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こしあんの退廃 [あんこ学]

ニュースやワイドショーのコメンテーターというのは、もっともらしい顔でうなずくうなずき屋でも、物知り顔で物事を解説する説明屋でもない。その場の意見がひとつになりそうになったとき、あえて違う意見を出し、議論を多角化する(面白くする)のがコメンテーターの役割だと、ぼくは思っている。つまり、正解はひとつじゃない、物事にはいろんな見方があるんだということを示すことで、テレビを見ている人たちに、「なるほど、そういう見方もあるな、でも、私だったらこう思う」といったように、「私だったら」という意見を引っ張り出すのが、コメンテーターのいちばん大切な役割だ。みんなが「こんなことが二度とあっては困りますね」なんて言ったら、「いや、あってもいいんじゃないかな」と、あえて言う。で、その場の話し合いをはずませる。そういう芸を持った人がコメンテーターであって、、そういう役目を果たさないコメンテーターを、ぼくはコメンテーターとは思わない。

という前置きをした上で、今回はかなり独断的な話をします。不愉快に思う人がいても、怒らないこと。これは、ひとつの見方です。わいわい話し合うためのネタです。話の材料です。
ジーパンはつぶあんだと、前に言いました。ジーパンの歴史は、19世紀の半ば、ドイツからアメリカに渡ってきたリーバイ・ストラウスという人が、金鉱掘りの鉱夫のための労働着として作り出したのが、そのはじまりです。それは急速に、開拓民たちの間にひろまり、やがてアメリカのシンボルのような存在になっていく。さらにそれが、1950年代には、ジェームス・ディーンの登場でブームになり、以後、世界中にひろまっていくわけですね。
荒々しい作業にも耐えるタフなツクリ。野生的な顔つき。どう考えても、これはつぶあんの魅力です。そのジーパンが、日本では60年代後半の若者文化の台頭とともに大流行する。で、ぼくのようなオジサン(当時すでにオジサンだった)も、ジーパンにTシャツ姿で、ビートルズを口ずさみながらマチを歩くようになるわけで、それはまさに、一種の「革命」でした。
そんな革命の攻撃対象というか、批評のホコ先は、既成のこしあん文化です。「会社至上主義」や「マイホーム主義」のなかに安住している大人たちの世界です。もっともらしい顔をしたそんなこしあん文化をけっとばせというので、学生運動に火がつき、アングラ芸術が活発になり、フォークソングやロックがマチに流れ、ヒッピーふうの長髪族が繁殖する、というような事態になったわけで、そんな革命の旗印というか、かっこいいシンボルが、ジーパンだったわけですね。
そこでのジーパンは、丈夫で長持ちという「実用的効用」と同時に、既成の権威を壊すという「文化的効用」をあわせ持っていた。同じ時期に、イギリスのマリー・クワントさんが作り出したミニスカートと同じくらい、いやそれ以上の破壊力をもって、ジーパンはこしあん的世界を壊すことに成功したんです。

そのジーパンがですよ、こともあろうにですよ、こしあんもどきになってしまって、いったい世の中、どうなっているのかと、きょうのぼくは言いたいのです。
そう、ダメージ・ジーンズに代表される、近ごろのファッションジーンズのことです。丈夫で、めったなことでは破れないことが誇りのジーパンを、わざとビリビリに破ってどうするんですか。それも自分では破れないもんだから、破ってもらったやつを買っている。あの世からリーバイさんが見たら、ほんと、泣きますぜ。(リーバイスでも売ってる?ああ、世も終わりだ!)
で、思うにこれは、ジーパンのこしあん化ですね。おしゃれなんてものに気をつかわないですむように作られたジーパンを、おしゃれ着にしようとするたくらみですよね。ま、その楽しさが、ぼくにもわからないではない。ぼくもジーパンは7,8本持っていますが、ちょっと破ってみようかという誘惑にかられたこともある。仕事着をおしゃれ着にしてなにが悪い、悪いどころか、それが本当のおしゃれじゃないか、という人もいるでしょう。
でもねえ、暮らしのなかではき古したジーパンと、ビリビリに破った新品のジーパンは、やっぱり違う。前者の場合は、人とジーパンの関係がこなれている。でも、後者は関係がギクシャクしている。その違いはとても大きいんじゃないでしょうか。つまり、前者はイキ、後者はミットモナイ、という違いがあるように思うのです。
なぜ、ミットモナイか。それは、おしゃれの意図がミエミエだからです。本当のおしゃれは、人におしゃれしていると感じさせないものですね。逆に、見えるおしゃれは貧しい。ぼくなんか、シャネルのバッグを買ったら、バッグについているシャネルのマーク類は、ぜんぶはがして捨てています。(あ、これは嘘です)
つまり、ジーパンのよさは、つぶあんのよさなんだから、それを大切にしてあげたい。洗練をめざすのでも、はき古す洗練(つぶあんとしての洗練)はいいけれど、やぶる洗練(こしあん化をねらう洗練)は、好きじゃないんですね、ぼくは。でも、いまのトーキョー人は、どうもこれが好きらしい。マチでそういう人たちを見かけると、ぼくは断腸の思いがするのですが、この「断腸の思い」がまた、トーキョー人には56%しか通じない。中には、「盲腸かもしれないという恐怖」とか「脱腸が痛いというイミ」なんて答えるやつもいるんだから、ますますこっちは「脱腸の思い」になるんですね。

