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そりゃ聞こえませぬ [ことばの元気学]

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難聴の若者がふえているらしい。
これはアメリカのデータだが、10年前には20人に1人くらいだった若者の難聴が、5年前には約5人に一人と激増しているという。
単純に計算すれば全米に難聴の若者が650万人いるということになるそうな。
これは10代の若者についての調査だから、20代の若者も含めたら、すごい数になるんじゃないだろうか。

アメリカだけの話じゃない、この国の若者にも、難聴がふえていると思う。
おもな原因はヘッドフォンにあるというのが通説だ。
ヘッドフォンを使っている時間が多いということもあるだろうが、問題は、その音量にある。
適度な音量で聞いているぶんには問題はないが、鼓膜も破れそうな音量で聞いている若者がいる。それもけっこう多いように思う。

むかし、作曲家の林光さんに、こんなこと言ったことがある。
「最近、シェイクスピア時代の音楽がかなりCDで出てますけど、あれって、すごく静かで単調ですね。つい眠くなっちゃう」
ところが、林さんの答えはこうだった。
「いや、決して単調じゃない。あの微妙な音の連なりや響きのなかに、当時の人たちは、豊かなイメージを聴きとっていたんですね。いまのわれわれは、そういう音の微妙なゆらぎを聴きとる耳を失ってしまったっていうことですよ」

たしかにいまのぼくらは、音の文化を失っている。
「江戸は音(耳)の町・東京は文字(眼)の町」という原稿を以前書いたことがあるけれど、いまは金魚売りの声や風鈴の音を楽しむような文化はなくなってしまった。言葉からも、どんどん音が消え、文字が幅をきかす時代になっている。耳は難聴でもかまわない時代になったんだろう。

難聴なら大きな声で話せばいいと思うのだが、いまの若い人の中には、声の小さい人が多い。
喫茶店でも百貨店でも、店員さんの声がやたらに小さいと思うのは、こっちがそれこそトシのせいで難聴気味になっているせいだろうか。

で、そういうときは、「そりゃ聞こえませぬ、伝平衛さん」とぼくは小声で言うことにしているのだが、「伝平衛さん」なんて言ったって、彼らにはそれこそ「そりゃ聞こえませぬ」ってことになるんだろうね。

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絵=ISAKO(上)
   豊國「お俊伝兵衛」(下)



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