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すばらしいしつこさ [ことばの元気学]

大貫卓也さんのしつこさは尋常ではない。
「こだわり」ということばは、ぼくは大嫌いで使わないのだが、
この人にだけは使ってもいいような気がする。

例えば、このとしまえんの広告。

大1.jpg
「ことしはとしまえんの7つのプール用に1000台のデッキチェアを用意した」
という広告なのだが、
なんと実際に1000人の人に水着姿でデッキチェアに寝そべってもらうという
手のかかる撮影をやってのけている。
といっても、モデルさんを1000人やとうなんて予算はない。
「会社関係友人関係、ありとあらゆる知り合いをかき集めて2日がかりでスタジオで撮った」
んだそうな。
チェックはしていないが、同じ写真が2カ所に使われているなんてことはないらしい。

と思ったら、これ。

大2.jpg
おなじみ、1993年のカンヌ国際広告映画祭でグランプリをとった日清カップヌードルの広告だが、
ここに出てくる100人ほどの原始人役の人たちを選ぶのに、大貫さんがいちいち面接したらしい。
「こんなロングの映像で、ひとりひとりの顔なんか見えないんだから、テキトーでいいじゃない」
と言ったら、
「とんでもない、そういうところから表現は壊れるんです」と言っていた。
そういえば、「ガリバー旅行記」を書いたスウィフトも、こう言っていたっけ。
「物語はそれが架空のものであればあるほど、細部が精密に描かれなければならない」

そうかと思うと、この人はこんな手抜きみたいな広告もつくる。

大貫プール.jpg

これも実は、考えに考え抜いた広告なんだろうが、
80年代後半に始まるとしまえんの広告から、その後のラフォーレ原宿や日清カップヌードル、
さらにはペプシマン、パンダの新潮文庫、「日本の女性は美しい」という資生堂の最近の広告まで、
この人のつくる広告は、どれもすばらしいしつこさにあふれている。
クリエイティブがぎゅうぎゅうにつまっている。
そう、クリエイティブというのは、まさにこういう行為を言うんだろう。

そんな大貫さんと、この22日(日)には、東大の福武ホールで公開トークをする。
この30年間の彼のすごい仕事について、たっぷり聞くつもり。楽しみだ。

くわしいことは、「クリエイターズ・トークHP」へ。





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ことばは音だ [ことばの元気学]

前田知巳さんとのトークはとても面白かった。
その中で、久しぶりに前田さんの名作、秋田県の広報CMを見ました。
ずいぶん昔のCMですが、前田さんに頼んで最近の作品と一緒に持ってきてもらったのです。
ちょっと、見てください。


どうですか。いいでしょう?
まず,温泉の湯煙の中から聞こえてくる女性のナレーションが、
何を言ってるのか、全然わからない。
でも、そこがいいんですね。
まるで音楽のように美しいと思いませんでしたか?

そう、方言の美しさ、純正秋田弁の響きの美しさですね。
言っていることの意味よりも、情感のこもった音の美しさに思わず聞き惚れてしまう。
で、ぼくみたいなおっちょこちょいは、
すぐ秋田の温泉に行きたくなってしまう。
で、ああいう言葉をじかに、この耳で聞きたくなってしまう、というわけです。

もうお分かりと思いますが、このCMのよさは、女の人がしゃべっている言葉の意味を
画面の下に字幕で入れるような野暮なことをしなかったところです。
言葉の持つ美しさを、前田さんは、ちゃんと耳できいてほしかったんです。

ところが、これには後日談があって、このCMを見た全国各地の人たちから、
「何を言っているのかわからない、字幕を入れてくれ」
という声が届いたんだそうです。
秋田県はその声に負けて、前田さんは反対したのですが、字幕を入れてしまったんですね。
それが、これ。


どうですか。字幕が入ってもそんなに悪くはないのですが、やっぱりないほうがいい。
字幕が入ると、それを目で追って意味を知ろうとするぶん、耳が留守になってしまう。
声を聞かなくなってしまうんです。

ま、こんな話をいろいろしたんですが、
やっぱり,言葉は音ですよね。
音を失ったら、言葉は半分死んでしまう、とぼくは思っています。
言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、
文字が生まれたのは、ほんの昨日のことですから。

とくに言葉で音が大事なのは、
意味だけでなく,感情が、気持ちが、音には入っているということです。
先日、テレビで福島のおばあさんが
「原発はもうイヤだ」
と言っているシーンを見ましたが、
その言葉には、何万語を使っても書きあらわせない感情が表現されていました。