はじめに言ったように、これはひとつの意見です。そうじゃないと思う方は、宮島名物「もみじ饅頭」を召し上がってから、異論・反論・オブジェクションを寄せてください。この饅頭も、こしあんがすばらしいのに、つぶあん入りやらクリーム入りやら、いまや雑居饅頭になってしまった。そんなら、外側ももみじじゃなく、かえでか何かにしろってんだ。


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スティッチの親分

初めにあったコメンテーターのお話はもっともだと思います。
当たり障りのないコメント返し。
コメンテーターの資格がない 笑
ズバっと本当にみんなが疑問に思ってる事に素直に答えるのがコメンテーターの役目ですよね。だから素直な天野さんは何故か毒舌コメンテーターって勝手に言われちゃうんでしょうね 爆
今回は本来のコメンテーターになりましたね。
私はトーキョー人だから破れたジーパンをはきます。
しかもアメリカのブランドのAbercrombie&Fitchをわざわざハワイで
買ったりしてます。破れたジーパンって意外と高いんですよぉ~
お洒落をしてるって人に思わせたくってしてるのではないんです。本当に。でも何気に可愛いんですよね 爆
自分で破いてみようとしましたが、きれいに破れませんでした(悲)
あの破り方ひとつとっても芸術の一つだと思う私はみっともないんでしょうか・・それは悲しいです。あぅあぅ(キ▼д▼;)トホホ・・
以前、トレーナーを逆に着るのが流行ったりしましたが、あれはどうなるんでしょうか・・
でもジーパンじゃないけど私、テレビで天野さんがわざと破れたジャケット着てるの見たことあるんですけどぉ~
ジーパンじゃないからいいのか!笑
ジーパンには、れっきとしたつぶあん文化があるんですよね♪
ジャケットは、およ?なんの歴史があてはまるのでしょうか??
およ?およ?紅葉饅頭はクリームが好きです♪
トーキョー人ですからぁ~残念。切腹。
by スティッチの親分 (2006-02-04 02:36) 

sola

偶然ですが、今我が家にももみじ饅頭があります。
そのうち食べて、書こうと思ってました(笑)もちろんこしあん!
強烈つぶあん派ですが、これはこしあんじゃなきゃ認めません(笑

そう、Gパンにいたっても同感です。これはつぶあん!
あのびりびりに破れたジーンズを見るとなんとも切なくなります(笑
が、が、もしかしたら……自分が若い頃のファッション(スティッチの親分さまの書き込みにもありますが)昭和50年ころに、Tシャツやトレーナーを、わざと裏返しに着て、年配の方から「あなた、裏返しよ」と、小声で言われたのと同じかなぁとも思います。

「断腸の思い」脱腸の痛さを経験したことがないので、どれほどの痛みかわかりませんが、同じくらい心が痛いとしたら、当たらずとも遠からず?ですかねぇ。試験官の先生がジョーク好きなら、部分点くらいはいただけるかと……甘いか(笑
by sola (2006-02-04 12:11) 

door13

24才の学生です。

ちょっと関係ない話かもしれないですけど、
昔はジーパン穿いてたら「不良」って言われたらしいですね。
今の僕らには考えられないです。
母親はジーパン穿いただけで兄にぶん殴られたって言ってました。
現在にその兄がタイムスリップしたら大乱闘です。

地方だけかもしれないですけど
ガラのよろしくない方は、ジャージを着用しているようです。
昔は、ジャージ→まじめ、ふつう、、ジーパン→不良
だったのに、今は
ジャージ→ヤンキー、不良、、ジーパン→まじめ、ふつう
になってしまったように思います。

