自然のふところ [あんこ学]
前回は日本海の話でした。その後、「想像力の海」をめぐる絵本を出しました。「このよでいちばんはやいのは」(福音館書店・かがくのとも・390円)という絵本です。機会があったら見てください。
さて、想像力の海から実在の海に話を移しますと、この国は4面を海に囲まれた温暖の地です。4面を海に囲まれていても、ハワイやグアムのような所は、あまりに文明から離れすぎている。その点、日本の場合は、日本海というほどほどの大きさの海をへだてて、中国という巨大な文明国に向かい合っているのが面白いところですね。
しかもこの日本列島は、ほんとうに自然に恵まれています。こんなに自然にやさしく包まれていて、しかも、まわりを海が外敵から守ってくれている。こんな都合のいい国は、世界中さがしてもちょっと見当たらないんじゃないでしょうか。
近ごろは自分の住んでいる県や市に、スローガンをつけるのがはやってますよね。「いきいき富山」とか「さわやか徳島」とか。そのデンで日本にスローガンをつけるとしたら、「ぬくぬく日本」というのがいちばんぴったりじゃないかと、前々からぼくは思っています。いいでしょ、ぬくぬく日本。
で、そんなすばらしい自然環境の中にぬくぬく住んでいると、人間、どうなるか。ま、いまの日本は「せかせか日本」という感じですが、昔は、ホント、ぬくぬく日本だった。みんなぬくぬくしてた。だから、人間は、お互いに親切で、寛容で、和を大切にしたんですね。
砂漠のようなきびしい自然の中にで生きる人たちは、そうはいきません。ぬくぬくしてたら、生きていけない。自然と戦い、自然を制御し、自然を支配しようする。自然との関係が、日本人のような融和の関係ではなく、対立や対決の関係です。
だから、「自然に優しく」なんていう環境広告のコピーを見ると、ぼくはつい吹き出してしまう。自然がぼくらに優しいんであって、ぼくらが自然に優しくしようなんていうのは、ちゃんちゃらおかしい。へそが茶をお沸かしちゃう。ぼくらが自然に対してとれる態度は「畏れる」ということだけじゃないでしょうか。そう、自然を畏れる。恐れるんじゃなくて畏れる。敬い恐れるっていうことですね。
げんにぼくらのご先祖さんは、みんなそうしてきた。その結果が、日本人の資質をつくりあげた。日本語学の第1人者・大野晋さんも、こう言っています。
「(日本人は)朝昼晩の気温・温度の変化に合わせるのと同じく、常に相手に合わせようとし、成り行きに適応するのが大事だとする。なるべく相手を傷つけないように、相手に逆らわないように、お互いに仲良し倶楽部の一人となることを大切にする。これは裏返せば、一貫した原則を貫くことを大事にしないことである。自分の重んじる価値基準に従って行動の原則を通すと、<頑固者><偏屈><風変わり>というマイナスの評価を得る。つまり日本では、<我>を貫く一本の筋が重んじられない。むしろ、<我>は<我を張る><我が強い>として敬遠される。微妙な変化を繰り返しながら、自然がほどよく人間をくるんでいるのだから、その細やかさ、愛らしさに浸って生きるのが良いとされる」(大野晋「日本人の神」新潮文庫)
いやー、よくわかる。みごとな分析ですね。とくに、「微妙な変化を繰り返しながら、自然がほどよく人間をくるんでいるのだから、その細やかさ、愛らしさに浸っていればいい」というところを繰り返し読んでいると、あんこの誕生や、つぶあんとこしあんの間のゆらぎなどが、目の前にうかんでくるようじゃありませんか。
こういう日本人の特性をマイナスと見る人もいます。「そんなことだから、日本では個の確立が進まないのだ」とか、その他いろいろな批判も生まれてくる。でもね、これはいいとか悪いとかの問題じゃない。よくも悪くも、人間は環境の動物だし、文化もまた環境をは離れてはありえないんですね。
こうした背景もあって、とかく日本人は、「思想」よりも「美意識」で物事に向かい合う。「いいか悪いか」よりも、「カッコいいかカッコ悪いか」「粋か野暮か」が、大きなモノサシになってきたし、いまもその空気が濃いんじゃないかと、ぼくは思っています。
ところで、あんこもまた、こういう自然的・文化的環境と切り離しては考えられません。前にも書いたように、小豆は中国からやってきて、日本に根づきました。その色が赤いことから、慶事や弔辞の必需品になり、一方、あんことしてもたいへん愛用されるようになりました。あんこの最初は塩あんでしたが、砂糖の伝来とともに甘いあんこが華々しく登場し、以後、あんこは和菓子文化の強力な推進役になって、きょうまで歩んできています。
ほかの国でも小豆はできるし、使えるのに、なぜ世界の小豆の大半を日本が生産し、消費するようになったのか。あるいは、ほかの豆でもあんこはできるのに、なぜあんこといえばなぜ小豆ということになるのか。まさに想像力の海へ、思いはひろがるばかりですが、ありゃ、もうこんな時間になっちゃった。とりあえず、今回はこれまでにして、きょうの非おすすめ菓子は「えびチリようかん」と「焼肉ようかん」の二本立てです。この2本があれば、一日中「おえっ!」を連発できます。これはあくまで、わるのり遊びの産物なので、なるべく食べないこと。眺めて「おえっ!」と楽しむだけにいたしましょう。
http://www.fukkan.com/list/index.php3
↑から、天野祐吉さんが書いた「ぼくのおじいちゃんのかお」を
復刊させたくてみんなで頑張ってます。
どうか、みなさん投票宜しくお願いします。
もう一度、あの名作を見たいんです!