それにくらべて、原発の是非をテレビで語っている評論家や学者さんの言葉の
なんと貧相なことか。そらぞらしいことか。
その人たちが討論している場にあのおばあさんが来て、
「原発はイヤだ」
とひとこと言ったら、だれもなにも言えなくなってしまうんじゃないでしょうか。
ぼくは言葉の音を大切にしたい。
原稿を書くときでも、いつもそう考えています。




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トンネルを抜けると [ことばの元気学]

トンネル.jpg
「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」
というのは川端さんの「雪国」の有名な冒頭ですが、
「3・11の暗いトンネルを抜けると」どんな風景が現れるのか。
質素だけど豊かな国の風景を期待しているのですが、
どうもいままでとあまり変わらない光景になりそうな気がして。
ここはふんばりどころですね。

で、こっちの「とんねるず」のほうは、
「広告批評」1995年8/9月号の表紙ですが、
16年前となると、さすがに若いですね。
で、このときの特集は「戦後広告50年史」。
戦争というトンネルを抜けてから50年間の、貴重な広告資料を満載した特別号です。
たまたまこの号が100部ほど手元に残っていましたので、
11日(日)のクリエイターズ・トークに来てくださる方へのお土産にすることにしました。
3・11というトンネルを抜けたあとの広告を考える、一つの材料になると思います。

詳しいことは、こちら。
クリエイターズ・トークHP





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商品広告?意見広告? [ことばの元気学]

古い話で恐縮ですが、6年前の夏、岩波書店からこんな本が出ました。

ブログ用前田さん広告.jpg
タイトルは
憲法を変えて戦争へ行こう
という世の中にしないための18人の発言

井上ひさしさんとか美輪明宏さんなど18人の意見をのせたブックレットで、装幀は副田高行さん。
改憲論議がまたぞろ出てきた中でのタイムリーな出版なのですが、
本だけでなく、その新聞広告がまた話題になりました。
たとえば,これです。
maeda11.jpg
1冊の本に新聞1ページを使った大型広告というのもオドロキですが、
そのコピーが全国の新聞42紙(中央紙・ブロック紙・地方紙)に一斉に掲載されたこと、
しかも、そのコピーとデザインが新聞によっていろいろ変わるというやり方にもびっくりでした。
たとえば、こんなふうにです。

hara2.jpg

コピーはこうです。

およそ5000万人が死んで、今の日本国憲法は生まれた。
「たとえ戦争になっても、戦いに行くのは他人」だと、思っていませんか?
見上げれば 爆撃機が飛んでこない 青い空
戦争を体験したおじいちゃん、おばあちゃんがいる人は、今のうちに、いろいろ聞いておこう。
悪いトコを捨てられない。いいトコを捨てようとする。日本ってどういう国なんだ。
こういう本が、出しにくい時代になる前に。
例外は例外を生み、やがて、例外は例外でなくなる。
そして、子孫から恨まれよう。
(など)

このコピーを書いたのは前田知巳さん、デザインは副田高行さん。
どちらも、ぼくの敬愛するクリエイターです。
その前田さんと、10日(日)の「クリエイターズ・トーク」で
ぼくはおしゃべりをすることになっているのですが、
この人は「戦うコピー」を書かせたら、いま日本一だとぼくは思っています。

本当に怖いことは最初、人気者の顔をしてやってくる。

以前、社民党の選挙CMで,前田さんが書いたコピーです。
自民党の小泉さんに、社民党の土井たか子さんが挑戦したときのテレビCMでした。
が、このCMは,結局流れなかった。民放各局に放送を拒否されてしまったのです。
理由は他者の誹謗中傷に当たるというものでした。

原発国民投票を提唱した「通販生活」のCMがテレビ朝日に拒否されたのもヘンな話だけど、
これもヘンな話ですね。
とくに、選挙なんて戦いじゃないですか。
相手を痛烈に批判するなんていうのは、当たり前です。
ま、それはともかく、こういうコピーを書かせたら、本当に、前田さんはうまい。
いや、うまい、というんじゃない。いい。スルドイ。
社会派的な視点を持ったすぐれたコピーライターだとぼくは買っています。