ファッションは何年もかかって繰り返すって聞いたことがあるけど、
ちょっと誤差があるようです。

僕は京都育ちで、関西っていうのは「つぶあん」的な気質だ、なんて
思っていたんですけど、むしろ「こしあん」の洗練がすぐ近くにあったんだなあなんて思っています。こしあんに囲まれて育ったからこそつぶあんを愛するのかもしれません。

それではまたまた。
by door13 (2006-02-04 14:31) 

早織

天野さん初めまして。
CMについて調べていて、このブログを見つけました。

なるほど、ジーパンのこしあん化ですか。
私はあまりジーパンをはきませんが、
破れたジーパンをはこうとは思いません。
私は、あまりにも破れているジーパンに対して、おしゃれさは全然感じません…

天野さんがおっしゃっていた、
「本当のおしゃれは、人におしゃれしていると感じさせないもの」
という言葉に納得しました。
私もその様な気持ちでおしゃれできる女性になりたいです。

もみじ饅頭、大好きです。
あまり食べる機会がないのですが…

それでは失礼します。
by 早織 (2006-02-04 19:01) 

teng

深いはなしで、決して不快ではなくこういう話
題、ほかのブログではそう出会えません。
もみじ饅頭は食べてないですが、書かせてください。
僕も破れたジーンズは作為的過ぎてイマイチ
買う気にはなれませんが、でも正直カッコイイ
とは思います。
だいたい破くという一種反社会的行動によって
輝くものってそんなにないような気がするのです。
そして破れジーンズが台頭してきた原因として
この反社会的ということがあると思うのです。
ジーンズが流行った理由の一つとして反社会的
なものとしての象徴というのがあったと思うので
すが、ジーンズが一般化してしてしまった今とな
ってはジーンズがただジーンズというだけで輝け
なくなってしまった。
だからわざわざ破く。
そしてそういう事象にたして大人が眉をひそ
めたり異を唱えるというのは、その事象その
ものが若者の象徴として正しい方向をとって
いるということになるのではないでしょうか。
ジーンズにおいて洗練されてしまっているか
という問題はブーツカットやスリムジーンズ等
の登場によってじつは破く前に訪れているよ
うな気もするのです。
なんかこしあん、つぶあん論から離れてしま
ったみたいで申し訳ありません。
by teng (2006-02-04 21:05) 

tami

天野さん、こんばんは。
私、今ジーンズに物凄く感謝しています。
先日、仕事先で転んでしまいました。
両手骨折です。
でもジーンズをはいていたので、足は軽く赤くなったくらいですみました。勿論ジーンズもびくともしていませんでした。労働者用につくられたこと納得です。
あれがスカートだったり、薄い生地のパンツだったりしたらと思うとぞっとします。
もし、ひざのあたりをやぶいているジーンズでも血だらけになっていたかもしれませんでした。

ところで、かえでともみじって違うんですか?

故意に破れたジャッケットを着られていた天野さんを見たかったです。
by tami (2006-02-05 00:58) 

よもだのよむ

破れたジーンズ。はいている友人が2人いました。1人は既に破られているジーンズで、破れている箇所が多すぎて見苦しかったです。もう1人は自然と破れたジーンズをはいていましたが、時が経つにつれ、ついにひざ小僧が顔を出しちゃいました。

破れジーンズに対しては否定的な印象は持っていませんが、その破れ具合に度を越えるもの(上記のような)があると、
さすがにいかがなものかと思います。

天野さんのおっしゃる、ジーンズの歴史のをこれまで知らなかったから、ジーンズがどう変わろうと、私は何にも思わないのかしら。
逆に言うと「ジーンズは変化(進化?)する」流動的なもので、
ゆでた小豆をこしあんにもつぶあんにもできる、どちらの良さも取り入れられるものなのかなと思います。

そういやベストジーニストを受賞した有名人は破れジーンズをはいていたのでしょうか???ジーンズより、その人に注目していたので、
ジーンズのことは覚えていませんでした(笑)。
by よもだのよむ (2006-02-05 01:45) 

nina_day

中身が紅葉なら外観も楓にしろ!とは…
ほとほと…今の自分には、背中に紅葉腫れができそうな言葉です
by nina_day (2006-02-05 01:50) 

