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あんこ街道を行く [あんこ学]


はいはい、これは明治19年(1886年)につくられた錦絵広告です。
日本橋中嶋座の正月公演「大鼓曲獅子」(おおつづみまがりじし)の場面を描いたものですが、右から二人目の太鼓を持った男にご注目。太鼓に書かれた「西洋菓子」の文字。そして背中に背負った「木村屋」の旗。そう、なにを隠そう、この男こそ、元祖さくらあんぱんの宣伝マンなのでありまして、
つまり、この明治19年ころには、こういうあんぱん宣伝隊が東京の街をドンドコドンドコ練り歩いていたというわけですね。

さてさて、このあんころ爺さんの旅も、そろそろ幕のひきどきがせまってきましたが、
①なぜ、あんこといえば小豆なのか。
②いつ、いかにして、あんこのビッグバンは起きたか。
③なぜ、あんこは日本文化そのものなのか。
という深遠なモンダイに言及するときがついにきたと思う。ゴホン。

で、まず、あんこといえば、なぜ小豆なのか。どうして、ソラマメじゃいかんのか。なぜに、さやえんどうじゃ困るのか。実は、これだけでも、その気になれば3ヶ月は語りつづけられるテーマなのですが、この際ひとことで言うなら、口当たりのよさと栄養価の高さ、そして一粒一粒の豆の内部にひそむ呪力のせいだと言ってしまおう。(あ、言ってしまった)
小豆が、ほかの豆類にくらべて口当たりがなめらかだということは、ま、だれでも知っている。まさに大野晋先生のおっしゃるような「日本の自然の限りないやさしさ」を、そのまま粒に凝縮した食べものが小豆なのだと言っていいでしょう。
その上、小豆はたんぱく質やビタミンB1を大量に含んでいて、脚気にも効く。ま、むかしの人はたんぱく質もビタミンも知らなかったでしょうが、経験的に「こりゃからだにええぞな」と気づいていたのはたしかです。げんに、疱瘡のはやった時代には、小豆を袋に入れて患者の枕にしたり、お供え物や薬がわりの食べものとして小豆が使われたという話も残っています。
それに加えて、小豆の中には、ほかの豆類にはない呪力が秘められている。前にも言いましたが、その赤い色から、祝い事に使ったり、魔除けに使ったり、そう、疱瘡のときに使われたのも、人々が小豆の中にそんな呪力を感じていた証拠です。ま、中国や朝鮮の一部にもそんな風習が見られるそうですが、とにかく、日本人にとって小豆は生活に欠かせない、というより生活の一部みたいなものだったと言っていいでしょう。

では、日本で8世紀くらいから栽培され、みんなに愛されてきた小豆が、あんことなってビッグバンを起こしたのは、いつ、いかなる事情によってか。
ビッグバンの兆しは、やっぱり、茶の湯の発展とともに現れています。「お菓子のない茶会なんて」というわけで、茶席に欠かせぬものとして、さまざまな菓子が生まれ、あんこが重用されるようになっていくわけです。
でもね、利休さんのころは、まだまだ質素だった。それがさまざまな色合いと味わいを持って菓子文化の花を咲かせるようになるのは、江戸時代も中期になってからのことです。将軍で言うと、八代将軍の吉宗さん、18世紀はじめのころですね。このころは、砂糖の国産化も進んで、甘いものがかならずしもぜいたく品ではなくなったきた、そんな時代です。
まず、京都でさまざまな意匠をこらしたお菓子が誕生する。その菓子が、次々に江戸や地方都市にも広まっていく。で、菓子を売る店が、あちこちに登場してくるようになります。貴族階級相手の御用菓子屋もあれば、お寺や神社の門前町で庶民を相手に店を開く菓子屋もあり、さらには団子や餅や飴を売って歩く行商の菓子屋もあるといったぐあいで、あんこの大衆化時代がやってきたわけですね。で、その原動力となったのは、ひまです。そう、ひま。

