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江戸は音の町、東京は文字の町 [ことばの元気学]

方言ふだ.jpg


江戸は音の町、東京は文字の町。

これも、ぼくの持論です。
「近代社会は、言葉から音を奪った」
と言い換えてもいいし、
「方言は音の言葉、標準語は文字の言葉」
と置き換えることもできます。

げんに、もともと標準語は、書き言葉の標準として明治政府が定めたものです。本当の意味の共通語ではない。
日本の近代化を推進するためには、書き言葉を標準化し、文書主義を徹底させることで、コミュニケーションの効率化をはかることが必要だったんですね。

で、その普及を急ぐあまり、音の言葉の総本山である方言を排斥する動きがはじまった。
これは戦争中の有名な話ですが、沖縄では学校で方言を使うと、罰として首に「方言札」というのをかけられ、廊下や校庭に立たされたりした。方言は「古い言葉」というだけじゃない、「悪い言葉」にされてしまったんです。(井谷泰彦「沖縄の方言札」など)

ひどい話ですね。
もともと言葉は、何万年も前から「音」でした。文字が発明されたのは、たかだか5千年前のことだし、日本人が「黙読」なんかできるようになったのは、100年くらい前のことです。それまでは、文字は読めても「音読」だったんですね。
つまり、文字というのは、遠方へ言葉を送るために、言葉をいちど冷凍する用具みたいなものだったと言っていい。で、冷凍した言葉(文字)をクール宅急便で相手に送る。と、送られた相手は、その文字をもう一度「音」に解凍する(音読する)ことで、相手のメッセージを耳で受け取っていた、というわけです。(ぼくの祖父は届いた郵便物も新聞も、すべて音読していました)

でも、100年間にわたって抑圧されても、方言は死滅しなかった。減りはしたが、死にはしなかった。
それがすごいですね。それだけ、音は強い。音は、からだにくっついているんです。関西人の場合、「疲れた」という思いは、からだを通すと、「ああ、しんど!」という音になって出てくるんですね。
標準語教育で文字(眼)は強制できても、音(からだ)までは強制できなかったということでしょう。

「方言は音である」例をひとつ。
数年前、松山で女子高生がやくざのオッサンにつかまって監禁された事件がありました。
さいわい、その高校生は救出されたのですが、そのオッサンにこう言われてなかなか逃げられなかったと、東京の新聞にも出ていました。
「逃げたらどうなるか、わかっとるの?」
東京の人がこれを読んだら、「松山のやくざは言葉づかいまでやさしいね」と思うんじゃないでしょうか。
とんでもない。「どうなるか、わかっとるの」というのは、「どうなるか、わかってんだろうな!」という脅しの常套句なんです。言い方も「わかってるの?」なんて可愛い気に言うのとは違う。「わかっとるのオ~」と、語尾を伸ばし気味にすごんで言うんですね。

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次の例は、100%濃縮還元の伊予弁のコマーシャル。
出演は亡くなった伊丹十三さん。広告主は松山銘菓の一六タルト。

もんたかや。
ま、一六のタルトでもおあがりや。
ほて、しぇいしぇきはどうじゃったんぞ。
どげかや。ほら、おまえがのふぞうなけんよ。
つばえてぎりおったんじゃろが。
ざんねんなねや。もう、ざんねんからげるぞよ。
ま、せいだしてタルトでもたべることよ。

ほとんど外国語でしょ? 翻訳します。

帰ったのかい。
ま、一六のタルトでもお食べ。
それで、成績はどうだったんだい。
ビリかい。それは、お前がだらしないからだよ。
ぺちゃくちゃ騒いでばかりいたんだろう。
残念だな。まったく残念だよ。
ま、せいぜいタルトでも食べるんだな。

方言は正確には標準語に訳せませんが、ざっと、こんな感じですね。
でも、これが不思議に、耳で聞くと、なんとなく感じがわかる。言ってる人の気分が伝わってくる。
そこが音の、方言の、とても面白いところです。

