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全方位ジャーナリスト [ことばの元気学]

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ジャーナリストというのは、何かの専門職ではない。
政治が専門とか経済が専門というジャーナリストがいても別にかまわないが、世の中のあらゆることに野次馬的好奇心で向かい合うのが、ジャーナリスト本来の姿だと思う。

とくに、テレビの場合はそうだ。政治も経済も皇室も広告も映画も音楽も美術もスポーツも、すべてを等距離でとらえる目が必要である。そんな世の中のあれこれを、フツーの人間としてとらえる目さえあれば、専門的なことは横に専門家にきてもらえばいい。彼は、「野次馬総代」なのである。

筑紫さんは、まさにそういう人だった。中島みゆきやクミコのコンサートに行けば、いつもうれしそうな顔できていたし、映画もよくまあそんな時間があるもんだと感心するくらいよく見ていた。
で、そんな文化ジャンルの先端にいる人をスタジオに招いておしゃべりをするのが、とても好きな人でもあった。
そこには、政治や経済だけがニュースじゃない、清志郎の新しい活動も、たけしの映画への挑戦も、みんないまの世の中の鼓動を伝えるニュースなのだという思いがあったのだろう。

筑紫さんとは、彼が「朝日ジャーナル」の編集長の時代からのつきあいだが、当時からその姿勢は一貫していた。団塊の世代や「新人類」の人たちがつくりだす新しい文化の動きを、熱心に伝え、彼らの活動にエールを送りつづけた。

テレビCMも、筑紫さんは大好きだった。すぐれたCMには、なによりも「いま」が生き生きと映りこんでいる、と感じていたんだろう。年末に、ぼくと一緒にCMのベストテンを見ながら気ままなおしゃべりをするのを、筑紫さんはとても楽しみにしていてくれた。

もう二度と、その日はこない。



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ten_katsu

初めてコメント入れさせていただきます。(私のような若輩者がよろしいのでしょうかという不安を持ちつつ...)

様々な出来事に対して、一つのキーワードをもとに出された筑紫さんの方向性や考えは、私の考える枠組みを作ってくださいました。アメリカ大統領選挙や世界不況等、今この混沌とした世相に対して、筑紫さんはどう思われているのだろうと思っている最中に訃報をお聞きし残念でなりません。

信念を持つこと、ぶれないこと、少数派になることを恐れないこと。筑紫さんから学ばせていただいた思っています。今私は転職活動中ですが、サラリーマンとしても、それはきっと周囲への信頼につながることと思っています。

天野さんのエッセイやコラム時々拝読させていただいております。心が和みます。寒くなってまいりましたが、風邪など引かれぬよう体調に気をつけていただいて、今後もがんばってください!
by ten_katsu (2008-11-11 02:56) 

rio

筑紫さんが亡くなったこと、本当に残念です。

筑紫さんがテレビの世界に足を踏み入れたころ、「お前はテレビ向きだ」と揶揄されたとのこと。

朝日新聞の政治部記者という「正統」(マスコミ界の出世構造の頂点)から、雑誌、そしてテレビという「異端」へ。顔と名前が売れていくことへのやっかみも含め、風当たりは相当厳しかったはずです。

やっかみや揶揄の背景には、「新聞業界によるテレビ業界支配」という構造、いわゆる”上下関係”があったと思います。それはいまでも連綿と続いていますが、テレビの中でその点を指摘する(指摘した、指摘できる)ジャーナリストを見たことがありません。

唯一、できるとすれば、筑紫さんでした。2011年の地デジ化の欺瞞を指摘し、その背後にある、新聞・テレビ・族議員の癒着構造、支配・被支配の関係に踏み込んでほしかったと思います。
by rio (2008-11-11 03:42) 

