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気分を食べるひとたち [あんこ学]


つぶあん派の「ひなぐま」さんが、あんだんごでこしあんのよさがわかったというのはうれしい。あんだんごに感謝しよう。
「Shunjin」さんは、「こしあん」と「つぶあん」の間に「つぶしあん」があるんじゃないかという意見を寄せてくれたが、そもそも「つぶあん」なんてものはなくて、ぼくらが「つぶあん」といっているのは、本当は「つぶしあん」というのが正しい名前らしいよ。そりゃそうだよね、つぶしてなければ「あんこ」ではなくて「ゆであずき」だもんね。でもなあ、いまさら「つぶしあん」というのもシャクだしなあ、コンビニのあんぱんにも「粒あん」なんてわざわざ印刷してあるしなあ、ええい、ここはもうつぶあんでいくぞ! とひそかに決意するきょうの私でした。
ところで、どうしてひとつの物に、春は「ぼたもち」、夏は「夜船」、秋は「おはぎ」、冬は「北窓」と、わざわざ四つの名前をつけたのかというもんだいだが、おっと、また思い出したから忘れないうちにいっておくと、しばらく前にテレビ・ジャーナリストの人たちのシンポジューム(シンポシオンではない)があって、そのときぼくが聞いたところでは、筑紫さんと鳥越さんは、どちらもつぶあんだった。で、あっちのほうは、ふたりともトではなくてブだったように記憶しているが、それはともかく、つぶあんが好きな人は髪の毛が多い、ということがそのときわかったのだ、ぼくには。これは、もしかしたら、かなり偉大な発見ではあるまいか。
というわけで、春の「ぼたもち」はぼたんの季節、秋の「おはぎ」は萩の季節ということで一応わかるけれど、夏の「夜船」と冬の「北窓」というのはなんじゃらほい、と思う人が多いに違いないと思う。なにを隠そう、そういうぼくもちょっと前まで知らなかったのだが、ものの本によると、こういうことなんだそうな。
春と秋の彼岸には昔はお餅をついたものだが、夏と冬はあまりお餅はつかない。で、隣り近所にめいわくにならないように、トントンつくのではなく、静かにこねてお餅を作ったらしい。で、いつお餅をついたんだかわからない。いつ着いたんだかわからない。夜の船はいつ着いたんだかわからない、ということであるらしい。
北の窓も同じだ。北の窓からは月が見えない。つきが見えない。餅つきが見えない、ってわけ。こんなことを考え出すなんて、ほんと、昔は閑人が多かったんだなあと思う。
あ、それでまた思い出した。ぼくがこしあんの次に好きなのは小林一茶だが、ぼくの大好きな彼の句を教えちゃう。
  閑人や蚊が出た出たと触れ歩く
ああ、いいなあ、ぼくもこういう閑人になりたいなあ。一茶もこしあんだろうなあ。
だが、四つの名前の由来よりも重要なのは、なんのためにひとつの物に四つも名前をつけたかということだ。それはたぶん、ぼくらはものを食べるときに、物だけをたべているのではなく、物と一緒に気分をたべている、ということだろうと思う。まったく同じ物でも、「ぼたもち」を食べるのと「夜船」をたべるのでは気分が違う。その気分の違いを、ぼくらのご先祖さんは愉しんでいたんじゃないかと思うんだよね。
「おい。この北の窓を、横丁のご隠居さんのとこに持ってってやんなよ」なんていっちゃってさ。
「裏の後家さんは夜船が好きだねえ」なんて、こんちきしょう。
ビールの「一番搾り」が発売当初よく売れたのも、「一番搾り」っていう名前の力が大きかったんじゃないかな。ああ、おれいま一番搾り飲んでるんだ、っていう気分ね。中身はまったくおんなじでも、あれがもし「三番搾り」って名前だったら、ああは売れなかったと思う。
上の写真は、きょうの到来物、銀座あけぼのの栗むし羊かんでした。
それにしてもなあ、アンパンマンはこしあんかなあ。


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