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あんころ爺のひとりごと [あんこ学]

「ヤだね」と、母はよく言った。
「いい」か「わるい」かではなく、「イキ」か「ヤボ」かが、物事を評価する母のモノサシだった。かっこ悪いものやマナーの悪いものに出会うと、母はちょっと眉をひそめて「ヤだね」と言ったものだ。
母は明治生まれの江戸っ子だった。江戸と言っても足立区の千住だから、ちゃきちゃきとは言えない。が、気分はいつもちゃきちゃきで、ポンポンものを言い、シャンシャン行動した。
趣味は長唄だった。三味線はほどほどだが、唄がうまかった。母が子どものころは、下町の女の子のけいこ事と言えば、長唄がふつうだったらしい。幼いころから習った長唄を、18歳で酒屋のおかみさんになってからもうたいつづけ、後年、暇ができてからは、お師匠さんから名前をもらって、近所の人に教えるようになった。
子どものころ、母たちがうたう「勧進帳」とか「娘道成寺」とかを聞いて、その意味はほとんどわからなかったけれど、唄の向こうから、甘く、妖しく、美しい世界がゆらゆら立ちのぼってくるのを、ぼくはどきどきしながら感じていた。
「イキ」と「ヤボ」のモノサシで世間を見る母の美意識は、そんな長唄がかもし出す空気と当時の下町の気風のなかから、生まれ育ったものなのだろう。
母は、教育がましいことは何ひとつ言わなかったが、母の強烈なまでの美意識が、母のふだんの言葉やふるまいを通して、ぼくのなかにじわじわとしみこみ、いまのぼくの感じ方や考え方をつくっているのではないかと思う。
その母も、だいぶ前に世を去った。が、いまでも、自分の言ったことやしたことが、みっともなかったなと感じたときなど、母の口ぐせの言葉が、耳に聞こえてくるような気がする。
「ヤボはヤだね」

長い文章を読ませてごめんなさい。これ、ことしの5月20日の毎日新聞(大阪版)に書いたものです。ぼくの母のように、なんでも「みっともない」といった美意識に還元してしまうのは困りものですが、いまはこういう意識がうすっぺらになりすぎてしまったような気がする。それもまた困りものではないかと思います。
ぼくが子どものころ、ごはんを残したり、こぼしたりすると、母は「みっともない」と、ぼくを叱ったものですが、でも、父は違った。父は「もったいない」と言いました。「みっともない」と「もったいない」。このふたつの言葉は、別に反対語ではありませんが、このふたつの言葉のズレというか、スキマの向こうには、どうもいろいろなものがひそんでいるような気がします。あなたはそんなとき、なんと言って叱られましたか。
あまり長くなるから、つづきは次回にしますが、ちなみに、ぼくの母はこしあん派、父はつぶあん派でした。


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ななこ

私の明治生まれの亡くなった祖母も「ヤだね~」が口癖でした~

破れたジーンズなどはいていると「みっともない」とよく言われたのを思いだします。
祖母のおはぎは天下一品でしたが・・・・おばあちゃんはつぶあん派だったのかな?こしあん派かな?聞いてみたいな~
by ななこ (2005-12-02 21:37) 

オ 寒

「もったいない」としかられました。生業は百姓(すでに僕が生まれた頃は第2種兼業農家・・・今もこの分類はあるのだろうか?)だったのであんこはいつも自家製のあずきで作ったつぶあんだった。あんこになる前のフツフツと煮あがったあずきに砂糖を入れて食べると、素敵にうまかった。煮あがったあずきをふきん又は手ぬぐい状の布で濾して、こしあんも作ってもらった記憶もある気がするが、定かならず。僕はアンパンはつぶあん・大福とあんまんは漉し餡がいいのだが・・。優柔不断かね・・・。
by オ 寒 (2005-12-02 22:12) 

よもだのよむ

記憶によると「もったいない」と言われたと思います。
「みっともない」は、頻繁には聞かなくなった気がします。
あえて言うなら母親のほうが使います。それは私に対してでなく、
俗に言う「片付けられない人」の親戚に向かってですが。
散らかった部屋を訪れる度に「みっともない」と本人に言っているそうです。

前回のあまのさんのコメントにあったように、サイズが常識を超えると嬉しいのは確かですね。今日コンビニに行くと、ポッキーのビッグサイズが売られていました。サイズが大きいだけでなぜか欲しくなっちゃいますね。
ちなみに、道後温泉の商店街で「ジャンボ坊ちゃん団子」を買ったときは、ポッキー以上に興奮しました(笑)
by よもだのよむ (2005-12-02 22:39) 

