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あんぱん批評 [あんこ学]


どっちもあんぱんです。ふたつとも、コンビニで買ってきました。値段はどっちも105円。
商品名は、左がヤマザキの「高級つぶあん」、右は銀座木村屋の「あんぱん」です。
袋に印刷された広告コピーはこうです。
「餡と栗のおいしさを引き出すために、丹精込めて炊き上げた栗粒入りのつぶあんを丁寧に手包みしました。」(ヤマザキ)
「北海道の襟裳小豆使用。さらっとした口溶けが新しい。」(木村屋)
木村屋のほうは、さらに、こんなコピーもついています。
「日本ではじめてのあんぱん、酒種生地使用。生地を練りはじめてからこのパンが焼き上がるまで一日半。筑波山中での酵母の採取から数えれば十一日。創業以来の酒種生地は、いまも変わらず手間暇かけてつくっています。だからこその風味と香り。パンは生地がいのちです。」                 *
さて、木村さんと山崎くんの売り方は、どっちがうまいと思いますか。
店頭でぱっと見た目には、山崎くんのほうが目立ちます。デザイン的に強いというか、パンチがある。鮮明に印刷された小豆の写真が、このぱんがあんぱんでありつぶあんぱんであることを、ひと目でわからせるつくりになっている。ただ、「高級つぶあん」の「高級」がやですね。自分で高級って言う人に、あまり高級な人はいないんじゃないでしょうか。もっとも、「高級つぶあん」とは書いてあるけど、「高級つぶあんぱん」とは書いてないから、これはあんこだけの話なんでしょう。
それにくらべると、木村さんは、やはり明治生まれの人らしく、すべてにおとなしい。コンビニの棚でも山崎くんに押されてつぶれそうになっていました。図体の大きさが、かなり違うってこともありますね。
でも、銀座の本店で売っている桜あんぱんにくらべると、これはかなり大きい。3倍はある。山崎くんに対抗するために、量産用の大型を開発したんでしょう。
それにしても、木村さんは、袋に書かれているコピーが多すぎる。言いたいことがそれだけあるというのはいいことで、「高級」なんて言わずに品質のよさを具体的に説明しているのは立派ですが、これをコンビニでじっくり読む人はいないと思います。だから、説明によってでではなく、パッケージのセンスのよさで高級感を出し、山崎くんを「つぶめ!」と鼻先でせせら笑うような感じにしてほしかったとぼくは思うのですが、コンビニむけとなると、コスト的にむりなんでしょうかね。
でもね、一回食べてもらえば、その違いははっきりわかるんです。山崎くんより「いい」とか「おいしい」という意味じゃなく、木村さんの「こしあんぱん」が、ほかのどのあんぱんともはっきり違う個性を持ったあんぱんであることが、食べればだれにでもすぐわかるんです。その個性を、もっと目に見えるカタチで出さなくっちゃ。頼むぜ、木村さん、とぼくは思ってしまったんですね。
とまあ、あんぱんひとつ食べるに、なんだかんだとうるさいやつだ、と思われてもナンなんで、食べました、ふたつとも。
結果は、どっちもまあまあでしたが、山崎くんの「栗入りつぶあん」は、ちょっと誇大だよ。ちいさなカケラが3つ入ってただけだぜ。でもね、たしかにあんはおいしかった。ハングリーな若者には、とても親切なパンだと思う。
一方の木村さんは、量産用だけに、本店のほど上品ではないけれど、ちゃんと木村屋の味にはなっている。ただ、木村屋のあんぱんは、小さくて、ちょっと物足りないくらいがいいんであって、馬が食うわけじゃなし、あんな大きいのはどんなものか。そんな思いが残りましたね。
あ、そうそう、ハワイの木村屋には、どうしてつぶあんのあんぱんしかないのか、わけわからん。こしあんも置け、と、店に来ていた外人客が怒っていましたよ。ぼくも怒った。
                  *
というわけで、消費者のみなさんへのぼくの提言は、どっちでも好きなほう食え、ということになりますが、正岡子規さんへのお見舞いに持って行くのなら、やっぱり、木村さんのほうでしょうね。
木村さんの初代が日本ではじめての桜あんぱんをつくったのは、明治8年(1875年)で、そのおいしさと珍しさで東京中の大評判になったそうですが、その8年後の明治16年に、子規は大きな夢を抱いて四国の松山から東京に出てきている。好奇心旺盛な彼のことですから、木村さんちの桜あんぱんは、食べたにちがいありません。前に子規の「仰臥漫録」の中にある彼の絵をお見せしましたが、あの中に描かれているあんぱんは、やっぱりこしあんの桜あんぱんだと考えていいでしょうね。
それにしても、どうして初代の木村さんは、あんぱんのあんをつぶあんではなくこしあんにしたのか。今回はそれについてのぼくの考えを書くつもりだったのに、もう夜中になってしまった。あんこがちょっと胸につかえ気味なので、キャベジン飲んで寝る。またね。


