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一生のお願い [ことばの元気学]

政府や電力会社が出す原発広告の問題を、今朝(8月24日)の朝日新聞(CM天気図)にもちょっと書きました。掲載する新聞社と、制作する広告会社の責任について。新聞社や広告会社には友人が多いので、どんなふうに読んでくれたかな、と思っています。

さて、そんな友人の1人、コピーライターの谷山雅計さんと、9月4日(日)に東大の福武ホールで2時からトークをします。
谷山さんとは30年来の友人ですが、当初は東大の学生だった谷山さんが、いまでは日本のトップ・コピーライターになった。で、こっちはよれよれの隠居になりました。30年は長い。

初期の谷山さんの傑作はこれ。
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ウイスキー市場でサントリーとニッカに押されっぱなしのオーシャンウイスキーの広告ですが、面白いねえ、うまいねえ、一生のお願いなんだから聞いてあげたくなるねえ。
次は、最近のヒット作から。
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「ガスで、パッっと明るく、チョっといい未来。」
だから、ガス・パッ・チョ。
このシャレ気もいいけれど、「チョっといい未来」が好きだなあ。
凡人はつい「すばらしい未来」って書きたくなるよね。それじゃ「ペケ」。
そこを「チョっといい未来」としたところが「ポン」なんだ。
もっとも、谷山さん、テレビの「ペケポン」では「ペケ」が多いけどね。

ほかにも、新潮文庫の「yonda」とか、資生堂の「日本の女性は美しい」とか、名作はたくさんあるけれど、その中から、とくに選んだ約30本のコピーを中心に、
「ことば」の魅力と魔力について、じっくり話したい。で、いま広告がかかえるさまざまな問題についても、谷山さんの考えを聞いてみたいなと思っているところです。

というわけで、ぜひ来てください。一生のお願いです。
クリエイターズ・トークHP

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どうする、意見広告 [ことばの元気学]

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(1967年3月3日、開高健さんや小田実さんらのべ平連が、ワシントンポストに出したベトナム戦争反対の意見広告。65年11月にニューヨークタイムスに出した同じ趣旨の広告の第2弾。題字は岡本太郎さん)

面倒でも、まず、1961年にニューヨークタイムスが出した次の宣言を読んでください。

ニューヨークタイムズは、合衆国憲法修正第一条の目標を促進するために、われわれの広告欄をあらゆる意見のために開放しておかなければならない。
中傷文書に関する法律に反しないか、礼儀や良識の限界を超えていないか、事実は正確か、といったことが問題になるのはもちろんだが、新聞の自由の原則は、われわれが容認できないような事件も報道することが必要なように、われわれが大きな抵抗を感じる本や、嫌悪を感じざるを得ない政党や政治活動の広告をも受け入れる義務をわれわれに課している。
憲法が保証しているのは、発行者の発行する権利だけではない。大衆の知る権利の保証であることがより重要なことである。これこそ、自由な報道の真の意味だとわれわれは考える。それは、思想の領域における開かれたコミュニケーションの維持にほかならない。
(ニューヨークタイムス1961年12月28日付社説「広告の自由」より)

「広告の自由」と題したこの社告が出るまでは、意見広告というのを新聞はほとんど掲載しませんでした。とくにその新聞社が嫌うものや、その新聞社を批判するようなものは、掲載を拒否するのが普通だったのです。
が、それはやっぱり間違っている、憲法の趣旨に反するということで、ニューヨークタイムスは原則として広告欄はすべての人に開放された「言論の広場」だと宣言したんですね。

これが引き金になったのか、日本の主な新聞も1968年頃から意見広告への制限をゆるめるようになりました。
それまでは、特定の政党の意見広告はもちろん、「くたばれ朝日新聞」なんていうタイトルの本の広告が、朝日新聞にのることはなかったのです。つまり、その広告をのせるかのせないかは、その新聞社の裁量次第だったんですね。

それはおかしい、広告欄は新聞社の私物ではなく、公共の広場だ、というニューヨークタイムスの宣言は正しいと、当時ぼくは思いましたし、いまもそう思っています。
が、実際に意見広告が自由化されると、前回に紹介した自民党対共産党のようなトラブルがすぐに発生する。なにかというと裁判沙汰になる。
で、反論権の問題なども結局はあいまいになったまま、いまは意見広告で目立つものといえば、憲法記念日や終戦記念日に市民団体が出す護憲広告や反戦広告くらいになってしまっています。

が、厳密にいうと、ACがおこなっている公共広告にも意見広告が含まれているし、選挙のときにやたらに出てくる政党の広告も意見広告です。
あるいは、企業が出す企業広告にも、意見広告といえるものがたくさんあるんですね。
さらにこれからは、原発の存否をめぐって、さまざまな広告が出てくる可能性もあります。
その昔、政府や電事連の原発安全広告に、結局は負けてしまった自分自身の反省からも、これからはしっかり目をあけて、意見広告の問題を見ていきたい。
とりわけ、意見広告の自由と公正という面を、見ていきたいと思っているところです。

長くなるのでもうやめますが、
最後にもうひとつ、去年の9月2日、日本の朝日・毎日・読売や、アメリカのニューヨークタイムスやワシントンポストなど、日米の8紙にいっせいにのった宝島社の意見広告をご紹介しておきます。「日本の犬とアメリカの犬は会話できるのか」。政治経済面での日米摩擦を問題を、コミュニケーションの問題としてアピールした広告です。

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反論の権利 [ことばの元気学]

