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ナンセンスのセンス [ことばの元気学]

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所サンが好きだ。デビューしたころから好きだった。
で、広告批評から、所サンの本を出してしまった。編集も装丁も自分でしてしまった。
あまり売れなかったけれど、それは芸能人の本を出すのに不似合いな出版社だったせいだろう。
内容は、所サンが書いた歌の歌詞とギャグの集大成。この人のナンセンスのセンスは、ほんと、すごいものがある。

<南京豆>

南京豆 皮むいて 口に入れて
噛んだら 砕けて なくなった

南京豆 皮ごと 口に入れて
噛んだら やっぱり なくなった

南京豆 鼻の穴に 両方突っこんで
大福 口に入れたら なくなった
死んじゃった

<ムシ>

右舷 前方から
左舷 後方へ
机の上を はってゆく虫がいる
気にしない 気にしない 気にしない
ムシ!! 

こんな歌詞が112編。あとは昔話のパロディ集など。
ほんと、すごいよ、この人は。

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いま書店に出ている「島森路子インタビュー集」にも、所サンは顔を出している。これがまた面白くて、校正しながら何度も吹き出してしまった。

「あのね、<悲しい顔>ってあるじゃない。それはそれでいいんだけど、<楽しい顔>っていうのが面白いんだよね。<楽しそうな顔>というとわかるけど、<楽しい顔>というと、意味が違ってきちゃうでしょ。<悲しい顔>と<悲しそうな顔>はくっついてるんだけど、<楽しそうな顔>してる人と<楽しい顔>してる人じゃ、まったく違うように感じちゃう。きのう、詞を書いてて、それで笑っちゃってさ、<楽しい顔>してるだと、ほとんどバカにしてるんだもん、半分以上。(笑)これ、僕はけっこう好きなんだけど、<笑っていいとも!>の時間帯にこういう話しても、<なんなの?>ってなっちゃうんだよね」(島森路子インタビュー集①<ことばを尋ねて>より)

この面白さが通じないなんて、ぼくも「悲しい顔」になってしまうが、所サンのナンセンスは、江戸小噺のナンセンスに通じるものがあると、ぼくは思っている。
で、「土用の丑の日」も近いし、最後にぼくの大好きな江戸小噺をご紹介。前にもこの欄で書いたことがあるけど、ごめんね。

土用の丑の日に、町内の若いモンが三人でうなぎを食べようということになった。
ひとりが金を出し、ひとりがその金でうなぎを買いに行き、もうひとりがそれをさばくことになった。
さて、買ってきたうなぎを近くの原っぱでさばこうと、右手でうなぎの頭をつかんだのはいいが、ぬるりとうなぎは手から逃げる。
あわててそれを左の手でつかもうとすると、またぬるり。上へ上へと逃げていくうなぎを追っている内に、とうとう男の足は地面を離れ、どんどん空に向かって昇りはじめ、ついには雲のかなたへ消えてしまった。
それから一年。残された二人は、消えた男の法要をしようと、以前の原っぱにやってくると、何やら一枚の紙きれが、ひらひら空から降ってくる。
なんのことかとその紙きれを拾ってみると、そこにはこんな歌が書かれていた。

去年(こぞ)のきょう うなぎについて登りけり
 いまにたえせず、登りこそすれ (他筆御免)

ちなみに、「他筆御免」というのは、「手が離せないので、ほかの人に書いてもらった」といった意味。「ほかの人ってだれだ」なんて、やぼなことを言うと、「悲しい顔」になっちゃうからね。

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絵=ISAKO
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