銀鏡反応

以前、NEWS23で、筑紫さんと天野さんとの「CMベストテン」を楽しく見させていただいたことを思い出しました。

本当に面白くて、最初に見てから毎年、楽しみにしていたのを覚えています。

「野次馬総代」…一つの事に固執するのではなく、それこそいろんな事に興味を示し、突っ込んでいく。そしてその本質が何であるかを的確に掴む。今考えるに、それが出来た人は筑紫さんぐらいではなかったか、と思います。

もう少し元気でいらしていたなら、TV界のみならず、マスメディア全体の根腐れ現象も、あの柔らかい、押しつけがましくない語り口で踏みこんでくださっていたのではないかと思うと、本当に残念です。
by 銀鏡反応 (2008-11-11 22:55) 

シギー

タイトル、「野次馬総代」を彷彿させる筑紫さん
共著 「自由の森で大学ごっこ」
の本を再読しています。10年前に
新宿の紀伊国屋で購読して本にサイン
をしていただきました。講師になった
方々は多彩ですね。学長としてリーダー
シップをとられていたようですね。
学びの原点、文化の大切さを
再認識しました。天野様の親友の死去、
喪失感の痛みを察します。

by シギー (2008-11-13 01:17) 

みんなのFX

その人の偉大さや存在意義とでも言うのか

本当に亡くなってから感じますよね。

人間は失わないと感じることが苦手なのかもしれませんね。

生きてるときに、元気なときにその人や物、状態を感じて

それを認められるようにならないといけませんね。
by みんなのFX (2008-11-15 19:53) 

gillman

 専門家と言われる人たちは、専門ゆえに見えなくなる世界があると思うんですが、それを力むことなくさりげなく見せてくれましたね。今の金融恐慌も専門家の中から出てきているところが多いと思います。筑紫さんの視点を貫いていたのは、我々に今いちばん必要とされている「見識」というものだったような気がします。

by gillman (2008-11-16 11:24) 

t

声素敵でしたね。
私が見たニュース23での映像のコラージュも照れくさくなる位暖かいものでした。柔らかい切り口で、難しい話も身近に感じさせてくれていたような気がします。
天野さんが考えてらっしゃる、筑紫さんのCMに対する思いは、私が広告批評に対して感じているような事です。
これからも、発信する事やめないで下さいね!

by t (2008-11-16 18:10) 

バイアグラ 購入

いつも楽しみに見させてもらっています!これからもがんばってください★大好きで
す!!!
by バイアグラ 購入 (2008-11-18 00:18) 

あまの

「ten-katsu」さん。
コメント、ありがとう。筑紫さんのすごいところは、ブレないところでした。考えを曲げずに生きるのはできても、「生きつづける」のはむずかしいんですね。

「rio」さん。
ご指摘通りですね。ばかにされながらテレビが大きな力になってきたのは、テレビの人たちの力ではなく、テレビというメディアが内蔵する力だということに、テレビのひとたちも気づいていない。筑紫さんや久米さんの苦労もそこにあったと思います。

「銀鏡反応」さん。
筑紫さんとの「CMベストテン」談義は、ぼくの大切な思い出のひとつになりました。

「シギー」さん。
ぼくが「広告批評」をはじめたころ、筑紫さんは「朝日ジャーナル」の編集長で、親友というほどのつきあいはありませんでしたが、戦友という感じでしたね。

「みんなのシギー」さん。
けなすのは簡単ですが、ほめるのはむずかしい。まず、いいところを見つける、というのが出発点ですよね。

「gillman」さん。
たしかに。物事の本質を見ぬままに、表層をめぐる論議に明け暮れている。筑紫さんと政治家の対談には、いつもそんなズレがありました。

「by t」さん。
ありがとう。ぼくはぼく流にダラダラ発言していきます。














by あまの (2008-11-18 10:20) 

あまの

「バイアグラ購入」さん。
コメントありがとう。また遊びにきてください。
by あまの (2008-11-18 10:27) 

人妻

こんにちは。
このページにたどり着き
筑紫さんの事を思い出しました。
もう2年近くなるんですね。
by 人妻 (2010-08-04 17:42) 

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