ちなみに、ぼくが松山の高校生だったとき、学校は違うのですが、伊丹さんは同学年にいました。俳優の露口茂さんが一年上、大江健三郎さんが一年下、ジャズ評論の岩浪洋三さんや先日亡くなったシェイクスピア学者で演出家の安西徹雄さんも同学年でした。
ま、それはともかく、長話につきあわされて、あんたもしんどなったろう。よかったら、一六のタルトでもおあがりや。あんこに柚の香りがしてからに、けっこううまいぞな。

たると.jpg


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anan

美味しそうな一六タルトです。

このような有名ブログに物を申し、お返事をいただくなど、わが身を省みて恥ずかしいのですが、東京イナカッペとして、嬉しくてつい書いてしまいます。

「3丁目の夕日」は、土着民族が生息できた、東京の原風景を懐かしんだことに、製作の原点があります。

思わずここに書いてしまうのは、土着民族としての私の、東京イナカッペ精神があるとご理解ください。

そうです。私たちは音の文化でした。

海外で一番力のあるのは母国語です。言葉として論理的には分からなくても、人間としての心が一番こもるから、本当に困ったときは、母国語を話すといいのです。その母国語は、お国に言葉ですよ。

スペインではわが町の教会が一番素晴らしくて、一番素敵な鐘楼があると信じています。

それと同じように、東京っ子は我が町内の神輿が一番、と思っています。

この客観性の欠如が、良くも悪くもイナカッペの良さと限界です。

それは母が我が子を可愛がるように、何の論理もないのです。我が子だから可愛い。同郷だから信用する。信頼された方も、その期待にたがわぬよう、精進したものです。

東京の中のイナカッペが、ちょっと前まで生息していたのです。

以上、恥ずかしながら、お許しくださいませ。


by anan (2008-06-12 23:02) 

とくさん

伊丹十三さんの一六タルトの宣伝は、よう見ました。
さすが、天野さん、文字にしてもらって、今、何回も
伊予弁を思い出しながら、練習してみました。

懐かしさと伊丹さんのいらっしゃらない痛みが、ふつふつと
湧いてきました。

大江健三郎は、学生時代、テレビ局で、私、バイトしてましたが、
その時の部長が大学の同期で、よく、大江さんの話を聞きましたし、
やまさんも故郷の星でした。

松山は、洗練された街だと思ってますが、
帰省した時に、テレビから「ラフォーレ原宿」のCMが流れてきて、
何で東京の宣伝、松山でやっとるん、と思いました。
三越の横にできてました、ラフォーレ原宿、、、
ちょっと、がっかりしました。東京に憧れ、学生時代、
東京で過ごそうと思っていた私ですが、がっがりしたこと覚えてます。

もともと、親藩だった伊予の国は、やはり、江戸に弱いのです。。。
by とくさん (2008-06-13 00:00) 

rio

一六タルト!懐かしいですね。最近のタルトとは違って、スポンジもアンコも両方ぎゅっとつまっているといいますか、密度が濃くて、食感がしっかりしてるんですよね。上品な甘さで大好きでした。

関西の芸人が毎日テレビに出るようになって、大阪弁の微妙な「音」がどんどん失われているように感じます。上方の年配のお笑い芸人と、全国で売ってるお笑い芸人とでは、「音」がかなり違います。残念です。
by rio (2008-06-13 00:43) 

あかみどり

「ガーン」「バキューン」「シーン」・・・
マンガ評論家の夏目房之介さんは”オノマトペというより音喩”と
「マンガの読み方」という本の中で指摘しています。
そのマンガが日本で発展したのは、もちろんそれだけではないにしても、なるほどなと思いました。

「じゃりん子チエ」「夕凪の街 桜の国」「大阪豆ゴハン」・・・
ほかにもいろいろありますが、今ふと思いついた会話が方言の
マンガを思い返すと、標準語のマンガとはまた違う感覚があって、
日本語の音の持つ、”深さ”を思い知らされます。

