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反論権をもう一度 [ことばの元気学]

1988年の4月27日、こんな大型広告が主な全国紙に一斉に掲載されました。
原発X.jpg

前年から設定された原子力発電安全月間に先駆けて、というのがこの広告を出した電事連の言い分ですが、この数日前、4月23・24の両日に、東京で初めてという大きな規模で開かれた反原発集会「原発とめよう1万人集会」に象徴される反原発運動の大きな盛り上がりへの、対応の一つであったのかも知れません。
それはともかく、こんな大々的な原発推進広告は前代未聞のことだったので、ならばこちらもと、当時の「広告批評」で大急ぎ反応特集を組みました。その中で、この広告に対する感想を聞いたアンケートでは、鶴見俊輔さんや山田太一さんなど、多くの方から貴重なご意見をいただきましたが、ここではその中の一つ、高木仁三郎さんのお答えをご紹介しておきましょう。

はっきり言って、この広告を見て「原発はとめられる」の感をいっそう強くしました。
反原発運動の盛り上がりに危機感を強めた電力側の必死の反撃が、これほどお粗末な、無内容な、ヤル気のないような広告だったとはね。
反原発運動をなめているのか、もう彼らにはこれっきりの切り札しか残っていないのか。
我々の払っている電気料金からこんな広告が出されているのは許せない、という声が強いですが、彼らがこんなことを続けているようでは、原発の止まる日も近いと言っておきたい。(高木仁三郎)

ぼくらも、そう思いました。
が、現実はそうならなかった。
その理由の一つは、それも大きな理由の一つは、やはり、
カネ、カネ、カネ、だったように思います。
政界も財界も、原発推進に全力投球だった。
あの人たちにとっては、安い電力を安定して提供する原発がが経済成長に不可欠だった。
「成長」こそ善であり、すべてだった。
そのために、反原発の声を押しつぶすためのカネを惜しみなく使った。
主な全国紙に全ページ広告を出すくらいのことは、屁の河童だった。

当時、どこにどう、どのくらいのカネが使われたのか、ぼくにはわかりません。
が、「広告批評」という雑誌を出しているぼくらにとって、いちばんくやしかったのは、電事連や政府
の出す原発推進の広告に対して、それに対抗する意見広告が出せなかったことです。
そんな簡単に、何千万円なんて広告費を出せるはずがない。みんなからカンパを集めたって、そんな急には集まらないし、仮にカネを集めて出せたとしても、推進派の人たちはすぐにそれの何倍の量の広告を出して、反原発の声をつぶしにかかるに違いありません。
つまりは、ここでも、カネカネカネなんですね。

絶望的です。でも、これを乗り越えられるはずの方法が、ないわけではありません。
「反論権」です。
一方的な意見広告で迷惑を受けた人は、
その広告と同じスペース(テレビならタイム)での反論広告を無料で出せる
という制度です。
以前からアメリカでは、反論広告が実現した例がいくつもあります。
が、日本では、いろいろ問題があって、ほとんどうやむや状態になってきました。
でも、これをもう一度考え直すのが、いまは大切なときかもしれないと思います。

というわけで、次回は「広告の反論権」について考えるための事例を、いくつかご紹介するつもりです。
それにしても、ことしは暑いですねえ。へばりますねえ。

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