こう言っちゃナンですが、この時代のサムライや町人は、けっこうひまだったと思います。戦争がないからサムライはすることがないし、江戸の職人は午後の3時ごろまでしか働かなかったというから、ひまでしようがない。それがよかったんですね。
だいたい、ひまがなきゃ文化なんて花は咲かない。これはぼくの持論ですが、文化っていうのは「ひまつぶし」のことです。人間、ひまができると、それをつぶさなきゃなんない。ひまはあしたまでとっておくってわけにいきませんからね。
で、どうせつぶすんなら、面白くつぶそう、心がいきいきしてくるような、そういう楽しいつぶし方をしようぜ、というんで歌が生まれ、踊りが生れ、芝居が生まれ、絵が生まれ、その他いろいろな遊びや楽しみが生まれ、つまり文化ってものが生まれてくる。そう、「文化イコールひまつぶし」なんですよ。ですから、文化講演会っていうのはひまつぶし講演会、文化人っていうのはひまつぶし人間、文化会館っていうのはひまつぶし会館って言い換えたほうが、わかりやすいんじゃないかとぼくは思っているんです。
というわけで、この時期、つまり、ひまをもてあました江戸時代の中期から後期にかけて、日本に大輪の文化の花が咲く。で、世界でも最高の文化大国になった。それを具体的にあらわすものは、歌舞伎であり、浮世絵であり、落語であり、ということになっているのですが、どっこい、森の石松じゃないけれど、もう一つ、肝心なものを忘れちゃいませんか、ってんだ。そう、あんこです。この時期の日本は、まさにひまにまかせて、世界に冠たる菓子文化、あんこ文化をつくり上げたのです。

それにしても、あんこ文化は、なぜ日本文化そのものなのか。、次回までに、考えてきます。

(図版は「広告は語る-アド・ミュージアム作品集」より)





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スティッチの親分

1886年につくられた錦絵広告すごいの一言です。
また元祖木村屋のさくらあんぱんの宣伝マンさんカッコイイです。
そう言えば私が小さい時にはチンドン屋さんがいましたが今は見かけませんよね。チンドン屋って言葉使ってはいけなかったらごめんなさい。
でも、あの光景いまでも楽しい思い出として頭に焼き付いてます。
ひまつぶしこそ、贅沢な時間ですよね。
文化人がひまつぶし人間だとは思いません。
時間にひまがなくても心にひまを作ってれば、文化も発展すると思います。今の日本人はひまはあっても心のひまが無いからアップアップして
心の狭い人間となり文化も発展しないでテレビ、報道に流されて自分で考える力をなくしてしまったのだと思います。
どんなに忙しくたって心にひまを作ってればいきいきとした物の考えや遊び、文化が生れると思います。
江戸の職人さんはひまつぶし=粋なことを考えよう!って感じで
心に余裕があり、つぶし方ひとつとってもいろんなつぶし方を楽しんでいたんだと思います。発想が豊かだったのでしょうね♪
だから文化人の天野さんも発想が豊かなのです。
最高のひまつぶしの天才です♪
あんこ学をやれるのも天野さんしか出来ませんよ~!
でも、私はこう言う一見バカらしいと笑えるような話の中に
本当に深い意味、メッセージが込められているのだとすっごく勉強になり、天野さんを見習って心にひまつぶしが出来る人間になるたいと思いました。
こしあん・・本当に手のこんだものを作り洗練されていてこれこそ、日本が誇れるお菓子文化の別品ですよね♪
by スティッチの親分 (2006-03-25 08:52) 

TOMOはは

みなさま、お彼岸におはぎを、いえいえ本当は牡丹餅ですね・・・
召し上がりましたか?