追伸:あんこに柚子の香りとは、なんとも美味しそうですね~。
by あかみどり (2008-06-13 14:25) 

リック

けったか。
ほれ、一六のタルトでもくわっしゃい。
そいで、成績はなじょだった。
げっぽか。そら、おめがみっしりやらねっけんだ。
しゃべっちょばっかして騒いでたんだろ。
どーしょもねぇ。ほんに、どーしょもねぇ。
まぁ、タルトでもくえばいいこっつぉ。

以上、天野さんの標準語訳を参考に、
新潟の中越地方の方言に翻訳してみました。
(厳密には中越の中でも、一山越えるともう言葉がちがってくるので、
長岡近辺の人が訳すと、また別の言い方になると思います)
by リック (2008-06-13 16:12) 

REI

一六タルト。食べてみるまではどんなものかと少々恐々でしたが、食べてみるとこの柚子の香りがなんとも言えず、おいしいものでびっくりしたことを思い出しました。
伊予の国、松山という地は亡くなった父が大学生として4年間住んだ町でした。(昭和23年からの四年間だと思います)残念ながら、その当時の話を聞いたことがないのですが、なんの因果でしょうか、弟が松山ではありませんが、伊予の国の人と結婚することになり、愛媛に親戚ができました。(弟も私も京都生まれ・育ちです)愛媛の中でも、町ごとに少し言葉は変わってくると思いますが、私にわかるように選んで話してくれるお嫁さんの言葉の音は、素朴で優しく聞こえました。温暖な気候も関係しているのでしょうか。
それにしても、標準語は、書き言葉の標準として明治政府が定めたものということ・・・知りませんでした。では標準のイントネーションとは誰が決めたのでしょうか・・・。無知ですみません。関東出身のお友達の前で標準語で書かれた文章を音読すると、違う!といっぱい突っ込まれ笑われそうです。しかし私にしたら、いつまでも関西弁の話せない友達を鼻で笑ってやっていますが!(笑)
ちなみに彼女のお子さんは関西で生まれ育ちました。一生懸命関東の言葉で話しかけているにも関わらず、お子さんはすっかり関西弁のネイティブで、彼女の祖父母に、なんて乱暴で汚い言葉だと呆れられるそうです・・・。けれどお子さんにしたら、みんなの輪の中に入る為の無意識の自衛策なのかも・・・と天野さんのブログを読ませていただいてふと思いました。考え過ぎかな。
by REI (2008-06-13 21:36) 

ぜんそく

小さい頃、「そうなんけ」など、言葉の語尾に「け」をつけていました。それを一回親に悪い言葉だからと、矯正されたことがあります。今も使う時に、ほんのちょっとためらいます。
でも親が止めても子供は聞かずに使います。小さい子が下品な言葉を言っているのを聞いたりするとかわいいです。
「~~ぞな」もかわいいですね。
by ぜんそく (2008-06-14 00:12) 

鯖川鯖次郎

僕が関西弁(主に神戸)を話す女性ばかりを好きになってしまうのは、音のせいでしょうか。
飴やお粥のことをわざわざ「飴ちゃん」「お粥さん」と呼ぶ、そういう習慣にも惹かれてしまうのです。
by 鯖川鯖次郎 (2008-06-14 22:47) 

わかば

伊予弁って、本当に文字にすると優しいというか、
あたたかい感じがしますよね。
やくざの人の話ではありませんが。

逆に、幼いころ過ごした、尾道だと、
「じゃけぇ」とか「じゃけん」、「じゃろ」などが
語尾につくうえ、言い切りというか、語尾が
伸びない話し方なので、なんとなく
冷たい感じを受けられてしまいます。
「言い方がきつい」とか。
同じ内容の話をしていても、言い方一つで、
かわってくるんですよね。
よく、「言い方がきつい」と注意されます(>_<)

