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一身上の都合 [ことばの元気学]

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中川さんが辞めたのはわかるけど、その理由が「一身上の都合で」というのがわからない。
いや、わかりますよ。だれにせよ辞職するときは、そう書くことが多い。定番語ですね、一種の。
いままで、暴言をはいたり、不正行為がバレたりして辞めさせられた政治家たちも、みんな「一身上の都合」で辞めていきました。

でもさ、これって、おかしいよ。
とくに、政治家や役人の場合は、「これこれの責任をとって」とはっきり辞める理由を書いてほしい。
そうでないと、責任の所在が、あいまいの霞が関に終わってしまうんだよね。
で、辞めたのは、別に悪いことをしたからじゃない、あくまで「一身上の都合なんだ」ってことになってしまう。

いままでこの種のことで大臣をやめた人で、「自分のしたことの責任をとって」と言った人はいないんじゃないかな。「審議が遅れて党にご迷惑をかけるから」なんて、かっこつけてる。
いいよ、審議が遅れたって。自分が悪くないと思うんなら、とことん名誉をかけて戦わなくちゃ。

こういう「あいまい主義」は、もういいかげんにしてほしい。
で、それを容認する「なあなあ主義」も、いいかげんんにやめてほしい。
中川さんだって「酒気帯び記者会見の責任をとって」とはっきり言ったほうが、まだ好感をもたれると思うけどね。

あ、そうそう、あの件のテレビニュースの中で、家から出ていく中川さんに、家の中から「がんばれ!」とか「日本一!」とか、女性の声援が飛んでいたのには驚いた。
テレビの画面には「夫人の声」って文字が出ていたけど、ほんとかなあ。

酔っ払っていて夢を見たのかなあ、ぼくが。


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こんな漢字はいらない? [ことばの元気学]

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これは、なんでしょう。
近ごろハヤリの漢字テストではありません。
そう、お国が来年から増やそうという「常用漢字」の候補191字の一覧です。
これを公開して、広く世の中の意見を聞こうということのようですが、いかがですか。
ご意見ありますか。
ぼくはあります。すごくあります。

まず第一に、いまなぜ常用漢字をふやす必要があるのか。よくわかりません。
いろんなところから、いろんな要望があるんだろうから、増やすんなら増やすでいい。
げんに、こういう漢字は使えるようにしたほうがいいと思うものもあります。
が、それならそれで、増やすことになった事情の具体的な説明をちゃんとしてほしい。
お前たちシロートはどうせわかんないんだから、専門家にまかせておけって顔が気に入らない。

第2に、増やすにしても、どうしてこの字なのか。そこがよくわからない。
「恣」なんて字より「嘘」という字を復活したほうがいいとぼくは思うのですが、なぜ「恣」なのかの説明もない。
「恣」に限らず、191字の1字1字について、なぜこの字を増やすのか、簡潔な説明をしてほしいわけで、
その説明がなかったら、なにか言えなんて言われても言えないじゃないか。

だいたい、省庁の役人のやり方って、こうなんですね。
本当は国民の意見なんか、聞く気がないの。そのくせ、口先だけは、「広く国民の声に耳を傾け」なんて言う。ホンネは、さっさと片付けたいんです。救い難い形式主義。

しつこいようですが、

なんて字が、どうして要るんですかね。
これって、「恣意的」というときくらいしか使わないでしょ?
ま、人にもよるでしょうが、ぼくは生まれてからいままで、「恣意的」なんてキザな言葉は、1度も使ったことがありません。
だから、というわけじゃないけれど、こんな言葉はなくなってもかまわないと思っているんです。
「シイテキ」なんて、耳で聞いただけじゃわからない。そんな言葉を使うより、「その場の思いつきで」とか言えばいいじゃないですか。


も、同じような理由で要らない。「真摯に」なんて、平気で言う人はヘンだと思う。キモチ悪い。
これも耳で聞いただけじゃわかりませんね。「紳士に」って、なんだろうと思っちゃう。
「まじめに」でいいじゃない、「一生けんめい」でもいい。カッコつけんな、っていうの。
「真摯に」なんて言ってる人が、「真摯に」やってるところを、いままでぼくは見たことがありません。

まだまだ、いっぱいありますが、疲れちゃった。
ぼくが言いたいのは、常用漢字の増えることで、日本語の表現が豊かになるのならいい。でも、逆に貧しくする危険もあるんじゃないか、ということです。
つづきはまた次回。
あ、ひまがあったら、あなたも「真摯に」考えてみてくださいな。
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少子化でいい [ことばの元気学]

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念のために言っておきますが、ぼくがオバマさんに期待しているのは、アメリカをチェンジすることじゃない。
世紀をチェンジする。「世紀の転轍機」を切り替えてほしい、ということです。

で、しつこく言っているように、新しい世紀の合言葉は「小さいことはいいことだ」です。
たとえば人口。よその国のことに余計な口出しはできませんが、たとえば日本の人口って、どのくらいが適切なのか。
こんなせまい国土に1億3千万人は多すぎるって思いませんか。
いまの半分、6千万人くらいがいいとこじゃないかと、ぼくは思うんですね。
そうなりゃ、一人あたりの土地の面積は2倍になるし、食糧や水の消費量は半分ですむ。そして、これがとても重要なことだけど、二酸化炭素の排出量も半分になるんじゃないでしょうか。

ちなみに、世界の人口は、20世紀の入り口で20億人、それが20世紀の終わりには60億人と、100年の間に3倍にも増えているんですね。その中でも、人口の多さで日本は10位とベストテン(ワーストテン?)に入っている。こんなの、あんまり自慢になりません。半分でいい、ホント、半分で。

「冗談じゃない、そんなことになったら、経済力がガタ落ちになって、日本は日の沈む国になってしまう」なんていう人もいます。
たしかに、しばらくの間は老人ばかりになってたいへんでしょう。働き手と年金の払い手がぐんと減ってしまうからですね。でも、知恵をしぼってその時期をうまく乗り切ったら、日本はすごくいい国に生まれ変わる。で、子どもや孫からぼくらは大いに感謝されることになると思いませんか。

というわけで、ぼくは少子化が進むのは、別に悪いことじゃないと思っています。
もちろん、子どもが欲しい人は産めばいいのであって、それを規制するようなことがあっちゃいけない。
でも、政府が「産めよ増やせよ」なんて叫ぶのももってのほかです。

「少子化いい」とは言いませんが、「少子化いい」と、ぼくは思っているのです。

(絵・ISAKO)
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