春分の日にお墓参りに出かけ
お寺に行く途中にあるお餅のおいしい和菓子屋さんで
漉し餡つぶし餡の牡丹餅とみたらし団子とお赤飯を買って帰り
仏様に先にあげてから、おじいちゃんおばあちゃんたちと一緒に食べました。

いやぁ~、昔ながらの日本人の生活をしておりますね・・・

私も結婚するまでは、家にはお仏壇もなかったので
最近やっと、お茶やご飯をお供えしたり
頂き物を仏様に上げてから、そのお下がり(?)をいただくことが
意識せず自然にできるようにになりました。

もう結婚して20年になりますが、やっと嫁ぎ先の仲間入りができたのかもしれませんね・・・

桜のことなどブログに書いたのですが
できたらTBさせてくださいませ!

いにしえの日本人の心について、ささやかですが想うことなど書いてみましたので・・・・
よかったらお読みいただけたら、うれしいです!
by TOMOはは (2006-03-25 12:06) 

銀鏡反応

おお!これはこれは、元祖キムラヤさくらあんぱん宣伝の図ではありませんか!
いや~、おもしろいですよね~。色合いといい、みんなの顔といい、正に歌舞伎錦絵そのものですね。
東西文化のまさに面白い融合といったら、いいすぎでしょうか?
さくらあんぱんの宣伝マンの顔がほんと、歌舞伎の助六みたいにいい味出していますよね~。キムラヤの宣伝マンで思い出したのですが、タバコで有名だった岩谷商店の「天狗」シリーズの宣伝スタイルもこれまた奇抜だったと伺っています。なんでも、馬からクルマから、御者の服装に至るまでまっかっかだったといいますから、当時の銀座っ子たちの度肝を抜いたことでしょう。あんこも含めて、お菓子の進化の原動力が、みんなの「ひま」だったというのは新しい発見です。おお~、ひとつ、勉強になりました。
ところで、あんこに小豆はよくて、同じ赤い豆なのに、なんでささげじゃだめだったのだろう?
by 銀鏡反応 (2006-03-25 14:01) 

tami

旅の幕のひきどきがせまってきましたって・・・・。ま、ま、まさかこのブログが終るってことじゃないですよね、絶対に。

まだまだ、知らない事、面白い事、沢山教えて欲しいですから。
あ~、神様、私のはやとちりでありますように。

そうそう、BSの「あなたもブログ通になれる!」観ました。外国から入ってきたパンにあんこを入れてアンパンにして日本の物にするって言われていたのを聞いて、出ましたって叫んじゃいました。(笑)
by tami (2006-03-27 01:15) 

ぶらっくびねがー

あまのさん、こんばんは。
またまたお久しぶりに書き込ませてもらいます。
自分もtamiさんと同様、旅の幕の引きどきがという言葉に反応してしましました。まだまだ続きますよね。いやっ、続いてほしいっす。

文化会館=ひまつぶし会館というのに爆笑してしましました。ひまつぶし会館でのひまつぶし人間によるひまつぶし講演会となると入場料が1000円は安くなりそうな感じですね。名前が違うだけで、モノの価値の見方が変わってくるんでしょうかね?

あんこ文化の原動力は「ひま」だったんですねぇ。最近、時間的にも「ひま」があまりない状態なので、ひまな時を見つけて、あんぱんでも食べながら、ひまつぶしについてじっくりと考えたいです。(なんのこっちゃ!?)
by ぶらっくびねがー (2006-03-27 02:46) 

もりぴー

 ゆうきち さま  はじめまして_(._.)_ 
            あんこ”大好きな♀です(^_^)v
今朝拝見! 昨夜、NHK・BSを録画した甲斐ありました!
宮廷料理”通は、○日新聞のコラムやNHK(チャングム通)から存じあげていましたが、あんこ”は初耳でした。
実は私も《あんこ”&餅》大好きでブログに載せています。菓子(餅)とともに、切った状態のあんこ”も同時掲載。
とりわけ、ソラマメのあんこ”が懐かしく、大好きです、先日ソラマメあん”入りのヨモギ大福を作りましたが、家族には不評でした(笑)
お陰で独り占めでした。
これから、このブログ楽しく拝読いたしますm(_ _)m
by もりぴー (2006-03-27 09:34) 

