから、みんなの目をそむけさせるようなことを言ってちゃいけません。
「こんどの選挙で負けたら、私も隠居暮らしを楽しみます」くらいのことを麻生さんが言ってくれたら、「彼に隠居はまだ早い。働くしか能がないんだら、もう少し働いてもらおう」と、わたしなんぞ、自民党に一票入れてもいいんだけどね。

(写真の扇子の字は、書家の中島広輝さんが書いてくれました。)



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茶番は終わりだ [ことばの元気学]


23日の朝日新聞「CM天気図」に書いたアメリカの選挙CMが、これです。
なにせ、昔も昔、民主党ジョンソン大統領の選挙CMですから、映像も古い。でも、タカ派の共和党を攻撃する映像は、いま見ても迫力十分です。
このCMと、先のオバマさんのときの選挙CMを見れば、日本の選挙CMがいかに古いか、ノーテンキか、見るにたえないか、つまり大衆をバカにしているか、わかるんじゃないでしょうか。

今回の解散を、どう名づけるか。こういうのに答えるのはあまり好きじゃないんですが、断るのもナンなので、ぼくは朝日新聞に「自民党解散」と答えました。
自民党そのものの解散という意味です。
というよりも、自民党に限らない、自民党的なるものが、これで崩壊するだろう、いや、崩壊してくれなきゃ困る、という意味ですね。

自民党的なるもの=20世紀的なるもの=大量生産・大量消費を基盤とする巨大で暴力的な社会システム。これが変わらなきゃ困る。このままじゃ、地球は酸欠状態になって早晩ぶっ壊れる。オバマが「CHANGE」と叫んだのも、まさにそういうことだろうと、ぼくは思うんです。

20世紀の亡霊みたいな政治家たちには、もちろん野党も含めて、この際、消えてもらいたい。
で、すべてをキャッシュに換算するような濁りきった社会の空気を、思いっきり換気しなければいけない。
そういうことをしっかり見通して、ぼくらに届くことばで「21世紀の日本」について語りかけてくるような、そんな選挙CMを見せてくれなきゃ話にならない、とぼくは思っているのですが、さて、どんなCMが出てくるか。

そう、茶番はもう終わりだ。




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ユーモア小国 [ことばの元気学]

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「私を総裁候補にするなら、自民党から出馬してもいい」
衆院選に出馬を要請する自民党の幹部に、東国原さんが大まじめな顔でこう言った。
あれって、サイコーのユーモアだと思った。
「あ、日本の政治家にも、やっと本物のユーモア・センスをもった政治家が登場したか」と、ぼくはとてもうれしかった。
選挙に出るのを断るのに、これ以上の名文句はないんじゃないか。

でも、ご本人は本気だった。大まじめだった。これにはがっかりした。地方の問題への注目を集めたことと、選挙への関心を高めた効用はあったけれど、失ったものもまた大きかった。

それにしても、日本人は、いつからこんなに「ユーモア貧乏」になってしまったんだろう。
あのブッシュだって、少しはユーモア・センスがあったというのに、日本の首相や大臣でユーモアあふれる言葉を吐いた人って、ほとんどいない。(バカな言葉を吐いた人はやたらにいるけれど)

上がそんなふうだから、役人もマスコミも経営者も、そして人びとまでが頭が固くなってしまった。言葉が硬直してしまった。情けない。みっともない。

明治以前の日本は、世界に冠たる「ユ-モア大国」だった。
世界の国々にある小噺のなかでも、「江戸小噺」は最上のものだった。

江戸に限らない。ぼくの第2のふるさとである四国の松山も、「俳諧の町」という名の通り、昔からユーモア・センスあふれる町だった。俳諧の「俳」も「諧」も、「たわむれ」とか「おどけ」といった意味合いの言葉であり、「ユーモア」こそが俳諧の真髄である。ユーモア小国になってしまったこの国では、松山はまだ、いまでもユーモア・センスの残っている町だと思う。

「不法ごみ ほこりも一緒に捨てていく」

だからこの町では、不法ごみがよく捨てられる場所には、町内のだれかが、こんな手書きのビラを張ったりしている。

残念ながら、いまの政治家には、こんなセンスの持ち主はいない。回復しなければいけないのは、経済よりもユーモアだ。
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選挙は顔で選ぼう [ことばの元気学]

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東国原さんが首相になったら、どんなお菓子が売り出されるのかな。
「そのまんま団子」かな。
ぼくは首相になんかなりたくないし、なれるはずもないけれど、でもお菓子はつくりたいな。
というわけで、上の写真のような「祐吉饅頭」(もちろんこしあん)を作りました。

というのは嘘で、これは「広告批評」の終刊(30周年号)を祝って友人たちから贈られたものですが、雑誌の終刊はいまやブームみたいになってきましたね。
で、これを「ジャーナリズムの危機」なんていう人もいる。たしかにその懸念もありますが、活字ジャーナリズムの時代からテレビ・ジャーナリズムやウェブ・ジャーナリズムの時代へ、メディア状況そのものが変わろうとしているのでしょう。

ま、それはそれでいいんだけれど、それにしても、テレビさんはダイジョーブなんだろうか。ダイジョブダイジョブという声も聞こえますが、いまのテレビにどれだけジャーナリズムの自覚があるのか、ちょっぴり心配です。
テレビよりも、むしろウェブのほうが、イランや新疆ウィグル地区の事件で見られるように、新しいジャーナリズムとしての可能性があるんじゃないかと思えるほどです。

ま、それはそれとして、いまや麻生さんも絶対絶命ですね。
伝家の宝刀も抜きにくくなってきた。
おじいさんの吉田茂さんは「バカヤロー!」とマスコミに暴言を吐いて解散しましたが、いまや麻生さんは解散もままならない。「バカヤロー!」と叫んで解散できたら、さぞかしスカッとすると思うんですけどね。(麻生さんの場合は「バカヤロー解散」じゃなく、「バカタロー解散」になるんじゃないかと、おやじギャグみたいなことを言っているマスコミもありますけど)

ま、お相手の鳩山さんのほうも、あぶないあぶない。死人から献金をもらうなんて怪談的離れ業をやってのけたりして、オカルトチックな風貌にますます磨きがかかってきたようです。
こうなると、次の選挙にはだれを選んでいいのか、ますます迷ってしまう人がふえるんじゃないでしょうか。

では、どうするか。
これはもう、10年以上も前から言っていることですが、

選挙は顔で選ぼう!

というぼくの持論が、本当に生きるときがきたように思います。
そう、きれいごとの言葉よりも、「顔」は正直に「中身」を語っているんですね。
ちらっと見るだけじゃいけません。じーっと見る。穴のあくほど見る。
そうすると、その人の本性が顔の向こうに見えてくる。

で、その顔でえらんで投票して、それでもし、あとで自分の判断が間違っっていたとわかったら、まだ自分は「人を見る目」がないんだ、と反省すればいいんです。

というわけで、ぼくもだれに投票するか、「祐吉饅頭」を食べながら、候補者たちの顔をじっくりみくらべている毎日です。


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