ことの起こりは、この広告でした。
反論権.jpg
1973年12月2日、サンケイ新聞にのった自民党のこの広告が、反論権問題に火をつけました。
「前略日本共産党殿 はっきりさせてください」
というキャッチフレーズで、自民党が共産党を批判したのです。
内容は、当時の共産党が参院選むけに掲げてきた「民主連合政府綱領」が、自衛隊・安保条約・天皇などの点で共産党の綱領と矛盾している、はっきりしてほしいという趣旨のものでした。(イラストがすごいですね)
これに対して共産党は、ぜひ反論したい、自民党の広告と同じ大きさの反論スペースを無料で提供してほしいと新聞社に申し入れました。
当時、ドイツではそのテの反論権が存在していましたし、アメリカではテレビでの反論権が認められていたんです。
が、サンケイ新聞は有料ならいつでもスペースを提供するし、自民党がその分もカネを出すということが確認できれば、無料で提供するという回答をしました。ま、ホンネは拒否ですね。
で、憤慨した共産党は東京地裁に仮処分を提出して、問題を法廷闘争に持ち込んだのです。
が、裁判所はこの広告が共産党に対する名誉毀損には当たらないとして、反論権の問題には立ち入らぬまま申請を却下してしまった。で、反論権の問題は、結局うやむやになってしまったというように、ぼくは理解しています。

もっとも、当時、反論権を認める新聞社が、まったくなかったわけでもない。
下の2点の広告は、1981年に主要全国紙に出た自衛隊の政府公報(広告)と、これに対して浦和地区労が軍事費増強反対の立場から埼玉新聞に出した同じスペースの反論広告です。
ただし、こちらはタダではなく、4分の1の料金だったそうです。
反論権3.jpg 
ま、この問題はなかなか厄介で、日本のマスメディアで反論権を成立させるのは容易なことではないと思います。
が、容易でないからといって、ふんだんにカネを持っている側の一方的な意見広告が野放しになっていいはずはない。
これからの問題としては、次のように言うことができるんじゃないでしょうか。

①政党間の争いならともかく、原発のように国論を二分するような大きな問題に対しては、
 一方が出した広告に対して、反対する側の反論権を認める。
②反論権を認めないという場合は、その新聞社は今後、そういう広告は掲載しない。

げんに、上の自衛隊の広告は、沖縄の2紙に掲載を拒否されたという記録が残っています。

(1960年代に民主主義の道具として解禁になった意見広告の灯は消したくないし、いまのままではカネ持ちの道具になってしまうし。意見広告そのもののあり方については、いずれまた)
(それにしても、原発推進のような広告を、広告の制作者が個人の信条でつくるのは自由ですが、広告代理店が作ってはいけないんじゃないかと、ぼくは思います)


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反論権をもう一度 [ことばの元気学]

1988年の4月27日、こんな大型広告が主な全国紙に一斉に掲載されました。
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前年から設定された原子力発電安全月間に先駆けて、というのがこの広告を出した電事連の言い分ですが、この数日前、4月23・24の両日に、東京で初めてという大きな規模で開かれた反原発集会「原発とめよう1万人集会」に象徴される反原発運動の大きな盛り上がりへの、対応の一つであったのかも知れません。
それはともかく、こんな大々的な原発推進広告は前代未聞のことだったので、ならばこちらもと、当時の「広告批評」で大急ぎ反応特集を組みました。その中で、この広告に対する感想を聞いたアンケートでは、鶴見俊輔さんや山田太一さんなど、多くの方から貴重なご意見をいただきましたが、ここではその中の一つ、高木仁三郎さんのお答えをご紹介しておきましょう。

はっきり言って、この広告を見て「原発はとめられる」の感をいっそう強くしました。
反原発運動の盛り上がりに危機感を強めた電力側の必死の反撃が、これほどお粗末な、無内容な、ヤル気のないような広告だったとはね。
反原発運動をなめているのか、もう彼らにはこれっきりの切り札しか残っていないのか。
我々の払っている電気料金からこんな広告が出されているのは許せない、という声が強いですが、彼らがこんなことを続けているようでは、原発の止まる日も近いと言っておきたい。(高木仁三郎)

ぼくらも、そう思いました。
が、現実はそうならなかった。
その理由の一つは、それも大きな理由の一つは、やはり、
カネ、カネ、カネ、だったように思います。
政界も財界も、原発推進に全力投球だった。
あの人たちにとっては、安い電力を安定して提供する原発がが経済成長に不可欠だった。
「成長」こそ善であり、すべてだった。
そのために、反原発の声を押しつぶすためのカネを惜しみなく使った。
主な全国紙に全ページ広告を出すくらいのことは、屁の河童だった。

当時、どこにどう、どのくらいのカネが使われたのか、ぼくにはわかりません。
が、「広告批評」という雑誌を出しているぼくらにとって、いちばんくやしかったのは、電事連や政府
の出す原発推進の広告に対して、それに対抗する意見広告が出せなかったことです。
そんな簡単に、何千万円なんて広告費を出せるはずがない。みんなからカンパを集めたって、そんな急には集まらないし、仮にカネを集めて出せたとしても、推進派の人たちはすぐにそれの何倍の量の広告を出して、反原発の声をつぶしにかかるに違いありません。
つまりは、ここでも、カネカネカネなんですね。

絶望的です。でも、これを乗り越えられるはずの方法が、ないわけではありません。
「反論権」です。
一方的な意見広告で迷惑を受けた人は、
その広告と同じスペース(テレビならタイム)での反論広告を無料で出せる
という制度です。
以前からアメリカでは、反論広告が実現した例がいくつもあります。
が、日本では、いろいろ問題があって、ほとんどうやむや状態になってきました。
でも、これをもう一度考え直すのが、いまは大切なときかもしれないと思います。

というわけで、次回は「広告の反論権」について考えるための事例を、いくつかご紹介するつもりです。
それにしても、ことしは暑いですねえ。へばりますねえ。

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