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大阪弁は嫌いだ [ことばの元気学]

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大阪弁は嫌いじゃない。むしろ、あの独特のやわらかさと、飾りっ気のない物言いが好きだった。
東京弁というか、標準語は、へんに気取ったところがある。かっこつけたところがある。
それにくらべると、大阪弁の表現は率直で、ミもフタもないくらいリアルなところがあって、そこがとてもいいなと思っていた。

が、このところ、大阪弁が気に障ることが多くなった。
とくに、若手のお笑い芸人の大阪弁が、どうもいけない。うるさい。品がない。図に乗っている。

大阪弁を耳にする機会が多くなったせいもある。
昔は大阪弁を聞くことは、それほどなかった。
ラジオから聞こえてくる「エンタツ・アチャコ」や「いとし・こいし」の漫才くらいだった。

が、いまは違う。
テレビから聞こえてくることばは、半分くらいは大阪弁じゃないかと思えるくらい大阪弁があふれている。
昔は、たまに方言が聞こえてくることもあるけれど、テレビから流れてくることばの90%は共通語(標準語)だった。
それが、明石家さんまの登場あたりから大阪弁がどんどんふえはじめ、いまや日本のテレビは大阪弁に占領されてしまった観がある。
このぶんでいくと、いまに日本は大阪弁が標準語になるんじゃないかという感じさえするくらいだ。

ま、それならそれでいい。いまの標準語が、別にいいとは思わない。
が、どうも気に障るのは、若い大阪芸人たちの使う言葉の、品がないことだ。
別に上品ぶる必要はない。むしろ大阪弁には、標準語のお上品ぶった嘘くささを暴き、破壊するよさがあり、それが魅力でもあった。ミモフタもないところに、飾り気のない率直さがあった。飾らないことの品位があった。

が、いまテレビにはんらんしている大阪弁には、ミモもフタもないどころか、ナカミもない。あるのは、悪ふざけと薄っぺらなくすぐりだけだ。そこには、大阪弁ならではの、大阪弁本来のよさが、ほとんど感じられない。

かなしいことである。こんな大阪弁が標準語になるくらいなら、むしろ、秋田弁が標準語になるほうがよっぽどいい。
(と、東京の隠居は思うのだった)
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