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ことばは音だ [ことばの元気学]

前田知巳さんとのトークはとても面白かった。
その中で、久しぶりに前田さんの名作、秋田県の広報CMを見ました。
ずいぶん昔のCMですが、前田さんに頼んで最近の作品と一緒に持ってきてもらったのです。
ちょっと、見てください。


どうですか。いいでしょう?
まず,温泉の湯煙の中から聞こえてくる女性のナレーションが、
何を言ってるのか、全然わからない。
でも、そこがいいんですね。
まるで音楽のように美しいと思いませんでしたか?

そう、方言の美しさ、純正秋田弁の響きの美しさですね。
言っていることの意味よりも、情感のこもった音の美しさに思わず聞き惚れてしまう。
で、ぼくみたいなおっちょこちょいは、
すぐ秋田の温泉に行きたくなってしまう。
で、ああいう言葉をじかに、この耳で聞きたくなってしまう、というわけです。

もうお分かりと思いますが、このCMのよさは、女の人がしゃべっている言葉の意味を
画面の下に字幕で入れるような野暮なことをしなかったところです。
言葉の持つ美しさを、前田さんは、ちゃんと耳できいてほしかったんです。

ところが、これには後日談があって、このCMを見た全国各地の人たちから、
「何を言っているのかわからない、字幕を入れてくれ」
という声が届いたんだそうです。
秋田県はその声に負けて、前田さんは反対したのですが、字幕を入れてしまったんですね。
それが、これ。


どうですか。字幕が入ってもそんなに悪くはないのですが、やっぱりないほうがいい。
字幕が入ると、それを目で追って意味を知ろうとするぶん、耳が留守になってしまう。
声を聞かなくなってしまうんです。

ま、こんな話をいろいろしたんですが、
やっぱり,言葉は音ですよね。
音を失ったら、言葉は半分死んでしまう、とぼくは思っています。
言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、
文字が生まれたのは、ほんの昨日のことですから。

とくに言葉で音が大事なのは、
意味だけでなく,感情が、気持ちが、音には入っているということです。
先日、テレビで福島のおばあさんが
「原発はもうイヤだ」
と言っているシーンを見ましたが、
その言葉には、何万語を使っても書きあらわせない感情が表現されていました。

それにくらべて、原発の是非をテレビで語っている評論家や学者さんの言葉の
なんと貧相なことか。そらぞらしいことか。
その人たちが討論している場にあのおばあさんが来て、
「原発はイヤだ」
とひとこと言ったら、だれもなにも言えなくなってしまうんじゃないでしょうか。
ぼくは言葉の音を大切にしたい。
原稿を書くときでも、いつもそう考えています。




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