銀鏡反応

こんにちは!
そうですねぇ。最近の人為的にボロくしたジーンズよりも、長年穿き古したジーンズが、本当に味のあるものになると私も思いマス。
かつてジーンズは「社会への反抗」のイメージがあり、若者にとって革命的なファッションの筈…だったんですよね。
それが50数年後、いまやジーンズは老若男女だれでも穿いている一般的なファッションと化してしまったが為に、わざわざ人為的に破ったり、ア穴をあけてその上からジグザグに縫ってみたり、ストーン加工といって、ワザと色を落としたりしたジーンズを創り出して、他のズボン・スタイルと差異を付けようとしたのでしょう。でもそれが、ジーンズに込められた本来の意味と、反抗的な若者のシンボルだったころの「かっこよさ」をジーンズそれ自体から奪ってゆくことになり、ますますジーンズは薄っぺらな「失墜したこしあん的な」ファッションに堕しているような気が致します。なんといっても、ジーンズを此の世に生み出した張本人であるリーバイ・ストラウス社までがそういう方向に走ってしまっているのですから、仰るとおり世も末です…。嗚呼、なんとも嘆かわしい。
ジーンズの本当のよさというのは、新品をワザと破ったりジグザグに縫い目をつけることではなく、何にも細工していないものを長年に亙って穿き古すところにあるのですから。
ジーンズが薄っぺらなファッションになっていくのと同時に、タイヤキや紅葉饅頭の中身もいろんな物が出ています。
なにしろ両者とも、あんこ以外に、カスタードやチョコクリーム、クリームチーズいりのものが出ている始末。
中身が多様化するのも結構ですが、オリジナルなつぶあん・こしあんいりのタイヤキや紅葉饅頭のおいしさをもっと大事にしてほしいものですねぇ。
by 銀鏡反応 (2006-02-05 13:47) 

gillman

こんばんは
 天野さんの話を読んで、最近僕が興味を持っている「世の中から消えたもの」の一つとしての「継ぎ当て」のことを考えてしまいました。
 僕は下町育ちだから子供の頃は青鼻垂らして路地で遊び回っていました。でもしゃれっ気はあったらしく、ある時継ぎのあててある半ズボンが恥ずかしいとお袋に文句を言ったことがあります。その時はお袋にこっぴどく叱られました。汚れたままだったり、破けたままの洋服を着ているのは恥だが、ちゃんときれいに洗濯がしてあり、繕いがしてある服は恥ではない、何が恥ずかしいんだ、馬鹿たれ、でした。そういえば、一緒に遊んでいる子の服もどこかしらは継ぎがあててある。継ぎのあてていない服の方が珍しかったんですね。「継ぎ当て」や「掛け接ぎ」があたりまえの世界だったんですね。
 一方、ジーンズ(ジーパンって言ってましたが)の美学はその生い立ちから言っても、その方向性は長持ちとか使い込んだ味だと思うんですね。人間の思考ってマンモスの牙と一緒で方向性がつくと行き着くところまでいくと思うんですが、その延長でいくと、洗いざらしのブルージーン→ストーンウオッシュ→ブリーチ→装飾的な掛け接ぎまたはアップリケあたりまではいくと思うんですが、「破れたままはく」というのは今までのジーンズの美学とは系譜が違うと思うんです。
 それで思い出したんですが、それって「ヒッピーの系譜」かも知れないって。1970年代、一時期ドイツに住んでいたことがあるんですが、当時ヨーロッパにはヒッピーがあふれていました。長髪と無精ひげそれによれよれの服。豊かなアメリカが生み出した、旧世代に対する反体制の文化の象徴でした。当時穴の開いたジーンズをはいていたヒッピーも大勢いました。彼らは本当は貧しいわけではなく当時の大人に反抗して「貧乏ごっこ」をしていたんですね。このヒッピー文化は音楽や美術など現代文明に多大な影響を及ぼしてやがて消えてゆきました。結局は長髪を切ってウォールストリートの住人なんかになっていったんですね。かく言う僕もその端くれのようなものでした。
 そう考えると「貧乏ごっこ」ができるほど日本も豊かになったということだと思います。それは最初は確かに若者なりの体制を牛耳る大人に対する反抗の印だったのじゃないでしょうか。しかしある日マドンナみたいなファッション・リーダーが穴の開いたジーンズをはきだしたときから、それは単なる記号になってしまったのかも知れませんね。だから今はそんなに意味のない単なるファッションの一アイテムになっているんじゃないでしょうか。
by gillman (2006-02-05 21:46) 