ぶらぶら

つぶあん派のぶらぶらです。「みっともない」と「もったいない」の違いは確かに面白いですね。自分の祖父母について考えると、食事のときは祖父母ともに「もったいない」と注意していたと思います。服装などの生活面では、祖母が「みっともない」と顔をしかめていました。祖父はあまり注意しませんでした。
 「みっともない」は外見や生活態度が悪いのに対して、「もったいない」は人やモノの扱いが悪いことに対して使われているのかなと、考えました。もう少し抽象的に考えれば、「みっともない」は動作主に対して、「もったいない」は動作対象に対して使われる言葉なのかなと、思いました。
 そうすると、男性より女性の方が「みっともない」という言葉を使う機会が多いような感じがします。母親は子供に対して躾をすることが多いですから、当然、子供の行動に対して発言することが多い。よって、悪い行動の動作主である子供に対して「みっともない」と発言することが多くなるのではないか、と考えた。
http://netburabura.seesaa.net/
by ぶらぶら (2005-12-03 16:58) 

tami

天野さん、素敵なお母様だったんですね。

さて、ご飯をこぼすと私の母の言ったせりふは
「お行儀が悪い」
でした。それにご飯を残そうものなら
「目がつぶれるよ」
と脅し文句付きです。
お米を作るのに88回もの手間がかかっていて大変なのに、食べ残したら罰があたるというわけです。
お魚の食べ方がきたないと
「お行儀が悪い」
食べ物の事で兄弟げんかをすれば
「お行儀が悪い」
と注意されましたね。

先日、テレビで森永卓郎さんが、食べ物を取り落としても、3秒以内ならばい菌も心配しなくていいから食べてもいいという3秒ルールなるものがあると話されていました。私ははじめて知ったのですが、子供が
「あ、それ給食の時つかうよ」
とのこと。天野さんは御存知でしたか?
でもこれは、最後に楽しみに残しておいた卵焼きだったり、大好きなから揚げを落としたりしたときに、汚いけれど食べたい心理を正当化しているみたいですね。これは「もったいない」じゃなくて少し「みっともない」ルールのように感じるんですが・・・・。
by tami (2005-12-03 22:39) 

ぼくとこ

いま、週刊ブックレビューでブログを紹介されているのを
拝見して、訪問しました。
とてもすばらしいテーマを語られていることを知りました。
番組が終わって、文章を味わって読みます。
by ぼくとこ (2005-12-04 09:49) 

ゆき坊

つぶあんかこしあんか、今度おばあちゃんに聞いてみよう!
by ゆき坊 (2005-12-04 11:14) 

うるら

私も、週刊ブックレビューを観ながら早速こちらへやってきました。
私は、あんこならどっちでもいいのですが、あえて言うなら「こしあん」です。舌触りがお上品だからですかね。ちなみにうちの娘(22歳大学生)は、こしあんしか食べないのです。連れ合いは、どっちもダメでほとんど食べませんが、「どっちかに決めて」とせまると「つぶ」と答えました。娘も私もB型で、連れはA型ですが、血液型は無関係でしょうね~。
by うるら (2005-12-05 00:10) 

ねね

私もブックレビューを見て訪問しました。
近頃の若い娘は「かわいい~」と「きも~い」がモノサシのようですね。
私は子供が食べ物をこぼしたとき、「あーぁ、大変だー」と自分が大騒ぎしていたような気がします。
道理で子供たちには躾が身についてない訳ですね。
んでもって、あんこはつぶあん派のB型です。
by ねね (2005-12-05 00:31) 

あまの

「ななこ」さん。破れたジーパンは、爺のあたしも「みっともない」と感じます。ところで、ジーパンのうしろから、背中だけでなく、パンティが見えるのは、みっともないと思うんですが、そういうあたしは古いんでしょうか。

「オ寒」さん。うちで、あずきをふつふつと煮込んで、できたてをたべるんなら、つぶあんがいいですね。こしあんは、やっぱり、しらない人が作ったものがいい。こしているところを見てしまうと、ちょっと食べる気がしなくなってしまいそうで。つまり、あれは殿様用食品じゃないかと思うんです。良くも悪くも、抽象的で、人間くさくないわけですよ。

「よもだのよむ」さん。部屋が散らかっているのは、あなたがみっともないわけではなく、お母さんがみっともないわけですね。こんなびんだれに育ててしまって、という恥ずかしさ。お母さんに嘆いてもらいましょう。(びんだれとは、伊予松山の方言で、だらしのないこと)

「ぶらぶら」さん。みっともないという言葉は女性のほうがよく使う、というのは、思いもよりませんでした。でも、ぼくはよう使うんで、もしかしたら、ぼくって、女かしら。

「tami」さん。落としたたべものを拾って食べるのは、みっともないか、それとも、もったいないからそうするのか。いいテーマをありがとう。近いうちに、「以下のうち、みっともないと思うことにマルをつけてください」というモンダイ集をつくるつもりです。いい例題があったら、教えてくださいね。

「ぼくとこ」さん。ばかなことやってますけど、よかったらあそびにきてください。

「うるら」さん。血液型ねえ。いいですねえ。ぼくの知りあいの若い女性が、たいへんな血液型マニアなんですが、自動車教習所にかよっていたときのある日のこと、教官が「オー型の人ついてきてください」というので、何人かの人たちと一緒に教官について外に出たら、なんと大型トラックが待っていたそうです。「オーガタ」違いだったんですね。たぶん、その女性はつぶあん派だとぼくは思います。