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ねね

私の住んでいる神戸には、パン屋さんケーキ屋さんがいっぱいあります。ウチの周り半径1キロ以内でも20軒はくだらないでしょう。
そのどれもが手作りで甲乙つけがたいおいしさなんです。(自慢フォー!!)
だから神戸は、全国一コンビニでパンやケーキが売れないと思います。調べた訳じゃないけどね・・・。
by ねね (2005-12-06 02:12) 

momo

店頭で細かい字をたくさん読まされるのはつらいですね。高齢化社会なんですから、印刷する字が大きめ少なめにして
ほしい。それとも、家でゆっくり
読みながらたべなさいということかしら?
by momo (2005-12-06 02:49) 

あんころぉもち

山崎くんを差別するわけではないけれど、“高級”とうたっているのものは、どうもうさんくさい気がしてなりません。特にコンビニで見かける“高級”は、本当か??と疑ってしまします。
そういえば、あんまんってこしあんのものしか見たことがないのですが、
つぶあんのあんまんってあるのでしょうか…、きっとあるんですよね。
by あんころぉもち (2005-12-06 13:46) 

ひゃくみ

『餡皮論』
あまのさんちの縁側で人々が饅頭食べながら、こしあんが好きか、つぶあんが好きか?なんてお茶啜りながら話に盛り上がっていたら、突然、、、
酒饅頭皮之介、酒臭い息をぷんぷんさせながら、怒って人々の前に分け入り、あんこ共を叱りつけ、之に向かって「そもそも饅頭の起源は唐土にあり。饅頭の始めには皮ありき。皮なくして一人歩きも出来ぬくせに、我らの存在等閑にして、うぬらごときが座の中心に居る事許し難し、、、」と饅頭の皮の功徳を述べ、餡の賤しむ可きを論じたてる。これを聞いて、日頃はなにかと仲の悪い、高志餡之丞、潰氏餡右衛門の両人大いに怒り口をそろえてこのときばかりは反論する。「そもそも、かの唐土に於ける起源はというに、饅頭の中に肉等詰めて、人間の頭と見立て(*俗説)、祭壇に飾りしものと伝え聞く。我が日の本に伝来以後は仏様の功徳により、肉など詰め申さず。ひたすら小豆餡子を守る為に皮はある。即ち、主は餡子にして皮はその従者なり。そもそも従者の分際で酒など食らうとは不埒せんばん」。餡と皮とが罵りあうを聞きつけ、日頃は妙にすました色白のじょよまんじゅう皮太郎も興奮して駆けつける。加えて薄皮麦左衛門、麩皮五郎右門、焼饅頭皮太郎衛門、葛皮清之介らが勢ぞろいして戦陣に加わる。餡軍には、白餡六部衛、鶯餡緑之丞ら、栗を前方に配置して陣構えに及ぶ。
杵搗餅平は、あんころ餅となりし時は、餡に包まれるが、大福もちとなる時は餡を包む、さてどちらの陣につくべきか?と日和見をきめこんでおる。シュウクリーム、中華まん、鯛焼きなどは、冷ややかにこの争いを見つめておる。
さて、酒と餅との争い『酒餅論』では、飯の判官たねもとが両軍の間に分け入り、仲裁し事無きを得たのである。餡と皮との争いの仲介には誰が入るのだろう。やはりアンパンマンであろうか?
長くなってしまってごめんなさい。ところで、『我輩は猫である』をぼんやり読み返していたら、苦沙弥先生が寒月の屁理屈に、またやられたと無言で「空也餅」を頬張る箇所がありました。「空也餅」とは注解(新潮文庫)によると『半搗きの餅で潰し餡をつつんだ和菓子』とある。子規の親友漱石は潰し餡派ではまさか無いと思われますが、、、、、、、?
by ひゃくみ (2005-12-06 19:36) 

オ 寒

アンパンはこしあんがいい。ぱんと抵抗の少ないあんが口の中で、噛むほどに渾然一体になる。つぶではつぶの抵抗感があんこの方を強く感じさせてしまう。つまり渾然一体になりにくいのだ。
それにしても、山崎氏のものは何故ずっと柔らかなんだろう?
by オ 寒 (2005-12-07 11:11) 

オ 寒

つぶあんのあんまんはあります。先日僕の勤務先のG県O市N町のコンビニ「S・・O」にありました。
by オ 寒 (2005-12-07 11:15) 

あんこと皮

あんこ批評を読んでいて思いました、ブログの脇にあんこの菓子の広告をリンクしてみたらどうでしょう?

