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さわれない! [ことばの元気学]

敬愛する「gillman」さんが、病気で嗅覚をかなり失っていると聞いてびっくりしました。
政治家の悪臭や、役人の腐臭を鋭くかぎわける鼻をお持ちなのに、お風呂場に充満していたシンナーの匂いに気づかなかったなんて。くれぐれも気をつけてください。

1猿.jpg

で、考えたんだけど、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚のうち、機能しなくなったら、いちばん困るのはどれか。
触覚だ、とぼくは思う。
だって、握手しても何も感じない。
つねられても、ちっとも痛くない。
好きな人と抱き合っても、なんの感触もない。
やだよ、そんなの。

触覚はいちばん基本の感覚だよね。さわりあうことで、つながり合う。猿の毛づくろいがそうだ。あの触覚コミュニケーションで、連中はつながっている。
「猿の毛づくろいが、人間の場合は言葉になった」と言った言語学者がいるけれど、人間はさらに言葉で、もっと深くさわり合うようになった。
人間は猿のように毛がないので、その不足分を言葉で補うようになったのだ。

「あいさつ」っていうのは、「さわりあい」だよね。あれでつながりを確認し合っている。
ということは、言葉も実は触覚のうちだと、ぼくは思うのだ。
触覚がなくなったら、もう人間社会はバラバラだ。真っ暗だ。
だから、触覚がいちばん大切だと、ぼくは思う。

でもなあ、その触覚も、だめになりつつあるんだよね。
きょう、あるショッピングセンターで、エレベーターからぼくが降りようとしたら、ぼくを押しのけるように若い女性がのってきた。
「降りるのが先だよ」
というのも悪いから、笑って「こんちわ」と言ったら、ジロッとにらまれた。
なーんにも通じない、この断絶感!

でも、もしかしたらエレベーターの乗り降りは、麻生内閣の景気対策の一環で、効率第一の早いもん勝ち。そのぶん少しでも買い物をふやし、個人消費の上昇に貢献しよう、ということになったのかも。
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ヘロいん

そのままにしておくと”どうにも通じない”相手と言うのは少なからず存在するわけですが、そういった方と真正面に向き合うか、いくらかでも拾いに行くか、あるいはスルリと交わしてしまうかは、相手次第ですよね。とはいえ概して、現代人は賢しくなった分、コミュニケーションの距離の取り方が遠くなっている気がします。言わば”触れ”ない距離にまで十分離れがちなのでしょうか。

バス停で列に並んでバスを待っていると、割り込む気満々で列の外で待つ方がいたりします。そう言う方が居ると、僕は、
 「失礼ですが、もしやバスをお待ちなのでしょうか?」
と声を掛けてみます。たいていそう言う方は怪訝そうに「ええ」と答えてくれます。そこですかさず、
 「さようでございますかー。それではどうぞこちらの列のうしろにお並びください」
と慇懃無礼に返答すると、キッと睨まれますが、結局残念そうに最後尾に並んでくれます。

日本人に恥の意識が残っていて欲しいと願いつつ、僕はついやってしまいます。ごめんなさい。
by ヘロいん (2008-11-03 01:01) 

とくさん

前回のコメントで言い残したことありました。
「除光液で消して出荷するなんて、それこそ、ジョコウ哀史ですね。」

私は、横入りしようとする人がいたら、入る時に、
知らなかったふりをして、吹っ飛ばすことにしてます。
女性とお年寄り以外は、、、。
これは、お互い危険だということは、よくわかっていますが、、、。

でも、言ってあげた方が、お互いのためになるかもしれませんね。
これからは、言葉をうまく使おうと思いました。


by とくさん (2008-11-03 11:30) 

銀鏡反応

五感を働かす機能が退化しつつある私達。おっしゃるように中でもやっぱり触覚は大切だと痛感します。

昨今はインターネットが発達し過ぎて、其の触覚のありがたみさえもドンドン薄れていくように思えます。

以前、「ビジネスアスキー」という雑誌を立ち読みしていたら、脳科学者の茂木健一郎さんと、クラブキングの桑原茂一さんの対談が載っていました。其の中で「インターネットは五感のうち二感しか働かせられない」と茂木さんが仰っていたのが頭に残っています。

いわゆる「脳化社会」というのは、人間が段々「さわりあい」を含めた「ふれあい」というのを削除していき、ただ頭の中の妄想で満足するだけがとりえの社会なのではないかと思います…。そしてその“最先端”を、如何やら入っているらしい一つが、日本じゃないかとも思えるのです。
by 銀鏡反応 (2008-11-03 17:26) 

シモの娘

音楽教室の子供達のクリスマスパーティでのこと。
子供達に目隠しさせて、自分のお母さんの手を捜そう・・・というゲームをしました。
お母さん全員で目隠しの子供の前に立って、子供と順番にと握手するんです。
結果・・・6人いたこどもみんな、自分のお母さんの手がわかりませんでした。
毎日娘と手をつないでいた私もちょっと悲しかったです。
一番人気があったのは、お母さん達といっしょに並んだ、若くてやわらかい手の先生でした・・・

