ごめん、間違えた [ことばの元気学]
前々回の話の中で、沖縄の「方言札」のことに触れましたが、その中に間違いがありました。おっちょこちょいなもんだから、昔、誰かから聞いたのをそのまま鵜呑みにして書いてしまったんですね。きのうの夜中にふっと気になって井谷泰彦さんの「沖縄の方言札」(ボーダーインク社刊)で調べてみたら、つぎの点が違っていました。
①方言札は戦争中だけのものではなく、20世紀のはじめ、明治40年ごろからあったそうです。
②方言札を首にかけて廊下に立たされるんじゃなく、次に方言を使った子が出るまで首にかけさせられるというのが、罰則の一般的なカタチだったようです。
ごめんなさい。
ついでにご紹介すると、井谷さんのこの本には、戦争中に沖縄のある中学校が配った資料のなかの、こんな生徒向けの文章がのっています。
「……沖縄は善い悪い取り交ぜて独特の癖が有り過ぎる。諸君もまた沖縄の子として、その癖を大きな重荷として持たされている。今こそ諸君はこの重荷をかなぐり捨てて新しい沖縄を創造する一大決心をしなければならぬ。……沖縄的なものの総てを取り去ろう。……諸君の立場で出来る所の標準語の励行、これだけは是非実行してくれ。……諸君は沖縄のみならず日本の運命を双肩に担っている、故に諸君は因循姑息優柔不断という否定的退歩的な言葉を持ってはいけない。方言が県勢振興の一大障碍であるからには、因循姑息優柔不断にならないで断乎としてこの癌を取り去れ……」
すごいですね。方言は「癌」ですと。
方言のような「否定的退歩的な言葉」を持ってはいけないんですと。
この本にはまた、沖縄の代表的な民謡「てぃんさぐの花」の歌詞が、沖縄の言葉の問題を考える一つの例として出てきます。
ユルハラスフニヤ
ニヌファブシ ミアティ
ワンナチェル ウヤヤ
ワンドゥ ミアティ
(漢字まじりの表記にすると)
夜走す船や
子ぬ方星目当てぃ
我ん生ちぇる親や
我ど目当て
(大意は)
夜走る船が北極星を目当てにするように、私を生んだ親は私を頼りにしているよ
こういう言葉を母語として持っている沖縄の人たちに、強制的に日本語を押し付けることのモンダイを、井谷さんは論じているのですが、「一国家・一民族・一言語」なんてとんでもあい幻想につきあわされた沖縄の人たちは、ほんと、大変な目にあったんだなという思いを、あらたにさせられました。
こんにちは。
夏川りみさんの「南風」というアルバムに「てぃんぐさぬはな」が入っています。
このアルバムの中の「童神」が私は大好きです。この歌は、若いお母さん達の間でブームだそうです。
沖縄の歌は人に優しいですね。
意味が分からなくてもなぜかほんわかしてきます。
「涙そうそう」もウチナークチ・バージョンの方が私は好きです。
しかし・・・、方言札だなんてひどい話。
沖縄の人々にとっては屈辱だったでしょうね。
by 楓○ (2008-06-21 11:49)
人の人生から土地の要素を取り除いたら、きっとすごくつまらない人生になるだろうと思いますね。土地とは地勢と水と言葉それがないまぜになってその土地の空気を作っていると思いますが、故郷の山河はなくとも自分が自分自身の存在を意識して生きていられるのも千住という土地があったからだと思っています。それさえ奪われた人々が世界には沢山いることも辛いことですね。
あ、それから昨日カミさんが偶然「一六タルト」を貰ってきました。うまい。最近は見かけなくなりましたが、昔のお菓子「シベリア」を思い出しました。
by gillman (2008-06-22 08:28)
先日、国会でアイヌの人たちが見守る中、
彼らを先住民として認める決議が行われたのをニュースで見ました。
「一国家・一民族・一言語」のスローガンの根深さを見た気がします。
by あかみどり (2008-06-22 09:30)
「楓○」さん。
きょうは「沖縄慰霊の日」です。この日くらい、沖縄の人だけじゃなく、日本中で、何かしてもいいんじゃないでしょうか。広島や長崎の原爆で亡くなった方に迫る数の方が沖縄で亡くなっていることを、知らない人が多すぎるんですね。とくに沖縄の場合は、大半が自爆ですから。つらかっただろうと思います。
「gillman」さん。
そうですね。ぼくも千住があったから生きていけたような気がします。でも、いまの千住は……。奪ったのは、誰でしょう。昔の千住と一緒に「シベリア」も思い出しました。結構、おいしかったですね、あれ。
「あかみどり」さん。
一つの国の中に、いろんな言葉があっていいですよね。そういういろんな言葉がまじりあって「共通語」が生まれていくのはいいことですが、日本の場合、急に上から「標準語」をおしつけたところに、やはり問題の根っこがあるんじゃないでしょうか。
by あまの (2008-06-23 20:40)