10日には久しぶりに前田さんに会って、最近の仕事の話をたっぷり聞かせてもらうつもりですが、
時間があれば、岩波のこの本や、社民党のCMについても聞いてみたいと思っています。
それはそうと、仮に岩波のこの本の広告をテレビCMにして流すとしたら、
テレビ局はこれも放送を拒否するんでしょうか。
これは、商品広告なんでしょうか、それとも意見広告なんでしょうか。

maed.jpg

写真は前田さん。クリエイターズ・トークのお問い合わせは下記へ。
おみやげ付きですよ。
http://creators-talk.jp/




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まだあった [ことばの元気学]

「広告批評」のバックナンバーを整理してたら、
原発の広告がまだ出てきた。
1988年の6月に出た主要各紙に出た新聞広告。
hara1.jpg
gen2.jpg

ま、例によって例のような広告だけど、2点とも新聞1頁の大スペース。力が入ってるなあ。
それはそうと、
このところ、原発存続の空気が強くなってきているようで。
来年あたり、こんな広告がちょっと意匠をかえて、また出てくることになるんだろうか。
脱原発・脱成長。なんとしても実現しないと。

あ、脱成長に関連して、
ヴァンス・パッカードの「浪費をつくり出す人々」を読み返してみた。
メーカーが繰り返す計画的陳腐化。その日常化。古い本だけど、新しい。
いまの「成長」は「暮らしを豊かにするための成長」ではなく、
「成長のための成長」に成り果てている。
原発なみに、これはこわい。
パッカードのことはいずれまた。
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テレビさんへ [ことばの元気学]

asa1.jpg
けさ(23日)の朝日新聞の第1面です。うまいレイアウトだなあと感心しました。
「原発コスト4割高」というトップの大見出し。
そこに左から割り込むように、チェルノブイリの原発事故で汚染された地域の写真。
「立ち入り禁止」の立て札が、「原発コスト4割高」の記事の侵入に「NO!」と言ってるみたいで。
そうなんだよね。原発の発電コストが高くなろうが安くなろうが関係ない。
これはもう、お金の問題じゃない。
ちなみに先日の朝日には、同じ取材班によるこんな写真ものっていました。
原発事故で消えてしまった町や村の名札です。(撮影・日吉健吾さん)

チェルノ.jpg

「今回の特集は原発国民投票です」という通販生活のCMにも、こういう墓標が必要のようで。
ただし、前回のブログで、放送を断ったのは「各放送局」と書きましたが、
あれはぼくの間違いで、断ったのはテレビ朝日ということでした。
ただ、ほかの民放局に申し入れても、たぶん答えは同じではないかとぼくは思います。
で、理由は前にも書いたように、
原則としてテレビは「意見広告」を扱わない、ということになっているからです。

ま、それも一つの考え方ではあると思います。
が、いままではともかく、いまのように日本中が大ゆれにゆれている時代に、
国民のための最も強力なメディアが、そんなノーテンキなことを言っていていいんでしょうか。

「原発をどうする?」「国民投票は必要かどうか?」「意見広告のあり方は?」といった問題を、
テレビはあくまでもテレビらしく、つまりわかりやすく、そして誤解を恐れずに言えば面白く、
とことん議論する場を、たくさん用意してほしいとぼくは思います。

そんなことをやっても視聴率がとれない、なんていうのは怠慢をごまかす言い逃れです。
だれも小難しくやってくれなんて言ってない。
視聴率がとれるような、面白いやり方でやってくださいな。
やれるでしょう。そういう知恵ならいっぱいあるでしょう。

とりあえずは、「通販生活」のあのCMは意見広告かどうか、
そんなところからやってみるのもテですね。
テレビショッピングよりは、きっと面白くできると思いますよ。
できれば、ネットもまきこんでね。



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これって意見広告? [ことばの元気学]



もうご存知の方が多いと思うけど、このCMの放送がテレビ局で断られたんですって。
ま、テレビは政治的な意見広告を扱わないことになっているので、これを政治的な意見広告と判断したんでしょうが、さて、どうなのか。
それに対するぼくの意見(異見)は23日の「CM天気図」(朝日新聞)に書きましたので、くわしいことはまた。

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絵の話・字の話 [ことばの元気学]

下は、谷内六郎さんの「北風とぬりえ」の中の「白い坂道」という章の絵です。
で、その下は、谷内さんが書いたその章の原稿の1枚目、手書きのものです。
当時はワープロなんてなかったし、あっても谷内さんは使わなかったでしょう。
で、その次のブロックは、同じ原稿を印刷用の文字で組んだものです。
上は明朝体、下はゴシック体です。
つまり、一つの絵に、原稿を3種類の書体で 並べてみたわけですね。

