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紅葉はつぶあんだった。 [あんこ学]


もみじまんじゅうはこしあんだが、紅葉のまんじゅうはつぶあんだった。
11月20日にもらった「ひゃくみ」さんのコメントが、ずっと頭にこびりついている。
あの尾崎紅葉が、自分が死んだら「京橋銀座菊の家に注文して米饅頭に紅葉の印を押したのを使うといい。ただし、あんはつぶあんで、折などは気取らないこと」と、言い残したというのだ。
で、「ひゃくみ」さんは、だから紅葉はつぶあん派だったという。なるほど、とも思うし、わざわざこしあんのようないいものをふるまわなくてもいい、といっているところを見ると、本人はこしあん派だったんんじゃないか、という気もする。
が、あれこれ考えた末に、これは「ひゃくみ」さんのいうとおり、紅葉はつぶあん派だったと思うようになった。
なぜか。
①紅葉といえば、やはり「金色夜叉」である。あの小説は、どう考えても男本位で、お宮さんの切ない女心がうまく描けているとは思えない。それに、紅葉は写真でみてもかなりブリーフっぽいひとで、つまりはつぶあん派に違いない。それにしても、貫一お宮の物語も、熱海名所のお宮の松も、いまは知らない人のほうが多くなった。
②紅葉は小説だけでなく、俳句も多く残している。
「鍋焼の火をとろくして語るかな」
「モルヒネも利かで悲しき秋の夜や」
この人の句は、子規の写生句とは対照的に、熱い思いを吐露する感じのものが目だつ。子規の句がクールな句だとすれば、紅葉の句はホットだ。熱血浪漫派の俳句である。ちなみにこの二人は、同じ慶応3年に生まれ、同じように日本の近代文学の黎明期を切り開き、ともに30台なかばで夭折したという点で似通った二人だが、俳句の面ではまったく相容れない仲だったらしい。
この二人の俳句を見るかぎり、紅葉はつぶあん、子規はこしあんで、お互いに認め合わなかったのは当然だろう。
③というわけで、紅葉はつぶあんに違いないと、ぼくは思うのだが、ついでに言ってしまえば、紅葉は俳句より短歌の人だったんじゃないかという気がする。理由はまたゆっくりこじつけを考えてから書くことにするが、俳句の諧謔趣味はこしあんに通じ、短歌の浪漫趣味はつぶあんに似合うんじゃないかと思うのだ。
それにしても、「ひゃくみ」さん、面白い話をありがとう。
写真は、とらや椿山のおはぎ。もうすぐ北の窓。


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