こけも一心 [ことばの元気学]
自分の愚かさを認めようとしない人、言い換えれば「自己批評」能力のない人が、ぼくは嫌いです。
でも、別に、そういう人がいても、それはそれでいい。人はそれぞれですから。
ただ、権力者の中に、そういう人がいるのは困る。みんなが迷惑する。で、そういうときには、ぼくはなるべく文句を言うことにしています。気が小さいから小さい声でですが。
さて、鳩山さんです。
この人の場合はどうでしょうか。
いま、マスコミは、この人を袋叩きにしています。
寄ってたかって「ばか」呼ばわりです。
たしかに、この人の言動は、しばしば馬鹿に見えます。
でも、基地問題では「こけも一心」、火事場のばか力でアメリカに言いたいことを言うだろう、とぼくは思っていました。
ところが、期待もむなしく、その場になったら、ヘロヘロになってしまった。
その点では、たしかに「ばか丸出し」でした。
でも、そのばかさ加減を、あの人は自分でもある程度わかっている。
「私も愚かかもしれませんが」と認めている。
で、なんとかがんばります、と言っている。
こういうときは、ばかをばかとばかにするのではなく、「こうしなさい」「こうしたらどうだ」と、みんなで知恵を出してあげることが大切なんじゃないか、とぼくは思います。
なぜって、
「ばか」「ばか」と「ばか」を連呼しているマスコミだって、ぼくらだって、けっこう「ばか」なんですから。
いまはけなし合っているときじゃない。助け合うときです。
「自分はばかじゃない」とふんぞりかえっているような人は聞く耳を持っていないから、助け合うことはできません。
でも、「自分はばかかもしれません」と言う人となら、お互いばか同士、助け合うことができるんじゃないでしょうか。
そういう場を、マスコミは積極的につくりだしてほしいと思います。
「私もばかだけど、あんたもばかだねえ」
ばかのひとつおぼえですが、これがコミュニケーションの基本だと、ぼくは思っています。