ひゃくみさんの「餡皮論」なるほど〜と読みました。
でも疑問が一つ・・・もしもまんじゅうが人間の頭として、大事なのは皮のほう?それともやっぱり中味でしょうか?
ここもあまのさんのご意見のように正解は一つではないのだろうな
と感じました。
(ブリーフ派=こしあん同様、あんこと皮のどちらが好きであなたは人を外見と内面どちらで判断するかがわかったりして・・・)
by あんこと皮 (2005-12-07 13:06) 

ぶらぶら

つぶあん派のぶらぶらです。
山崎の高級あんのあんぱんは好きです。ですが、おっしゃられたように『高級』はうさんくさいですな。いつもうさんくさいとは思いつつ、お手ごろ価格であんこがたっぷり入っているので、お気に入りです。ただ、そんなにしょっちゅう買うわけではなく、ここ一年だと2、3回ぐらいしか食べてない。
 どちらかというと、あんこは、おはぎや大福で食べることが多いです。
ぶらぶらブログ http://netburabura.seesaa.net/
by ぶらぶら (2005-12-07 14:35) 

ぶらぶら

付け加え
ちなみに、私の好きなこしあんは、伊丹の中満の酒まんじゅうです。ここの酒まんはあんこが上品で後味がよく、また皮の生地に日本酒のよい香りがほんのり香るのがすばらしい。
中満ホームページ http://www.d7.dion.ne.jp/~kumi.78/mise.html
by ぶらぶら (2005-12-07 14:47) 

あんころぉもち

オ寒さま、私の素朴な疑問にお答えいただき、ありがとうございました。G県に行った際は、ちょっと探してみます。
by あんころぉもち (2005-12-07 15:32) 

あまの

「ねね」さん。神戸ねえ。いいマチですねえ。甲乙つけがたいのはわかりますが、あなたがすきなあんぱんは、どこのですか。神戸へいったときのために教えてください。

「momo」さん。たしかに家で食べながら能書きを読むと、おいしさが増すかもしれませんね。特に、木村さんちのあんぱんは、歴史といっしょに食べないと、ありがたみがわからない。拝んでから食べましょう。

「あんころぉもち」さん。つぶあんのあんまんは邪道だ。あっても食べるな。でも、あったらおしえてくれ。

「ひゃくみ」さん。さえてますね。面白いお話、どんどん聞かせてください。ちなみにぼくは、あんが主役、皮が脇役とおもっています。ただし、脇役が笠知衆の場合は、脇役が主役になるので、あんはどうでもいいことになります。でも、そのくらいすごい皮はめったにない。

「オ寒」さん。つぶあんは、自己主張が強いというか、口にしたとたん、むっと小豆の香りが迫ってくる。こしあんはその点、ひかえめですね。表現のタイプで言うと、つぶあんはアメリカ流のオーバーステートメント、こしあんはイギリス流のアンダーステートメント、といった感じでしょうか。

「あんこと皮」さん。あんこと皮の主従関係は、長い間流動的でした。ただし、肉や野菜に代わって小豆があんの材料として登場したときから、あんこの新時代がはじまったように思います。で、小豆のあんこをここまで洗練させたのが、ほかならぬ日本文化だった、というふうにぼくは思ってるんですね。

「ぶらぶら」さん。おっしゃるとおり、山崎くんちの「高級つぶあんぱん」は、「お手ごろ価格であんこたっぷり」のところがすばらしい。コンビニ商法としては、山崎くんの勝ちはあきらかですね。あなたのおかげで、ぼくもひさしぶりに、つぶあんぱんを食べました。
by あまの (2005-12-08 22:21) 

芸術犬

むかしからのパン屋さんベルナール三芳堂のご主人によるとパン屋さんはかならずあんパンを置かなければいけないそうです。
おしゃれなパン屋さんでもクールなベーカリーでも絶対にあんパンは必要だそうです。
おかないとかならず年配の人にあんパンはどこですか?と聞かれるそうです。
それほど日本人の生活にとけこんでいるのですね。
そうなるとやはりクラシックなほうがいいと思います。
お蕎麦屋さんとざるそばみたいなものでしょうか。
by 芸術犬 (2005-12-13 00:49) 

JN

空也餅って、銀座の空也もなかの前進だそうです。

http://www.kashi-kashi.com/sanpo/town/shop/ginza_shop/kuuya.html
にはこんなことが書いてあります。
>空也の和菓子は、古くから文士たちに愛されてきたことでも有名です。夏目漱石や林芙美子をはじめ、彼らの小説の中に登場するのはほとんどは最中ですが、漱石の「吾輩は猫である」だけは空也餅が登場します。
 空也餅とは空也もなかの前身とも言えるお菓子で、あんこ玉をもち米でただくるみ「空也」という文字を刻印したもの。たいへんひかえめな甘さで、柔軟材も加えていないため、なるべく当日中に味わいたい商品です。
by JN (2006-11-04 14:00) 

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