K子

はじめまして。天野さん。いつも、読ませては頂いてました!今日初めてカキコさせて頂きます!
天野さんのことは、昔TBSの朝のワイドショーでコメンテーターをされていた時によく見ておりました。で、ココの存在をひょんなことから知りまして(笑)たびたび伺っていた・・という次第でございます。どんなコメントしてたか・・ということは正直覚えてませんが『天野さん』って方が私の記憶の片隅にあるということはきっとそれこそスティッチ親分さんがおっしゃるように『毒舌コメンテーター』だった??(笑)というか、共感持てるコメントをされていたんだろうなぁ~と思います。

さて、ジーパンですか。。。
私は子持ちのオバサンなので、正直破れたジーパンはいてると生活感漂う??というか貧乏くさく(私は、貧乏はいいと思うのですが貧乏臭いのはキライなんです)なるので私自身はくことはありません。
でも、若くてキレイでスタイルのいいおねーさんがはいてるのは可愛い♪って思うんですよね・・。これってなんでなのかな~。私はアホなので
よくわからないんですが・・・。
つぶあんが洗練されたい!!って気持ちがなんとなくわかるのは、やはり私はつぶあん好きな関西人だからなのでしょうかねぇ・・・(笑)!!
こしあんで美味しいと思えるのは、赤福と京都のふたばの豆餅だけです。もみじ饅頭、あんまり好きじゃない・・。私ももみじ饅頭ならカスタードやチーズクリームを食べてしまいます・・・。って何が言いたいのか自分でもわからなくなってきたので(爆)今日はこのへんで失礼イタシマス・・・。
by K子 (2006-02-06 01:58) 

tama

随分ご無沙汰してました。

コメンテーターの在り方を見ると、なんだか今の報道の芯が見えた気がします。
番組を見ていると、イエスマンな人しか呼んでない。コメンテーターってやっぱり異端な人がいいんじゃないかな。
たちの悪いことに編集という行為が、今では異端な意見をそぎ落として単純化させてしまってる気もします。
言いたいことも、編集次第で180°違うコメントになったり。
“眼”を養わないといけないですね。報道に流されず、ホントの自己意見を持っていたいなぁ

ジーパンの話、なるほどなるほどと納得です。
変な例えですが、本来の姿をくみ取るなら穴の空いた安全靴を履いてるような感じなんでしょうね。
余談ですがユニクロ製品も大事に着れば持ちます、ハイ

紅葉まんじゅうの多様化…、ということは天野さんはひぎりやきのクリームとかも「う~ん」な感じですか?
by tama (2006-02-06 18:19) 

maru

はじめてコメントさせていただきます。
ジーパンのお話で30年前の中学(私立女子校)の修学旅行を思い出しました。
移動時は制服でしたが現地では私服着用。
しおりには「ジーパン禁止」の文章が・・・
場所は信州で牧場などにも行くのに、ジーパンが駄目なら何を穿けというのか!とみんな大反発しました。
「あれは労働者が労働時に着用するものです。本校の生徒としてはふさわしくありません。」という、堅物偏見傲慢女性教師。
「綺麗なカラージーンズでもいけないんですか?」という質問に
「カラージーンズ?色がついてるの?藍色で無ければ・・・」としどろもどろに、そこへ「藍色は美しくないというんですか!」などと畳み掛けてジーパン着用を認めさせたことを思い出しました。
まさにこしあん教師VSつぶあん生徒でした。苦労して勝ち取ったジーパン許可でしたが、高校になると教師も普通に穿くようになりジーパンはわが母校で立派に市民権を得ました。娘に話すと「何時代?戦前か!」と言われてしまいましたが。。。

宮島の岩村もみじ屋さんが我が家のお気に入りです。でも、つぶあん入りもあるのでもみじ饅頭としてはやはりアウトですかね?
by maru (2006-02-06 19:59) 

hama

はじめまして、です。
流れて流れて、ここにきました。わけわからんこと書くかもしれませんが、許してくだされ。
私は、もみじ饅頭のこし餡は好きです。でも基本的につぶ餡が大好きです。それは豆としての感覚があるから。まあ、それは個人の嗜好の問題なのでいいのですが、ただ、こしであれつぶであれ、中身のあるものは本当によいと思うのですが、l「これ、はやっているから」というだけのこし、なりつぶは本当においしくない。
流行だけが前にいくというのは、悲しい。世論や流行がどうであれ、中身で勝負、っていうのが本当はよい、と思うのですが・・・。でも、時々と右にいけば右、左に行けば左、の感覚に慣れている自分に気がつくと、なんだか悲しい、というよりも怖いという感覚になってしまう。
なんだか、全体の自分、はあっても本当の個個としての自分はあるのだろうか、と。

