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まことの花 [ことばの元気学]

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昨夜、道後で美女に、それも二人の美女に会った。
冨士真奈美さんと吉行和子さん。
といっても、偶然すれ違ったわけではない。
松山の子規記念博物館でぼくがプロデュースしている「道後寄席」に出ていただくために、ぼくがおよびした客人である。
ことしの道後寄席は、イッセー尾形さん、いっこく堂さん、志の輔さん、岩浪洋三さんといった人たちが来てくれることになっているのだが、吉行さんと冨士さんはそのトップバッターというわけだ。

で、夜の6時半から8時まで、お二人は自在なトークを展開してくれたのだが、600人の客席からはほとんど笑いの絶えることがない。おかしいのに、深い。軽いのに、濃い。お二人の人生の厚みが感じられるようなトークだった。

いうまでもなく、お二人の本業は女優である。が、同時に著名な「俳人」でもある。

雪解けや男の腸を踏む如し
秋の陽をまぶたに乗せて駱駝行く
秋扇去りし男に未練なし

これは吉行さん(俳号は窓烏)の句。

歴戦の肉(しし)犇めきし水着かな
左利きの男であった賀状読む
身ひとつの身を深々と初湯かな

これは冨士さん(俳号は衾去)。

ここには、たまたまぼくの好きな句をあげただけだが、ほかにもいい句をいっぱい書いている。
そんな二人の話を聞きながらあらためて思ったのだが、どちらも、とてもきれいなのだ。
もともときれいな人たちだが、若いころのきれいさとは違った大人のきれいさというか。
若いころはだれでもそれなりの花が咲くわけで、それを世阿弥は「時分の花」と呼び、歳を重ねてから少数の人だけが咲かすことのできる「まことの花」と区別したが、この人たちには、そんな「まことの花」の美しさを感じさせるものがあると思った。

「勁さ」(つよさ)と「優しさ」(やさしさ)が、無理なく同居しているのだ、この人たちには。
こういう大人が、もっとたくさん出てくるといいな。

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