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これぞシンポシオン。 [あんこ学]


画家の横尾忠則さんは、根っからのつぶあん派である。なにしろ、田舎の道を歩いていたら、両側の畑が一面あんこだったという夢を見るくらいの甘党で、しかもそのあんこは、まぎれもなくつぶあんだったと断言してはばからないつぶあん派である。
こしあん派のぼくとしては、ほおっておくわけにはいかない。で、横尾さんに決闘を申し込み、決着をつけようということになった。
決闘場は、「料理王国」誌2002年11月号。そのてんまつは、いずれこの欄にも書くつもりだが、結論からいって、ぼくはぼくの勝ち、横尾さんは横尾さんの勝ちだと思っているくらい白熱したものだった。
このときもあちこちから、いいトシをしたおじさんが、なにをバカなことをやってるんだとヒンシュクを買ったが、そういうトンチンカンな非難を排除するために、この際、古代ギリシア・ローマの故事を紹介しておこうと思う。
古代ギリシアやローマの人たちは、夜な夜な、酒杯を手に徹夜でおしゃべりを楽しむ集いを開いたという。そんなおしゃべりの中身が、プルタルコスという人によって記録されているのだが、その目次を見ると、
「宴会の幹事はどういう人物であるべきか」
「なぜ秋には空腹を感じやすいか」
「鶏と卵はどっちが先か」
「ユダヤ人は豚を崇めているから食べないのか、嫌いだから食べないのか」
「アルファベットのアルファはなぜアルファベットのはじめにあるのか」
といったテーマが延々とつづいている。
そうなのだ。どうでもいいようなことを、徹夜で論じ合うことに、サイコーの楽しみを彼らは感じていたのである。
ちなみに、彼らはこれを「シンポシオン」と呼んだが、これがいまの「シンポジューム」のはじまりである。というわけで、こういうのをバカげていると思う人は、人間そのものがバカげているといっているのと同じことで、ま、人間そのものがバカげているのはたしかだけれど、だからこそ人間っておもしろいじゃないかと、ぼくは支離滅裂に思うのだ。
あああ、またこしあんとつぶあんから離れちゃった。
「あんちゃん」と「こつぶちゃん」に、「のぼさん」と「つぶあんバンザイ」が参加してくれて、このシンポシオンもたのしみになってきたようにおもう。
あ、そうそう、正岡子規のあんぱんの絵の細部から、子規がこれはこしあんだというメッセージをわれわれに送っているんじゃないかという「つぶあんバンザイ」くんの意見には驚いた。驚いて、手にしていたこしあんのあんぱんを落としてしまった。で、それを犬に食われてしまった。


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