みなさん、ご協力お願いします!!
by いーちゃん (2006-03-13 12:07)
こっちの方が投票しやすいです!
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=24605
↑から是非投票して下さい!
by いーちゃん (2006-03-13 12:10)
日本人が、小豆餡を創りだしたのは、
すごいと思うんだけど
by hyakumi (2006-03-14 19:11)
あっ、失礼しました。
山本七平が「空気の研究」で書いていたけれど、
『「空気」とは何であろうか。それは非常に強固でほぼ
絶対的な支配力を持つ「判断の基準」であり、
それに抵抗する者を異端として、、、葬り去る。』
論理的な判断とは別に日本人は「その場の空気」に
判断の基準を置いて生きてきた。
そうした結果、過ちも犯した。
日本人が中国から移入した饅頭の具に小豆餡を選択したのは、日本人の特性として讃えられるべき
かもしれない。
えびちり羊羹と焼肉羊羹に拒否反応を示すのが
日本人としてのアイデンテティーの発露なんだろうか。
日本人は、歴史上、朝鮮半島を経由して
中国文化を取り入れ、それらを咀嚼して日本人の都合の良いものだけを取り入れ、明治維新と同時に
その関心を欧米文化におき、和魂洋才と称して
アンパンを創造した。
小豆あんだけが日本の城壁なのか?
正岡子規がいったように、そうであるなら
その城壁は薄っぺらな城壁にしかすぎない。
今、ジャムパンもクリームパンも受け入れたように
「焼肉羊羹」も「エビチリ羊羹」も
食わねばならない。眺めるだけじゃなく。
ああ、ごめんなさい、ふきのとう見つけて、
天ぷら、味噌あえ、焼きふきのとう、様々試して
酒飲みました。ふきのとう食べ過ぎて
その苦味に酔いしれました。
デザートに、酒饅頭食おぅっと、、、、
by ひゃくみ (2006-03-14 20:39)
今日、仕事の帰りに、本屋に行ってきました。勿論、「このよでいちばんはやいのは」を買いに。
390円なら買えると意気揚々と出かけたのですが、ない~!