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何故、こんなことをするのか。
ま、隠居はヒマだから、ということもあります。
が、それだけじゃない。
絵と字の働きを、いろいろ考えてみたかったんです。

たとえばいま、絆、絆って、
やたらに「絆」って言葉が使われているけれど、
「絆」ってゴシック体で叫んだって生まれるもんじゃない。
手書きの文字が持っているような手触りのある言葉の力が、
本当の絆を生むんじゃないか、とか。

でもなあ、そんなこと、1人で考えていたって面白くない。
で、それを一緒に考えてくれる、すばらしい人見つけました。
ぼくがとても信頼し、尊敬しているデザイナーの葛西薫さんです。
というわけで、
こんどの日曜日、17日の夕方6時半から、青山ブックセンター本店ホールで、
葛西さんとトークをします。
内容は、谷内さんの「北風とぬり絵」の絵について。そして字について。
きっと面白いと思います。
何よりもぼく自身、葛西さんとしゃべれるのをとても楽しみにしています。

それにしても、谷内さんの作品はすごい。
谷内さんの描いた世界には、ぼくらが忘れてはいけないものがいっぱい詰まっている。
ぼくはそう思っています。

お申し込みは青山ブックセンターのHPで


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広告のゆくえ [ことばの元気学]

企業にとって、いちばん大切なのは「信用」です。
それも市民社会での信用です。世間の信用です。
そのことがいちばんわかっていないのが、いまの電力会社です。
テレビで昨今の九州電力の対応を見ていると、
あきれてものが言えません。だから、きょうは言いません。

で、話題一転。
このCM、見たことありますか。



たしか、おととしのカンヌ国際広告祭のフィルム部門で金賞をとったCMですが、東京からスタートした女の子と、福岡からスタートした男の子を、ずーっとドキュメンタリー風に追って、ウェブで流しつづけたらしい。その総集編みたいなカタチでテレビCMをつくったんだそうです。
CMそのものもよくできているけれど、そのプロセスをウェブで流し、話題づくりをしていったところが面白いし、新しい。
作ったのはクリエイティブ・ディレクターの伊藤直樹さん。

ito.jpg
この人の面白いところは、ウェブがらみの新しい広告の方法論を切り開いているところです。
こんどの「クリエイターズ・トーク」は、そのへんの話をたっぷりこの人に聞いてみたい。
マス広告万能の時代が終わったいま、広告のこれからを考える最も先鋭的な話がきけるんじゃないかと楽しみにしています。
13日(日)の午後2時、東大の福武ホール。ぜひ来てください。
クリエイターズ・トークHP

それにしても、九州電力は救いがたい。
あいた口がふさがらない。
で、ここ数日間、ずーっとあきっぱなしです。

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明るい生活 [ことばの元気学]

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CMディレクターの中島信也さんとトークをしてきた。
トークの素材として、中島さんがこれまでに演出したCMを40本ほど見せてもらったのだが、
その中にこんな1本があった。数年前につくられたというナショナルの電球のCMである。



これって、なかなかいいよね。
ナショナルに限らず、これまで電球のCMといえば、明るさばっかり強調していた。
明るいこと=豊かなこと、みたいに。
その先頭を切ってきたのがナショナルで、
そのミュージックスローガンは
♪あかる〜いナショナル
 あかる〜いナショナル
 みんな家じゅう電気でう〜ご〜く
だった。
たしかにそれは、うれしいことだった。
60ワットの電球が100ワットに変わったときは、40ワットぶん気持ちが豊かになった。
が、このCMは言う。

「明るいだけでは未来は暗い」

いま、このコピーが、切実に心にひびく。
明るさはほどほどでいい。
問題は、その電灯の下の生活のあり方だ。
その下の生活が、これからどう変わるか。どう変えるか。
それが問われている。
で、CMの役割は、その下ではじまるこれからの生活のイメージを、どう描き出すかだ。
それも明るく。
こういうCMを世に送り出した以上、
ナショナル(パナソニック)のCMも変わっていかなきゃおかしい。
パナソニックに限らない。
どの企業も「豊かな生活」のイメージのフルモデル・チェンジをしなきゃおかしい。
広告会社もそれをいっしょになって手伝わなきゃおかしい。
勇気と決断をもってそれができるかどうか。
どうかなあ。できるかなあ。
それをやった企業が、21世紀のリーダー企業になれるんだけどなあ。


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