「ねね」さん。そうか、「きも~い」と「みっともない」は、美意識の面で通じるところがあるかも。でもねえ、「きも~い」って言葉、きも~いですよね。面白い指摘、ありがとう。

「ゆき坊」さん。つぶあんかこしあんか。おばあちゃんに聞くついでに、ご飯残すのはみっともないか、もったいないか。こっちも聞いてきてね。
by あまの (2005-12-05 02:15) 

ばいきんまん

このあいだはお返事ありがとうございました。
天野さんからコメントをいただけるなんて、とってもうれしいです。

僕は、「みっともない」ことにはいろいろあるけれど、「もったいない」ことも「みっともない」ことのひとつだと思います。
モノを粗末にするのは、もったいなくて、みっともない。

ちなみに僕は、ご飯を残したら「みっともない」としかられました。
でも、その「みっともない」は、「ごはんを残すようなもったいないことするなんて、みっともない」という意味だったように思います。
「もったいない」ことをするのは、他人から見たら「みっともない」んじゃないでしょうか。
主観(もったいない)か、客観(みっともない)か。
つまり、天野さんのお父さんは天野さんの視点から、天野さんのお母さんは世の中の視点から、ご飯を残しちゃいけないということを言っていた。
新説:つぶあん派=主観的、こしあん派=客観的、なんてどうでしょう?
by ばいきんまん (2005-12-05 19:27) 

IKU

はじめまして。
ご飯を残したら「もったいない」と母に言われました。
でも一番記憶に残っているのは、一度だけ祖母に言われた同じ言葉ですね。
一緒に生活していない祖母に言われたせいなのか、それとも優しい祖母に言われたせいなのか解らないのですが、子供心に驚いた記憶があります。
by IKU (2005-12-05 21:48) 

kohei

愛媛から千葉に上京してきたのですが、この間交通事故を起こして、心配してくれて、母がお見舞いにきてくれました。久しぶりの母の手料理なのですが、多過ぎて残してしまったとき。「もったいなけん今度温めて食べな」といって保存してくれました。
昔を思い出して感じた事が、米粒を茶わんなどにつけて、ごちそうさまをしようとしたときなどは、みっともないといわれ、沢山残した時などはもったいないと言われていたと感じました。
みっともない、もったいない。確かに微妙な感じですね。できるのにしないことがみっともなくて、できそうなのにしないことをもったいないと感じます。

日本語おかしいかな?すみません。みっともないですね。笑
by kohei (2005-12-06 00:18) 

あまの

「ばいきんまん」さん。ユニークなご意見、主観的に「なるほど」と思いましたが、客観的にはどうでしょうか。でも、参考になりました。

「IKU」さん。たしかにだれに言われるかで、意味も響きも変わってきますね。ふだんはやさしいおばあさんが、そんなふうに叱ってくれるのは、うれしいことですね。もったいないことですね。

「kohei」さん。やさしいお母さんですね。きっと、こしあんがお好きなお母さんだと思います。
by あまの (2005-12-06 02:01) 

りりこ

はじめまして。ミメイさんのところから来ました。
あんこと絡ませたお話、とてもおもしろいです。
「みっともない」と「もったいない」について言うと、記憶にはどちらもあまり覚えがありません。自分の感覚でいうと、「みっともない」は世間に対して言う言葉、たぶん母親のほうが世間体を気にしていた、という感じがしました。一方「もったいない」はそのものに対して使われる。ものを大事にする気持ちによるものかもしれません。こしあんといのは手間隙かけて作られた、いわば人の手によるところが大きい。つぶあんは、小豆がところどころ残っていて、そのものの形がある。とすれば、世間体を気にする母親が外から見たときに(見た目・外観)、その形がいびつでないことすべらかに美しく見えることを好んだのかなぁと思います。父親はごつごつした食感に小豆の粒がある、そのものを大事に思う気持ちからだったのかな、と。
勝手な推理ですけど、そう思いました。

世間体っていうとそこまでして他の人からよく思われたいのかというようなマイナスなイメージがありますが、自分が持っているそういうイメージは時代によって作られてきたのだと思っています。自分を大事にする、我慢しない、そういった感情が現代では主流だと思います(個人主義の流れで)。が、これまで日本人の感情として和を尊ぶという土台が崩れ(それは、和、というもののマイナスイメージに私たちが気づきはじめたからだと思います)、あたらしい土台を作っていくなかで、捨てようとしてきたもの、でもあります。人の目を気にすることで、自分を正すこともできる。人の意見を聞くことが知識になるといった日本人の感情のプラスの面を「みっともない」や「もったいない」はあらわしてくれている。そんなふうに考えました。
ちなみに私はこしあん派。「みっともない」は自分で気づけよ、派です(そんなのあり?)
by りりこ (2006-04-27 21:29) 

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