伊予弁が、どことなくのんびりした感じがするのは、
やはり語尾の違いなんでしょうかねぇ…。
by わかば (2008-06-14 23:01) 

シモの娘

この週末、近所のスーパーで「四国の銘菓祭」なるものをやっていました。迷わずに一六タルトを・・・懐かしい味でした。
天野さんの文章を読んでから、何を食べても求めるものは「一六タルト」だったと気付いた次第です。落ち着きました。
懐かしい味に酔うと、思い出すのは松山にいた頃のことです。
母と歩いていた道の景色です。
特に憶えているのが、母の母校だった高校。
大江さんや伊丹さんの話もよく聞きました。
そのときの母はちゃんと伊予弁で、きっと私も話せていたはずなのに・・
自分の声は思い出せません。
そのスーパーで、「キビナゴ」を見つけました。
また思い出すのは鹿児島で過ごしていた時の私で、その日、家族に喋る言葉も鹿児島弁になっているので、笑いました。

本当にしんどい時、思わず出るのは「すったいだれた」という鹿児島弁です。
京都弁ではでません。きっと京都では心底しんどい思いをせずにいるんだろうと思います。
とても不思議なのは、子供達が「家族ごっこ」をしているときは、女の子も男の子も標準語です。
これはテレビの影響なのかなぁ・・・と感じます。
ドラマで演じてることを家族ごっこで試しているような・・・

一六タルトはほんとうにおいしい・・・・



by シモの娘 (2008-06-16 11:23) 

あまの

「anan」さん。
鳥の目も大切ですが、虫の目も失っちゃいけない。標準語と方言の、二つの言葉で物事を感じ、考えることが必要なんでしょうね。

「とくさん」さん。
「ラフォーレ原宿松山」の誕生には、ぼくもびっくりしました。でも、いまはもう、つぶれたのか、消滅しましたね。新しさに媚びるのでもなく、かといって、古さに執着するのでもなく、松山は松山ならではの、魅力的な町になってほいいものです。

「rio」さん。
テレビの画面に、しゃべってる人の言葉が、なにかというと字幕になって出てくる。あれはみんなの耳を悪くする困ったやり方ですね。「音」貧乏の人がふえる一方です。

「あかみどり」さん。
シェイクスピア時代の音楽を聞くと、とても単調に聞こえるのですが、作曲家の林光さんいよると、「昔の人は、あの単調は旋律の中に、微妙な音のゆらぎを感じ取り、それを楽しんでいた」ということです。ぼくらの耳が、すっかりオソマツになってしまったということですね。

「リック」さん。
中越方言の「一六タルト」、ありがとう。とても参考になりました。中越で食べるタルトは、きっと、ああいう味がすると思います。

「REI」さん。
たしかに。言葉がその人の表情や身振りをつくり出すんでしょうね。日本語を話しながら、フランス人の身振りはできない。フランス語の響きの中に、フランス人の身振りを引き出すような何かが内在しているんじゃないでしょうか。

「ぜんそく」さん。
「そうでございます」と「そうだぜ」とでは、どっちが丁寧か、どっちが上品か、ということは言えませんね。モンダイは言い方とか、そのときの表情しだい。「ざあます」言葉をやたらに使う下品なご婦人を、ぼくは知っています。

「鯖川鯖次郎」さん。
明らかに「音」の力ですが、でも、「音」によわいのもほどほどに。頭のいい女性には、飴ちゃんみたいにナメられますよ。

「わかば」さん。
伊予弁と尾道弁のどっちが優しいか。それを決めるのは、しゃべり方にもよりますね。とても美しい尾道弁を話す人を、ぼくは知っています。

「シモの娘」さん。
一六タルトもおいしいけど、「くずきり」や、竹筒のなかに入っている「ようかん」なんかにも、京都にはすごくおいしいものがありますね。食べたお店の名前は忘れましたが、あの味は忘れられません。















by あまの (2008-06-16 22:32) 

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