お店の人に尋ねると、「あ、その本もう全部出たんですよ、売り切れです」
気を取り直して明日は他の本屋さんに行ってきます。
ひょっとして、「バカの壁」も「国家の品格」も超えるベストセラーに・・?(笑)
話は変わりますが、お知り合いの高校生のお嬢さんがアメリカにホームステイしたんです。そのお世話になるお家に着いたとき、もう死ぬほどお腹がすいていたそうです。でも、お腹がすいているって言えなかったそうです。これは親が他所のお家に行ったらお行儀よくしなさいよって躾けてきたからですね。
でも逆だったら、きっと、ついた瞬間に「アイアムハングリー」ってはっきりと言うでしょうね。勿論、受け入れをする日本の家庭は言われる前に、「お腹すいてない?」って聞くでしょうね。
こういう気配り、気遣い、遠慮・・・・そういう日本ならではのもの、私は大好きです。
ハンバーガーよりお饅頭が好きです。(笑)
by tami (2006-03-14 22:05)
四辺を全て海に囲まれた、ぬくぬく日本。それだからこそ小豆からあんこを生み出し、四季のはっきりした自然にならって、繊細な和の文化を作り出してきたんですよね。
しかしその反面、あまりに恵まれた自然に包まれ、ぬくぬくしすぎた為に、外国の事情に疎くなってしまい、鎖国や日中戦争などの過ちを過去に犯してしまったんですよね…。
ともあれ昔から「カッコイイかカッコ悪いか」「粋か野暮か」に大きな価値判断のものさしを置いて、物事に向かい合ってきた日本だが、いま偽装や安全神話の崩壊などが顕著になっているので、21世紀のこれからの時代は日本も「いいか悪いか」という価値判断とのバランスを取っていく方が好いのかもしれませんね。
by 銀鏡反応 (2006-03-17 01:04)
おえっ、こんにちは
やっと甘酒アイスのショックから立ち直ったと思ったら、今度は焼肉羊羹それもカルビ味ですか。
僕は虎屋のコーヒー味羊羹は結構好きですが、そこらへんが限度ですかね。でも、ちょっと食べてみたい。
懲りないなぁ、これで人生の中で何度やけどしたことか! でも、やらなかった後悔は、やってしまった後悔よりも強いですから。
大野晋さんの本は僕も好きですが慧眼ですね。外国の人から、特に欧米系の人から日本人の宗教観がわからないとか、無宗教なのかとよく言われますが、日本人は誰よりも「宗教心」を持っていると思っています。「お天道様が見ている」も立派な宗教心ではないでしょうかね。
僕は自宅になぜか30年分の文芸春秋がとってあります。毎月本屋さんが届けてくれたのでとっていたのですが、当時はあまり読まないまま寝かせられていたんですね。それを数年前から毎月30年前の当月号をとりだして読んでいます。ちょっとした、タイムスリップですね。このあいだ(ということは昭和五十年の十二月号)で山本七平さんの「空気の研究4」の連載が終わったところです。考えさせられることの多い連載でした。
あんこは「空気」なんでしょうか。
by gillman (2006-03-17 10:17)
「いーちゃん」さん。ありがとう。ぼくもいちばん復刊してほしい絵本です。
「ひゃくみ」さん。お久しぶり。あんこは城壁のような固形物じゃありません。ぐにゃぐにゃの不定形物です。良くも悪くもそれが日本的なるものの実体じゃないでしょうか。
「tami」さん。ハンバーガーよりお饅頭。同感です。ついでに空腹をがまんしたお嬢さんも好きです。はっきりものをいうのはいいことだ、なんて考えを広めようとするのは、自分の図々しさを正当化しようとするひとたちの陰謀です。
「銀鏡反応」さん。「好き嫌い」のモノサシではかったものが、結果として「いい悪い」のモノサシにぴったり合う。それがぼくの理想です。
「gilman」さん。あんこは空気なんでしょうね。空そのものかもしれない。
禅僧が持ち込んだというところからして、くさいですね。
by あまの (2006-03-17 17:05)
初めてコメントさせて頂きます。taiです。宜しくお願いします。
それにしても「焼き肉ようかん」…世の中にそんなものが存在していたんですね。作った人はあんこが好きなのか、嫌いなのか…。
でも、以前に書かれていた「羊の羹(あつもの)」という考えからすると、形、食感だけでなく、肉の味をしみ込ませたかった作り手の気持ち、という風に深読みすれば、通じるかも知れませんね。
ところで、古いかも知れませんが、「アンパンマン」、
私はこしあんだと思っています。
作ったジャムおじさんの事を考えると、こしあんな気がしてしまいます。
ヘイワを願うジャムおじさんは、アンパンマンが悪者退治に出かけている間、帰りを待ちつつもせっせと漉しているような気がするのです。
余談ですが、わたくしtaiは今東京に住んでいますが、出身は青森です。
青森のお赤飯って、あんこみたいに甘いのご存知でしたか?
私はそれで育ったので、東京に来てほんのり塩味のする赤飯を食べて、ほんとうにびっくりしたのを、今思い出しました。
by tai (2006-03-17 20:04)
「tai」さん。ようこそ。甘い赤飯の話は聞いたことがありますが、まだ食べたことはありません。秋田では納豆に砂糖を入れるとか。ほんと、いろいろですね。
by あまの (2006-03-17 21:27)