ちなみに、私、ジーパンは好きです。第一にはきやすい、そしてなんでもあう。生活に密着している感じが好きですねえ。
by hama (2006-02-06 21:12) 

あまの

「スティッチの親分」さん。ぼくがテレビでわざと破れたジャケットを着ていた?それは親分、なにかの間違いでござんしょう。あれは破れていないのです。そう見える服なのです。その微妙さ、わかってやってくだせえ。

「sola」さん。「あなた、裏返しよ」と年配の方に言われたら、①「いえ、これが表なんです」という。②「ありがとう、私、あわてもので」という。③「余計なお世話です」という。もちろん、solaさんは②ですね。あ、それと、「断腸の思い」は、これからは「脱腸の思い」が正しいということに代わるかも。

「door13」さん。昔はジャージーがまじめでジーパンが不良だったのに、いまは逆転したというご指摘、参考になりました。ありがとう。それともうひとつ。京都は「こしあん」文化の総本山だと、ぼくは思ってます。

「早織」さん。CMのことを知ろうと思ったら、大衆文化のことを調べたほうがいいと思います。ぼくはずっと、そのテでやってきました。また遊びにきてください。

「teng」さん。ブーツカットやスリムジーンズで、ジーパンはすでにこしあん化しているというご意見、なるほどと思いました。ありがとう。くわしくは次回の記事で。

「tami」さん。ジーパンで、ほんと、よかった。でも、近ごろ、そんな激しくころぶ人もめずらしいですね。おだいじにね。むりしないで。ま、こっちも紅葉と楓を別物扱いしたりして、ずっこけました。

「よもだのよむ」さん。ジーンズは素材だから、つぶあんにもこしあんにもなる。なるほど。そのとおりですね。いい意見、ありがとう。

「にーな」さん。紅葉も楓も同じもの。あれはやけっぱちな気分で、むちゃくちゃ言ってました。ごめんなさい。ところで、かえでは「蛙の手」に似ているところから、「かえで」になったんですって。すごいネーミングというか、いいセンス、してますね。

「銀鏡反応」さん。ご先祖さんの遺してくれた遺産を、いまはみんなで食いつぶしている時代なんですね。でも、嘆いていても仕方がない。どうしたら、すこしは面白い世の中になるか。紅葉饅頭を食べながら考えましょうよ。もちろん、ぼくはこしあん入りです。

「gilman」さん。破れてるのはみっともないが、つぎをあてたのはみっともなくない。みごとなお母さんですね。ジーパン論も面白かった。次回の記事で、借用します。ありがとう。

「k子」さん。貧乏はいやじゃないが、貧乏くさいのはいやだ。同感です。金持ちのくせに貧乏くさいやつ、いるもんね。ただ、貧乏性っていうのは、ぼく、けっこう好きですね。つい、使った割り箸、洗っちゃうとか。

「tama」さん。ひぎりやきなら、クリーム入りもいいんじゃないですか、もの哀しくて。意地を張るほどの銘菓じゃなし。なんだか、ひぎりやき、食べたくなってきた。すいません。

「maru」さん。30年前の貴重な経験談、ありがとう、いい話です。ぜひ、つかわせてもらいます。紅葉饅頭は、つぶまではいいんです。でも、あんな小さな空間につぶは、きゅうくつそう。

「hama」さん。たしかに、ジーパンは、なんにでも合う。そこが、おっしゃるようにいいところである。でも、そこにあぐらをかいてしまうと、おしゃれなんかに気をつかわなくなるという点で、あぶないところでもありますね。
by あまの (2006-02-07 01:23) 

bull

わたしは広島生まれの広島育ちですが、「もみじまんじゅう」と言えば、こしあんでしょう。わたしは子供の頃、つぶあんが苦手で、あんこと言えばこしあん派で、子供のころはつぶアンパンが苦手で、こしアンパンを食べてました(今は平気ですが)し、「ぜんざい」より「しるこ」派です。「もみじまんじゅう」は店によって微妙に味がちがうので、ジーンズの様に自分に合ったものを探すのも楽しいものです。だけど、先ずはこしあんが王道でしょう。あとのクリームとかは、こしあんの引き立て役でしょうね。
by bull (2006-03-26 21:47) 

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