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かんけんぜんりじちょうらはいにんようぎ [ことばの元気学]

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問題・下線の箇所を漢字にせよ。
ざいだん法人のかんけんの資産がぎょうむいたくというめいもくで不正に外部へりゅうしゅつしていたという事件で、協会はぜんりじちょうらを近くはいにんようぎこくそするほうしんだ。

はい、できた人は手をあげて!
はい、いま手をあげた人は、別にえらくありません。
できて、ふつうです。だって、みんな、常用漢字です。
日本人なら、首相を含めて、みんな知っているはずです。

でも、できなかった人はだめか、というと、そんなことはありません。
知っている字でも、首相を含めて、忘れることや間違うことはいくらでもあります。
漢字をたくさん知っているとか、たくさん書けるとか、そんなことは「ことばの豊かさ」とは、別に関係はないんですね。と、思いますね。

書きたい字を書けないことより、書きたいことを書けない世の中のほうが困りものです。
昔は、新聞や雑誌に政府や軍の批判を書けない時期がありました。書いても、検閲にひっかかって、その部分が伏せ字(〇とか☓)にされてしまうのです。
そのことに腹を立てたジャーナリストの宮武外骨は、彼が出していた「滑稽新聞」の第一面に、こんな社説を書いたことがあります。

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すごいでしょ、この伏字の多さ。国家権力の乱用というか、言論の自由の弾圧というか、ひどいもんだと、この紙面をみただけで、だれもが感じる。
でもね、これが外骨さんのすごいところなんですね。
これ、伏字じゃないんです。この〇を飛ばして読んでいくと、「今の軍事当局者はつまらぬ事までも秘密秘密というて新聞に書かさぬ事にしているから新聞屋は聴いた事を載せられ得ずして丸々づくしの記事なども多い……」と、ちゃんと検閲批判の文章になっているんです。
ま、漢字は間違えてもいいけれど、世の中がこんな風に間違うのはごめんですね。

この宮武外骨さんは、ぼくの最も尊敬するジャーナリストで、「広告批評」でも、特集をしたことがあります。(1984年8月号)
その「広告批評」も、先日最終号を出して、正直、いまぼくはやれやれの心境です。本屋さんに行かれたら、ちょっと手にとってみてください。(写真下)
(ちなみに外骨さんは、冒頭の写真のように、「滑稽新聞」の最終号を「自殺号」と銘打って出しました。それにくらべて、ぼくの軟弱さ)

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定額給付金の「正しい」使い方 [ことばの元気学]

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出ました!
定額給付金で空を飛ぼう!
東京・大阪・名古屋から沖縄や札幌へ、JALの定額給付金記念バーゲンフェアを利用すれば、一律12000円で行けるという。安いというだけではない、運がよければ、機内で「バカボンのパパ」のかっこをした女性の搭乗員に会えるかも知れないのだ。

JALだけではない。このテのことに関しては、商魂たくましいというか、便乗精神旺盛というか、
定額給付金をねらって少しでも儲けようというアイデアが、北から南まで、いまやこの国にはあふれかえっている。
が、その中でもJALのうまいところは、定額給付金の12000円とまったく同額で空の旅を売ろうというところだろう。
どうせ棚から落ちてきた12000円である。それなら、ちまちま使うより、いっぺんに丸ごと使ってしまうほうが、なんとなく後味がよさそうな感じがする。そう、これが9800円では中途半端だし、13000円ではまったく意味がなくなってしまうのだ。

もちろん、ちまちま使っても、別にかまいはしない。どう使おうと使う人の勝手である。が、ユネスコに寄付してしまったりするのだけはいけない。
そう、それは断じていけない。個人消費を増大させ、少しでも世の中を景気づけようという国の方針に反する。政府の温かいお心を無にすることになる。麻生さんだって、消費の刺激効果をあれだけ強調してきたんだから、決してそんなところに寄付などしないはずだ。

ここはひとつ、うな丼の「松」を食って、「やっぱり松は梅よりうまいなあ」と叫ぶとか、
タクシーにワンメーターの距離だけ乗って、710円の料金に対して100円玉を8個渡し、「釣りはとっときな」と、粋なせりふを残してタクシーを降りるとか、
「100円ちょうだい、100円ちょうだい!」とせがむ子どもに、ぽんと500玉をひとつやって、「お前の考えはちいせえなあ」と嘆いてみるとか、
そういうふうに使わなければいけないのだ。

というわけで、定額給付金をもらっても、もちろんぼくは、ユネスコには寄付しない。
かといって、JALのバーゲンフェアで沖縄や札幌に行くつもりもない。
もらったら、「国境なき医師団」に寄付しようと思っているところだ。



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スキな人 [ことばの元気学]

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土屋耕一さんが亡くなった。大切な先輩だった。この人からは、いろいろなことを学んだ。
特に、書き言葉と話し言葉を混ぜ合わせた独特の文体(言文一体とぼくらは呼んだ)が魅力的で、ぼくも大いにその影響を受けている。
本業はコピーライターで、資生堂や伊勢丹や明治製菓などに、名コピーを数多く残した。
が、多芸多才というのか、広告コピーだけでなく、俳句や回文やエッセイや絵などにも、洒脱な作品を数多く残している。とくに、この人の俳句がぼくは好きだ。
  
  原節子小津安二郎金魚鉢
  春待つや寝ころんで見る犬の顔
  大乳房あたまはよわし四月馬鹿
  冬めくや脱げというんなら脱ぎますけど

数寄な人だった。風流人だった。いかにも麻布生まれの、江戸っ子らしい粋人だった。
昔、ぼくのところから「土屋耕一全仕事」という本を出したとき、永六輔さんに「土屋さんについて何か書いてください」と頼んだら、とてもいい原稿を書いてくれた。その冒頭だけご紹介。

ヘェヘェ 土屋さまのことで。
昔は よく 雑俳なんぞひねる会でご一緒をいたしましたが 昨今は 私が旅暮しなもんで なかなか……。
でもね ひょんな時に街でばったりと、
えェ おや お元気で なんてね えェ。
その土屋さまが 向うから歩いて来なさる時の 風情がよございますよ。
なんと申しあげたらよろしいか……。
金策に失敗した番頭さんが ご主人への言い訳を考え乍ら歩いているような。
えェ それから 生活の苦しい御公家さまが なすこともなく ただ こう ただ歩いていらっしゃるような。
時には 世の中にすねた揚句の遊び人が 女と別れて歩いてきたような。
どちらにしても この現代の空気を吸っているとは思えない風情なんでございますよ。

そんな土屋さんが、生き馬の目を抜く広告の世界でチャキチャキの売れっ子とは……と、そのあと永さんの原稿はつづくのだが、土屋さんの持っていた雰囲気を、永さんの目は実に的確にとらえている。しかも、土屋さんのような文体で書いているところがにくい。

こういう粋な人が、またひとりいなくなって、悲しい。さびしい。くやしい。
ユーモアの通じない野暮な石頭ばっかりが、この国ではふえていく。

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