さいとう こうへい。

初めて見させていただきました。
非常に勉強になりますね。

じっくりゆったり読めて、勉強になるブログなので、
落ち着きます。

今後も向学のためにおじゃましますー。

さいとう こうへい ブログ。
http://www.k4.dion.ne.jp/~kk3110
by さいとう こうへい。 (2006-03-27 10:05) 

anmomo

ご無沙汰しております。
なんか幕引きと書いておられましたが。。。。。。まだまだ続きますよね?コメントはなかなかしてないんですが凄い楽しみに拝見させて頂いてるんですよ^^

あの宣伝の絵今見ても凄い素敵ですね。
それこそ「粋」なんでしょうか!
こちらには「木村やのあんぱん」は手に入りずらいんですが
京都まで出れば買えます。

あんこって「たかが」だけどやはり「されど」なんですね。
まだまだお話が出てきそうで楽しみにしています。
ほんと天野さんしか語れない「あんこ」学だと思ってますので^^
by anmomo (2006-03-28 06:52) 

gillman

こんにちは
 文化はひまなんだ、というお説、全く同感です。「俺って幸せなんだろうか」、なんて考えている奴はきっと暇があって幸せなんでしょうね。だから日本人にとって幸せってなんだろう、と考えている今の日本人は豊かになった証拠なんでしょうね。かつかつで食べている間はそんなことは考える余裕はありませんよね。でも、そこからいろいろな考えや文物が生まれて来るんだと思います。
 昔、不動産業で成功したおじさんに今何が欲しいって聞いたら「教養がほしい」って。生きてゆくうえで何の役にも立たない知識を得ることが最大の贅沢なんですね。
 忙しい、忙しいって言っている人だって堀江君みたいに一月以上も独房に入れられたら哲学者になっちゃいますよね。江戸時代の人は心もそうですが、物理的にも時間があったんだと思います。僕らだってテレビを消せばすごくひまになりますね。
 これから団塊の世代がひまになりますから面白いかも知れないです。これから新教養主義の時代が来るんじゃあないでしょうか。
江戸時代の人はひまのついでに小豆までつぶしてあんこにしてしまった。平成の僕らはなにをつぶしましょうか。
by gillman (2006-03-29 17:40) 

あまの

「スティッチの親分」さん。そうです。つぶあんだっておいしいのに、わざわざ手をかけてこしあんを作る。これこそ、ひまつぶしでなくてなんでしょう。あれって、すごく手間がかかるんですよね。

「TOMOはは」さん。ぼくも人並みに、彼岸の中日には両親の写真にお供え物などしてお祈りをしました。お供え物は饅頭でした。で、半日ほどお供えしてすぐ食べました。

「銀鏡反応」さん。よくご存知ですね。岩谷商会の岩谷松平という人は、天下の奇人です。いろんな資料が出ていますが、ぼくも「私説広告五千年史」(新潮選書)という本で、ちょっと書いています。

「tami」さん。いつもありがとう。あんこの話はあと数回で終えますが、ほかの話題でつづけたいなと思っています。できれば、もっとばかばかしい話で。これからもよろしくね。

「ぶらっくびねがー」さん。考えたら、ブログっていうのも、けっこうなひまつぶしですよね。こういうひまつぶしのネタを考える人って、ほんとにえらいと思います。

「もりぴー」さん。ソラマメ餡入りのヨモギ大福っていうのはすごいなあ。いいですねえ。イメージがふくらみますねえ。で、ご家族に不評だったというところが、感動的ですねえ。

「さいとうこうへい」さん。ようこそ。見ていただけるのはうれしいですが、勉強にならないことだけは保証します。笑いにきてください。

「anmomo」さん。いつもありがとう。このところ、ちょっとあんこの食べすぎで。少し胃を休めて、代わりに休みつづけの頭を少し使おうかと思っているところです。

「gilman」さん。「江戸時代の人はひまのついでに小豆までつぶしてあんこにしてしまった」とは、まさにその通りです。次回はそこから書き出すことにします。
by あまの (2006-03-30 18:28) 

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