続・犬に学ぶ [ことばの元気学]
突然ですが、「隠居屋」を正式(?)に開業しました。
ひまがあったら、そっちもちょっとのぞいてくれるとうれしい。
ところで、前回の《宝島社》の広告は、なんのことやらさっぱりわからん、あんな広告を面白いというお前もさっぱりわからん、という声がありました。
ま、世の中にはわからないものはいっぱいあるし、わからなくてもいいものもいっぱいある。
だから、別にいいんです、わからなくても。わかった人は、エライってわけでもない。
ただね、頭のいい人ほど、かえってわからないっていうこともあるんだよね。
むずかしく考えすぎちゃうの。
もちろん、アメリカの犬に「おすわり!」とか「おあずけ!」なんて言っても通じないよね。
でもそれは、日本人のことばが通じないのであって、犬同士の問題じゃない。
犬同士って、国籍なんか関係なく、もっと本能的というか、感覚的なところで、会話が成立するにきまってると思うよ。
「猿の毛づくろい」が、言葉の起源だっていうでしょ?
お互いに仲間として共感しあうために、猿は毛づくろいをし、人間は毛がないからことばを交わすことで共感ゾーンをつくりだす。
意味を伝えることば(理解を求めることば)なんかより、そういう感情を伝えることば(共感を求めることば)のほうが、ずっと先に成立したし、大事なものなんだよね。
そんな犬にできることが、どうして人間にできないのか。
意味を伝える言葉だけでやりとりしてるからじゃないか、って、あの広告は言ってるわけで。
それがわからないっていう人は、意味でわかろう、意味をわかろうとしているんじゃないのかな。
ま、アメリカの大統領と日本の首相が愛称で呼び合うなんていうのは、そういうつもりなんだろうけどね。でも、愛称で呼び合えばそれでいいってもんじゃない。
なんて、こんなことを、くどくどと意味で語ろうとしているぼくも、困ったもんだけどね。
そうそう、こんな話をしてるより、ちょっとうちの犬を散歩に連れて行かなくっちゃ。
上の写真でぼくと会話してる犬は「ドコ」っていうの。ぼくと同じ老人、じゃない、老犬。
ひまがあったら、そっちもちょっとのぞいてくれるとうれしい。
ところで、前回の《宝島社》の広告は、なんのことやらさっぱりわからん、あんな広告を面白いというお前もさっぱりわからん、という声がありました。
ま、世の中にはわからないものはいっぱいあるし、わからなくてもいいものもいっぱいある。
だから、別にいいんです、わからなくても。わかった人は、エライってわけでもない。
ただね、頭のいい人ほど、かえってわからないっていうこともあるんだよね。
むずかしく考えすぎちゃうの。
もちろん、アメリカの犬に「おすわり!」とか「おあずけ!」なんて言っても通じないよね。
でもそれは、日本人のことばが通じないのであって、犬同士の問題じゃない。
犬同士って、国籍なんか関係なく、もっと本能的というか、感覚的なところで、会話が成立するにきまってると思うよ。
「猿の毛づくろい」が、言葉の起源だっていうでしょ?
お互いに仲間として共感しあうために、猿は毛づくろいをし、人間は毛がないからことばを交わすことで共感ゾーンをつくりだす。
意味を伝えることば(理解を求めることば)なんかより、そういう感情を伝えることば(共感を求めることば)のほうが、ずっと先に成立したし、大事なものなんだよね。
そんな犬にできることが、どうして人間にできないのか。
意味を伝える言葉だけでやりとりしてるからじゃないか、って、あの広告は言ってるわけで。
それがわからないっていう人は、意味でわかろう、意味をわかろうとしているんじゃないのかな。
ま、アメリカの大統領と日本の首相が愛称で呼び合うなんていうのは、そういうつもりなんだろうけどね。でも、愛称で呼び合えばそれでいいってもんじゃない。
なんて、こんなことを、くどくどと意味で語ろうとしているぼくも、困ったもんだけどね。
そうそう、こんな話をしてるより、ちょっとうちの犬を散歩に連れて行かなくっちゃ。
上の写真でぼくと会話してる犬は「ドコ」っていうの。ぼくと同じ老人、じゃない、老犬。