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隠居の肩の力 [ことばの元気学]

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昔の仲間たちが喜寿の祝いをやってくれて。
お祝いに花やら菓子やら、いろいろもらっちゃった。
これも、その中の一つ。友人の上野くんからのプレゼント。
「素隠居」。
隠居はいいけど、隠居の上についている「素」はなんだろう。
「素顔」の素か、「素浪人」の素か。
ま、いいや。と、ひとつ食べてわかった。
「素浪人」の素だ。
だって、つぶあんだったもん。
こしあんだったら、素隠居じゃなく、御隠居だよ、やっぱり。

ま、素隠居にせよ御隠居にせよ、隠居のすばらしさは、「自由」にある。
「隠居宣言」をした横尾忠則さんによれば、「隠居とは肩の力を抜いた生き方」だそうな。
ぼくの見るところ、横尾さんは若いころから肩の力を抜いていたみたいだけど、それでも、世間的な重圧が少しは肩にかかっていたんだろう。
(この辺は、来月15日の隠居大学で会うから、ちゃんと聞いて見よう)

横尾さんですらそうだから、地球を肩に背負っているような生き方をしてきたぼくなどは、肩が岩のようにコチコチになってしまっている。
いまは、それが少しはほぐれてきたところで、言いたいことを誰にも気がねなく言えるようになってきた。
肩の力を抜くには、なまじっかマッサージなんかをしてもらうより、言いたい放題を言ったほうがいいみたいだ。

たとえば、「行き場のない米軍基地は、この際、アメリカに引き上げてもらおうぜ」とか、「どうしても日本に基地が必要なら、沖縄からお台場に引っ越してもらおうや」とか、「あの石原さんなら、いやとは言わないんじゃないか」とか、「ついでに東京は日本から切り離してアメリカの州として売り渡そうぜい」とか。
こういうバカなことをことをだらだら言っていると、ほんと、肩の力が抜けて、どんどん気分が軽くなっていくのだ。

肩の力が抜けたら腹がへったんで、素隠居、もうひとつ食べよう。

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