電車待ち時、「@@@(娘の名前)、降りる人が先だからねぇ・・・」と言ったら、先に乗ろうとしていた高校生のお兄ちゃんが後ずさりした事を思い出しました。

by シモの娘 (2008-11-04 18:24) 

ぜんそく

あいさつを「さわりあい」と考えるのは、僕もこれから気にしていこうと思います。この頃は、出来るだけ相手に触らないようにするあいさつをしていたかもしれないので。
ひとことでも、上手くいったと思えるやりとりがあると、確かに温かい感じが残るので、言葉で相手にさわったということなんでしょうね。
by ぜんそく (2008-11-05 23:19) 

あかみどり

夏になるといつも思うのですが、セミなどの昆虫を
子どもの頃にはそれほど抵抗なく触れたものが、
それほどどころではなくなって、なぜだか恐怖感や
拒否感が強くなっているのを感じます。
ともかくこのままじゃいけない。とカラダがささやくので、
今年の夏も身近にいたセミやカマキリにタッチしました。


by あかみどり (2008-11-06 09:29) 

gillman

触れ合いですか、そう言えば最近触れ合っていないなぁ、カミさんとも。
ぁ、そうじゃなくて。触覚と言えば、『奇跡の人』のあのヘレンケラーとサリバン先生の感動的なシーンを思い出します。視覚・聴覚等を断たれた彼女に、生きる実感を与えてくれたのは、サリバン先生が彼女の掌に書いた「water」という字でしたね。
 触覚は視覚、聴覚、味覚や嗅覚などが専門受容器官で感じるのに対して、全身で感じ取る感覚ですからちょっと違うのかもしれませんね。いわば我々生命がアメーバーの時代に自己の外側の存在を確認するために獲得して以来ずっと保持している命の根源的機能なのだと思います。それが弱まっているということは、命の力が落ちていることになるのかもしれませんね。もしかしたら第六感はもっと弱まっているのかも知れません。
by gillman (2008-11-06 11:42) 

てん

 触れるって怖いなと思うこともあります。
 先日、田園都市線で居眠りしながら座っていました。目的地に着いたのに気付くのが遅く、ハッとしてやおら立ち上がりました。ところがあわててしまって、私の隣に座っている人の前に立っていた少しおしゃれで普通の中年の男性の左足に私の靴がカチッと当たりました。踏んだわけではありません。触れるよりは衝撃はあったかと思いますが。
 電車のドア開いていたので気がせいていたためにその方に
 「すみません」と言えず、
 「あっ!」と言ってドアにむかって歩いてしまいました。
 電車は降りる人が多く、私は慌てる必要はなかったのです。
 降りる人たちの後ろからゆっくりと足を運んでいたその時、先ほどの紳士に後ろからごつんと踵をけられてしまいました。
 彼は罵声を放つわけでもなく、他の人には何も気付かれることも無く
私をいましめたのです。
 でもなぜか悲しかったのです。触れ合っただけで感じあえるってこんな場合もあるのですね。
 もたもたしている60代の女のつぶやきです。
by てん (2008-11-06 15:08) 

あまの

「ヘロいん」さん。
英雄的行為です。丁寧に言うところがミソですね。

「とくさん」さん。
ぶっとばすのは危険です。ブツブツひとりごとを言うのはどうですかね。

「銀鏡反応」さん。
頭で働く会社員はもういらない。いま日本に必要なのは、からだで考える農民です。「脳化社会」より「農家社会」を!(ここ数日、寒くなりましたね)

「シモの娘」さん。
お母さんの手、か。面白い話ですね。近頃のお母さんの手は、みんなツルツルで、わかりにくいのかな。

「ぜんそく」さん。
言葉でさわれないから、手でさわる。それを「痴漢」と言います。

「あかみどり」さん。
いことです。ただし、ゴキブリとムカデとカメムシだけは、さわらないほうが無難です。

「gillman」さん。
確かに。五感が働かなければ、第六感も衰える。想像力貧乏がふえたのは、そのせいかもしれません。

「てん」さん。
みごとな「対話」ですね。いい話じゃないですか。





by あまの (2008-11-07 10:19) 

リック

日本語が通じなくなった世代の走りが、いわゆる「新人類」と呼ばれた世代のような気がします。自慢になりませんが、自分はまさに新人類と呼ばれた世代に属します。

「新人類」という言葉の生みの親 (?) が筑紫さんだと、今日はじめて知りました。またいつか、ニュース23に、筑紫さんと天野さんが揃って出演されるのを楽しみに待っていましたが、残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。
by リック (2008-11-07 20:19) 

おひさま

初めてこちらのブログ拝見し、コメントさせて頂きます。

義母がいつも教えてくれます。
「手当て」してあげることが一番と。

このことを3人の子供を育てながら痛感する毎日です。
身体、心が病んでいるとき、何よりも「手当て」です。
触れることが一番効き目があること実感しています。

病院でも最近は聴診器をあてるだけのお医者様が多くなりました。
触診してくださる先生を探し求め、やっと巡り合いました。
やはり、何よりも、触れ合うことですよね。

今朝はこのところイライラしている小1長男をただおはようと言いながら
抱きしめました。すると久しぶりに素直な可愛い笑顔で学校に行きました。

触覚が絶えてしまったら、とても怖いです。


by おひさま (2009-01-27 13:00) 

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