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子規あんのこと [あんこ学]


四国の松山が生んだ天才、正岡子規の「仰臥漫録」には、彼が病床で食べた食事の品目が、かなりこまかく記録されている。それを見ると、不治の病いに冒され、強烈な痛みに襲われる日々のなかでも、この人は本当によくたべているなあと、驚嘆してしまう。食べること、それが彼にとっては生きることの痛切な表現でもあったのかもしれない。
なんだか文芸評論家みたいな口ぶりになってしまったぞな、ホイホイ、というわけで、何を隠そう、その食べ物のなかに、けっこうあんぱんが出てくるのだ、という話をしたかったのだよ、私は。
ちょっと、上の絵、見てくれる? これ、「仰臥漫録」の1頁だけど、4種の菓子パンのなかの、上から3番目に、「アン入り」と注がついているでしょ。そう、あんぱんですね。これがどうも、子規は大の好物だったらしい。
が、このあんが、こしあんだったか、つぶあんだったか。残念ながら、その記述はない。「写生文」というすばらしいコンセプトを提唱した子規が、どうしてここではパンのなかまで写生しなかったのか。そこがとても残念からげるところだ。(あ、これ伊予の方言)
しかし、日本におけるあんぱんの歴史から考えると、誰がなんといってもこれはこしあんであろうと、ぼくは推測する。ま、日本におけるあんぱんの歴史は、いずれくわしく書くつもり(今はまだ知らない)のだが、明治24年に子規さんがつぶあんのあんぱんなんて食うはずねえだろうと、ぼくはどうしても思うのだ。
あ、そうそう、コメントをくれた「こつぶちゃん」は、こしあんとつぶあんのほかに、日本の東と西を分ける文化はないかと言っていたが、あるんだよね、これが。そばとうどん。ボソボソ文化とツルツル文化。西日本の人って、顔がツルッとしてると思いませんか?
あ、もひとつ、「あんちゃん」の好きなもみじまんじゅうは、ぼくも大好きです。あれもこしあんじゃなきゃ困るよね。ちなみに、あなたの「3大こしあん」って、なんなのかな。教えてほしい。
あ、そうそう、松山には、子規を記念する子規庵というのがあるのですが、今回の「あん」は「庵」ではなく「餡」でした。



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