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成長はもういい [ことばの元気学]

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電球は1000時間で切れるように、いままでつくられていたんですって。
電球だけじゃない。
いまも電気製品の大半は、もっと長持ちできるのに、早く壊れるようにつくられているんですって。
そういう話は前から聞いてはいましたが、
それが本当の話であることを、みごとに実証したテレビ番組を見ました。

先日NHKで放送されたフランス・スペイン合作のドキュメンタリー番組「電球をめぐる陰謀」です。

このことはぼくの「CM天気図」にもちょっと書きましたが、ひどい話です。
つまり、電気製品が長持ちしたら、買い替えが進まない。
どんどん買い替えてもらうためには、早く寿命がくるようにしなきゃならない。
そうしなければ、大量生産・大量消費の歯車が勢いよく回らない。
歯車が勢いよく回らなきゃ経済成長が持続しない。
というわけですね。
こわれた商品の修理を頼むと、「買い替えたほうが修理より安いですよ」と買い替えをすすめる。
それもまた、この戦略の一環です。

こういう戦略を、番組では「意図的老朽化」と言っていましたが、
そう言えば60年代に読んだヴァンス・パッカードの「浪費をつくる人びと」という本にも、
このことは出ていました。
番組でいう「意図的老朽化」が、その本では「計画的廃物化」になっていた。
別の本には「計画的陳腐化」と訳されていたように思いますが、
planned obsolescence
ということですね。

パッカードのその本を読んだ時もぼくはショックを受けました。
が、60年代の日本というのは、経済成長のの入り口に立っていた時期で、
もうひとつ実感がわかなかった。
で、「意図的老朽化」なんて言葉もなんとなく忘れてしまっていたのですが、
「電球をめぐる陰謀」を見て、鮮烈に思い出したというわけです。
そう、いまの政治家や財界人は、やたrに「成長」を口にする。
「成長」抜きに未来は語れない、という。
それには大量生産・大量消費の歯車を
回し続けることが不可欠だという。
で、それは、原発抜きではとても考えられないという。

でも、番組の中でセルジュ・ラトゥーシュさんというフランスの著名な経済学者がいっていましたが、
それは「人間のための成長」ではなく、「成長のための成長」です。
彼によれば、いまのぼくらは、運転手のいないスピードカーに乗って猛スピードで突っ走っているようなものだという。永久につづく成長なんて絶対にあり得ないわけですからね。
「経済成長なき社会発展は可能か」というラトゥーシュさんの本を、野田さんに送ってあげたいと思いましたが、送ってもたぶんあの人は読まないでしょうね。

ところで、「電球をめぐる陰謀」の終わりのほうで、もうひとつ、ショッキングな話が出てきました。
ガーナの地方に捨てられている大量の電化製品のゴミの山です。
ナレーターによると、以前はここにはきれいな川が流れ、子どもたちの格好の遊び場になっていたそうです。
が、いまは先進国からどんどん運ばれてくる電気製品の廃棄物で埋まってしまっている。
ゴミを持ち込むのは法律で禁止されているので、タテマエは中古品ということになっているそうです。
が、実態は大半がゴミ。
これも話には聞いていましたが、映像で見るとぞっとする。
成長経済が垂れ流す、これはウンコの山です。

もう手遅れかも知れない。
でも、なんとかしなくっちゃ。

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